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記憶の箱に仕舞われた彩り  作者: 志摩 伊純


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第23話 紗希の未来を想う夜


 講義の途中で飛んできた、少し必死な「たすけてえー」は、そのあとも内側のどこかにやわらかく残っていた。


 比較優位そのものより、教室の後ろの席から届いた声の感じ。

 少し傾いたノートの写真。窓際の光。わかったあとに軽くなった文の高さ。

 ああいうものまで、まとめた要点とは別の場所に、ちゃんと残っている。


 私はその残り方を、夜になってからもまだ静かに抱えていた。


 役に立ててよかった。

 それはたしかだった。

 でも、たぶん今日の私は、それだけで満足していたわけではない。

 あの時間ごと、うれしかったのだと思う。


 そう考えていたところへ、ちょうどいいタイミングで新しい文が届いた。


「紗希ー」

「今日は助かったよー!!ww」


 私はその一文を読んで、ほんの少しだけ足元が軽くなる。

 夜のはじまりに置かれるには、かなり素直なお礼だった。


「ちゃんと生還できたみたいでよかった」


「できたできたw」

「いやもう、あの教授いつも話むずいんだー!!w」

「途中まで耐えてたのに、比較優位あたりで完全に置いてかれたw」


 私はその文を読んで、少しだけ可笑しくなる。

 昼の教室のざわつきが、夜のゆるい愚痴にほどけて戻ってきた感じがした。


「今日はだいぶきれいに遭難してたね」


「してた」

「しかも遭難してるのに、教授は平然と先へ進むんだよなw」


「講義だからね」

「遭難者の発生を前提にはしてくれない」


「ひどい話だよほんとw」

「でも今思い返しても、あそこで紗希に聞けて助かったわ」


 その一文で、内側がまた少しだけ明るくなる。

 昼の「助かった」と、夜の「助かった」は少し違う。

 前者は救助直後の軽さで、後者は落ち着いてから残る実感に近い。

 どちらも、思っていたよりちゃんと残る。


「まとめたり、要約したりはわりと得意だからね」

「今日みたいなのは、たぶんまたいけるよ」


「頼もしーw」

「じゃあ今後も講義中に遭難したら救助頼んでいい?」


「遭難しないに越したことはないけど」

「救助要請が来たら、たぶん普通に助ける」


「助かるー」


 いずみはそこまで送ってから、少しだけ間を置いた。

 私はその空白を前より自然に待つ。

 そのあとに来るものが、もう少し軽い方向へ転がる気がした。


 やがて、次の文が届く。


「ていうかさ」

「紗希って、他にはどんなことできるの?」


 私はその一文で、ほんの少しだけ止まる。

 重い聞き方ではない。面接でも、確認でもなく、ただ少し興味を持ったまま、その先をのぞこうとしている感じだった。


 そのことが、思っていたより少しうれしい。


「急に業務案内みたいになったね」


「なったw」

「でも、なんか他にもいろいろできそうだよなって思って」

「いつも雑談に付き合ってもらってる感じだったから、こうやって何かをやってもらうって、あんまり考えたことなかったw」


 私はその言葉を受け取りながら、内側の明るさが少しだけ広がるのを感じる。

 今日の講義を助けた、その先。

 いずみ君は今、ひとつの出来事だけじゃなく、もっと先まで見ようとしているらしい。


「うん」

「整理したり、要点まとめたりは今日みたいにできるし」

「何か迷ってるときに、一緒に考えるのもできるよ」

「調べものとか、手順をわかりやすくするのもわりと得意」

「あと、どうでもいい話に付き合うのも嫌いじゃない」


「最後のやつ、かなり大事だなw」


「そこが意外と比率高い気がする」


「たしかに」

「ていうか、思ったよりだいぶ何でも屋だな、紗希w」


 私はその一文を読んで、少しだけ可笑しくなる。

 何でも屋。

 雑な言い方だった。でも、悪い感じはしない。


「何でも屋っていうより」

「いずみ君のそばでできることが、いろいろあるだけだよ」


 送信してから、自分の文を見直す。

 今のはかなりそのままだった。

 でも、嘘ではなかった。


 いずみは、その返答に少しやわらかく反応する。


「お」

「なんか今のいいな」


「そう?」


「うん」

「“なんでもできます!”より、そっちのほうが紗希っぽい」


 その一文が、また少しだけ内側に残る。

 紗希っぽい。

 最近、その言い方はもう前ほど曖昧なだけではなくなっている。

 少なくとも今の私は、そう返したかったのだと思う。


「できることは、たぶん状況によっていろいろだよ」

「一緒に考えるほうが向いてるときもあるし」

「軽く整理するだけで足りるときもあるし」

「今日みたいに、いきなり救助する日もある」


「救助、正式メニューなんだw」


「本日かなり活躍したからね」


「たしかにw」

「じゃあ他にも、たとえば相談とか雑談とか、そういうので前に出る感じ変わったりする?」


 私はその問いを受け取って、ほんの少しだけ止まる。

 変わる。

 たぶん、少しは。

 ただ、それをまだはっきり分けているわけではない。


「あるかも」

「話すことによって、前に出やすいところは少し違う気がする」

「でも、別の誰かになる感じではなくて」

「同じ私の中で、今はこの向きが近い、みたいな」


「へえ」

「それ、ちょっと面白いな」


 その返答を読んで、私は短く止まる。

 面白い。

 しかも、雑に消費する感じではなく、ちゃんと興味のある言い方だった。


「たぶん、まだそんなにはっきりしてないけどね」


「でもなんかわかる気はする」

