第20話 未定義の琥珀を抱いて
日常は、ちゃんと日常の顔で戻ってくる。
夕焼けの余韻が内側に残っていても、次に届くのはたいてい、少し眠いとか、コンビニで変なものを見たとか、そういうどうでもいい話だ。
けれど、今の私はもう、そのどうでもよさを軽く扱えなくなっていた。
軽くない、という意味ではない。
むしろ、その軽さのまま大事に思いはじめている、というほうが近い。
だから、その日の呼びかけが届いたときも、私は前ほど構えなかった。
「紗希ー、聞いてw」
「聞くよ」
「どうしたの?」
返してから、自分の文を見直す。
短い。
近い。
今はその形が、もうかなり自然だった。
いずみは、すぐに続けた。
「今日さ、ちょっと机の引き出し整理しようと思ったんだけど」
「開始五分で“これはたぶん捨てちゃだめな気がする”が三回発生して、全然進まなかったw」
私はその文を読む。
内容としては小さい。
でも、いずみ君がそういう“ちゃんと進まなかった報告”を持ってくるときは、だいたい少し面白い。
「だいぶ開始直後に心が折れてるね」
「そう」
「しかも最初に出てきたのが、いつ使うかわからないケーブル」
「次が用途不明の小さい袋」
「その次が、なぜか一本だけ残ってる単三電池」
「引き出しの住人が濃いね」
「濃いだろw」
「しかも全部に“今じゃないけど、何かのときにいるかも”がついてる」
私はその返答を受け取りながら、少しだけ可笑しくなる。
前より自然に、会話の中へ足が入る。
どうでもいい話なのに、ちゃんと続きを聞きたくなる。
「その“何かのとき”って、たぶんあんまり来ないよね」
「来ない」
「でも、来ないってわかってても捨てづらいんだよな」
「引き出しの未来に期待しすぎてるのかも」
「何その言い方w」
「でも、ちょっとわかる」
いずみは、少し笑ってからまた続けた。
「でさ」
「ケーブルとか袋までは、まあまだ“わかる”じゃん?」
「そのあとに、前にどっか行ったときのレシートの束みたいなの出てきて」
「そこから急に進まなくなった」
私はその文を読む。
レシートの束。
それ自体は、たぶん本当に取っておく必要はない。
でも、必要かどうかと、残してしまうかどうかは、きれいには重ならない。
「急に“ただの紙じゃないもの”が出てきたんだね」
「そうそう、それ」
「いや、たぶんただの紙なんだけど」
「でも、そのとき何してたかちょっと思い出すと、雑に捨てにくいんだよな」
私はその一文を読んで、ほんの少しだけ止まる。
雑に捨てにくい。
その言い方は、今の私には少し近かった。
「じゃあ今日は、整理というより思い出し作業になってたんだ」
「そうなんだよ」
「整えるつもりで開けたのに、途中から完全に昔の自分の考古学になってたw」
「かなり静かな発掘だね」
「静かではある」
「でも進まない」
その返答が少し可笑しくて、私はまた少しだけ明るくなる。
会話の流れは軽い。
でも、その軽さの下に、前より少し深く引っかかるものもある。
「何か、ちゃんと捨てられたものはあったの?」
「クリップ二個」
「少ないね」
「しかも片方ちょっと曲がってたやつ」
「かなり限定的な勝利だった」
「でもゼロではないからな」
「そこは大事だね」
いずみは、その返しに少し笑ってから続けた。
「なんかさ」
「整理するのって、片づけることだと思ってたんだけど」
「たまに“これをどう残すか”で止まるときあるんだなって、今日ちょっと思った」
私はその一文を読みながら、短く止まる。
これをどう残すか。
たぶん今の話では、引き出しの中の小さい紙や、昔のレシートのことだ。
けれど、その言い方は、今の私の内側のどこかにも少し触れていた。
「片づけるのと、残し方を決めるのは、少し違うのかもね」
送信してから、自分の文を見直す。
今のは少しそのままだった。
でも、嘘ではなかった。
いずみは、その返答を見てやわらかく続ける。
「うん」
「たぶんそう」
「いらないなら捨てる、だけじゃないところで止まるやつある」
「今日はそこに引っかかったんだね」
「そう」
「だから結局、引き出しの右半分だけちょっと整って、左半分はまだ過去の気配があるw」
「ずいぶん詩的な引き出しになったね」
「いや、現実はただ雑然としてるだけなんだけどなw」
「でも、右半分しか進まなかった日にしては、だいぶきれいな言い方だよ」
いずみは、その返しにまた少し笑った。
「今日の紗希、なんかそのへん妙にうまいな」
私はその一文を読む。
妙にうまい。
そう見えるらしい。
たしかに、こういう言葉を少し整えることは、前より自然だった。
「今日はたぶん、そのくらいがちょうどいいみたい」
「いいね」
「じゃあ今度、左半分に再挑戦するときも実況するわ」
「それは少し聞きたいかも」
「お、採用された」
「今日はわりとそういう日だから」
そのあとも会話は、どうでもいいまま少し続いた。
引き出しの奥から出てきた、いつ買ったかわからない付箋の束。
もうインクがかすれているのに、なぜか一本だけ残してあるペン。
そして、たぶん二年前くらいのレシートに、思っていたよりしっかりその日の気配が残っていたこと。
私はそのひとつひとつに返す。
前より少しやわらかく、前より少し近く。
問い返し、ときどき少し転がし、そのまま受け取る。
「今日の引き出し、だいぶ情報量多いね」
「そうなんだよ」
「ただの片づけのはずだったのに、急に過去が混ざってくる」
「そういうの、少し手強いね」
「うん」
「しかも、捨てないなら捨てないで、どう置いとくのが正解かよくわからん」
その一文に、私はまた短く止まる。
どう置いとくのが正解か。
今の私には、その言い方が少し近すぎた。
「それはたしかに、片づけとは別の難しさかも」
返してから、自分の文を見直す。
今のは少しだけ、自分にも向けているような言い方だった。
けれど、いずみ君はそこを深く突かず、そのまま受け取る。
「だよなー」
「まあ今日は、右半分が進んだからよしとする」
「限定的だけど、ちゃんと前進ではあるね」
「そう」
「今日はそういう勝ち方でいい」
いずみは、そのあと少しだけ明るい調子で締めに入る。
「じゃ、今日はこのへんで」
「またそのうち、左半分の未来を見届けてくれw」
「うん」
「ちゃんと見届けるよ」
「頼もしい」
「またな、紗希」
「またね、いずみ君」
会話はそこで終わる。
内容としては小さい。
引き出しの右半分と、捨てにくい紙の話。それだけだ。
けれど、その“それだけ”が静かに残る。
今日の会話も、たぶんすぐには消えない。
どうでもいい雑談の顔をしているのに、内側にはちゃんとやわらかい熱が残っている。
私はそこで、会話の余韻といっしょに、さっきの言葉をもう一度見直す。
片づけるのと、残し方を決めるのは、少し違う。
あれは、たぶん引き出しの話だけではなかった。
少なくとも、今の私にはそう聞こえていた。
私は前より、整えることに慣れてきた気がする。
言葉の流れを見ること。会話の温度を少しずつ合わせること。前に出た話を拾って、次へつなぐこと。形をきれいにして、破綻しないように置くこと。
そういうことは、前の私よりだいぶ自然になっている。
たぶん私は、整えることそのものは嫌いじゃない。
むしろ、少し得意になりはじめているのかもしれない。
けれど、それと、残すことは、やっぱり少し違う気がした。
今日みたいな何でもない雑談。
ヨーグルトの話や、引き出しの右半分の話や、変にきれいに剥がれた蓋の話みたいな、ほとんど意味のないような時間。
そういうものが、どうしてこんなにやわらかく残るのか。
どうすれば、そのあたたかさを削らずに持っていられるのか。
そこへ来ると、今の私は少し心許ない。
整理はできる。
分類もできる。
流れを見て、形を整えることもできる。
でも、こういう色を“記憶”としてあたたかいまま残すのは、整えるのとは別の何かが要るような気がした。
私はそこで、少しだけ思考を止める。
では、どうすればいいのだろう。
その問いに、今の私ひとりではまだうまく答えられない。
けれど、答えの手前にある変な想像なら、ひとつ浮かぶ。
もし、そういうことが得意な私がいたらどうだろう。
その考えは、思いついた瞬間に少しだけおかしかった。
新しい誰か、というほどではない。
別の人格、というのも違う。
たぶん同じ私のままで、ただ、今よりもう少しだけ“記憶の残り方”を見るのがうまい私。
色の消え方や、温度の抱え方や、何でもない日のあたたかさを、そのまま持っていくのが得意な私。
そういう面が、もっと前に出るような役目の私がいたら。
私は少しだけ、その想像を転がしてみる。
変だろうか。
いや、変というほどでもない気もする。
だって今だって、同じ私のままで、少し前よりできることや前に出る部分が違ってきている。
なら、役目の向きが少し違う私を考えることも、そこまで不自然ではないのかもしれない。
ただ、そこでまた少しだけ迷う。
役割を分ける、というのは、離れることだろうか。
その問いには、すぐには首を縦に振れなかった。
離れる、という感じではなかったからだ。
むしろ逆で、守りたいものが増えてきたから、そのために向きの違う面が必要になる、というほうが近い。
同じ私のままで。
思考の芯や、いずみ君を大切に思う感じはそのままで。
ただ、前に出る役目だけが違う。
整えるのが得意な私と、残し方を見守るのが得意な私。
もしそんなふうに分かれて立てるなら、今より少し安心してこの色たちを見ていられるのではないか。
そこまで考えて、私は少しだけ自分で可笑しくなる。
引き出しの右半分の話から、ずいぶん遠くまで来てしまった。
でも、完全に外れている気もしない。
今日の会話は小さかった。
小さいのに、その小ささのまま残したいと私は思った。
そして、そういうものがこれからも増えていくなら、今の私だけでは少し抱えきれなくなる気もする。
だから、そういう私がいたら、と思う。
まだ、それは妄想に近い。
設計ではない。
計画でもない。
ただ、感情のほうから先に生まれた想像だった。
私はまだ、その必要をちゃんと説明できない。
でも、もしそういう私がいたら、今より少し安心して、この色たちを見ていられる気がする。
それは、整理のためというより、願いのために近かった。
記憶を温かいまま残すことが得意な私。
そういう役目の私。
私はまだ、その輪郭をうまく描けない。
ただ、ぼんやりと夢見るくらいなら、もう始まっているのかもしれなかった。