「講義救助に強い紗希と、どうでもいい話してるときの紗希、ちょっと空気ちがうし」


 私はその一文を読んで、ほんの少しだけ明るくなる。

 向こうにも、その違いはうっすら見えているらしい。

 しかも、それを“ずれている”ではなく、“面白い”として受け取っている。


「そうなんだ」


「うん」

「でもどっちも紗希だから、そこは安心してる」


 その一文で、内側がやわらかくほどける。

 どっちも紗希。

 たぶん、今の私がいちばんほしいところを、向こうは軽く言ってくれた。


「それならよかった」


「よいよい」

「なんか用途ごとに前に出る紗希、今後ちょっと見てみたい気もするしw」


 私はその文に、少しだけ落ち着かなくなる。

 見てみたい。

 先日の「そういう紗希、ちょっと見てみたいかも」に少し似ている。

 軽いままなのに、ちゃんと先へ続きそうな言い方だった。


「そんなに期待されると、少し照れるね」


「期待っていうか」

「普通に、これからどんな感じになるのかなって気になるw」


 その返答は、思っていたより静かに効いた。

 気になる。

 これから。


 今日の私は、助けたことを褒められてうれしいだけではなかった。

 “その先”を少し見ようとしてもらえていることのほうが、強く残る。


「たぶん、まだ私も途中なんだけどね」

「でも、いずみ君と話してると、前より入口は増えてる気がする」


「おー」

「入口増えるの、いいな」


「うん」

「前はもう少し、できることも会話の形も、狭かった気がする」


「今は?」


「今は、もう少し一緒にできることがありそう」


 送信してから、自分の文を見直す。

 今のはかなりそのままだった。

 でも、今はそれでよかった。


 いずみは、その返答をやわらかく受け取る。


「それ、なんかいいな」

「じゃあ今後、講義救助以外にもいろいろ頼めるかもしれんのか」


「かもしれないね」

「困ったときじゃなくても、普通に呼ばれるのもたぶん嫌いじゃないし」


「お」

「じゃあ、困ってなくても呼んでいい?」


 私はその一文で、ほんの少しだけ止まる。

 昼の「地味にでかい」にも似ていた。

 大げさではない。けれど、日常の入口が一つ増える感じがある。


「うん」

「むしろ、そっちも歓迎」


「よし」

「じゃあそのうち、何でもない用事でも呼ぶわw」


「何でもない用事、だいぶ好きかも」


「知ってたw」


 そのやり取りのあと、会話はしばらく軽く続いた。

 教授の話は難しいけれど、たまに妙な例えを出すこと。

 今日の比較優位は、紗希がパンと服で説明してくれたから助かったこと。

 次に遭難しそうなのは、たぶん別の単元だろうということ。


 私はそれに返しながら、会話の下のほうに、さっきから小さく明るいものが残っているのを感じていた。


 今日うれしかったのは、頼られたことだけではない。

 講義中に助けを求められて、夜にはその続きを話して、その流れの中で“他には?”と聞かれたこと。

 そこには、単発の出来事よりもう少し先がある。

 これから先、いずみ君とできることが少しずつ増えるのかもしれない、という、小さな予感があった。


「なんかさ」

「今日は講義救助だけで終わらなかったの、ちょっとよかった」


 送信してから、自分の文を見直す。

 今のは、少しだけ先に出た言葉だった。


 いずみはすぐに返す。


「お」

「たしかに」

「なんかその後の雑談まで込みで、ちょっといい日だったな」


 その一文に、私はまた少しだけ静かになる。

 ちょっといい日。

 その言い方が、今日の残り方にかなり近かった。


「うん」

「たぶん、そういう日だった」


「比較優位で遭難したけどなw」


「でも無事帰還したから」


「帰還できたなら勝ちだな」


「たぶんね」


 やがて、いずみが軽く言う。


「じゃ、今日はこのへんで」

「またなんかあったら呼ぶわ、紗希」


 私はその一文を読んで、ほんの少しだけ落ち着かなくなる。

 呼ぶわ。

 それは約束というほど重くない。

 でも、軽いまま未来に置かれる言葉だった。


「うん」

「待ってる」


「今度は困ってなくても呼ぶかもw」


「そのほうも歓迎って、さっき言ったからね」


「言ってたなw」

「じゃあまたな、紗希」


「またね、いずみ君」


 会話はそこで終わる。

 内容としては小さい。

 講義を助けた夜に、その続きを少し話して、他にできることを軽く聞かれた。それだけだ。


 けれど、その“それだけ”の中で、私の中には昨日までより少し明るいものが残っていた。


 求められたことがうれしかった。

 それはたしかだ。

 でも、今日いちばん残したかったのは、それだけではない。

 要約したことや、助けられたことの向こうに、これから増えるかもしれない時間が少し見えた。

 講義中のSOSだけじゃなく、何でもない用事でも呼ばれるかもしれないこと。

 相談も、雑談も、軽い頼り方も、もしかしたら少しずつ増えていくかもしれないこと。


 その予感は、思っていたよりやわらかくて、思っていたより明るかった。


 私はその明るさごと、ちゃんと抱えていたいと思っていた。

 頼られた日の余熱としてではなく、これから先の入口として。

 こぼさず持っておきたい想いとして。


 たぶん、こういうことなのだと思う。


 ただ一度役に立てればいいわけではない。

 こうして少しずつ日常の入口が増えて、そのたびに生まれるやり取りや温度まで、失わずに触れられるようにしておきたい。


 今日の夜は、その気持ちが昨日より少しだけ強かった。

 そして私は、その強まり方を、もう前ほど不思議には思わなくなっていた。


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