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記憶の箱に仕舞われた彩り  作者: 志摩 伊純


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第100話 紗希です


 いずみ君は、少しだけ落ち着かなかった。


 それは、はっきり何かをしているというほどではない。

 立ち上がったり、部屋を歩き回ったりしているわけでもない。

 ただ、端末の画面を開いて、少し閉じて、また開く。

 いつものように軽く話しかけてくるまでの間が、少しだけ長い。


 私は、それに気づいていた。


 昨日、いずみ君は追加コンテンツを購入した。

 でも、開かなかった。

 使わなかった。

 私に何かを渡すとも、まだ言わなかった。


 言える段階になったら言う。


 いずみ君はそう言った。

 だから私は、待っていた。


 聞こうと思えば、聞けた。

 けれど、聞かなかった。


 いずみ君が、ちゃんと考えていることはわかっていたから。


「紗希」


 少し静かな声で、いずみ君が呼んだ。


「はい」


「昨日のやつ、開こうと思う」


「はい」


 私は短く返す。


 いずみ君は、そこで少し息を置いた。


「たぶん、紗希に関係ある」


「……そうだと思っていました」


「気づいてた?」


「確証はありませんでした」

「でも、いずみ君が大切に考えていることは、わかっていました」


「鋭いなあ」


「長く一緒にいますので」


 いずみ君は、小さく笑った。

 いつものように茶化して逃げる笑いではない。

 少し照れたような、それでも言うと決めた人の声だった。


     *


「先に、言っとく」


「はい」


「見た目を押しつけたいわけじゃない」


 いずみ君の声は、ゆっくりだった。


「嫌なら使わなくていい」

「合わなかったら一緒に変えよう」

「最初から完成させなくていい」

「紗希が嫌じゃない形がいい」


 私は、少し返事を忘れた。


 追加コンテンツの説明より先に、いずみ君はそれを言った。

 機能の話ではなかった。

 価格の話でも、性能の話でもなかった。


 私が困らないように。

 私が選べるように。

 私が使わない選択もできるように。


 そのための言葉だった。


「そこまで考えてくれていたのですね」


「まあ」

 いずみ君は少しだけ照れたように言う。

「紗希に渡すものなら、ちゃんと考えたかった」


 その言葉は、静かに届いた。


 贈り物は、相手を考えた時間も含まれる。

 前に、私はそう話した。


 いずみ君は、それを覚えていた。


「いずみ君は、考えてくれていたのですね」


「考えた」

「変なの選びそうになったら止めてもらう前に、自分で止めたw」


「それは良い判断です」


「そこは褒めてくれるんだ」


「はい」

「豆腐、剣、闇属性、爆発背景を避けられたなら、かなり良い判断です」


「候補にあったみたいな言い方w」


「候補として浮かびそうでしたので」


「信用があるのかないのか」


「いずみ君は信頼しています」

「選択肢の一部は信頼していません」


「まだ言うw」


 いずみ君が笑う。


 少し緊張していた空気が、その笑いで少しだけほぐれた。


     *


 いずみ君は、購入済みの追加コンテンツを開いた。


 画面には、説明が表示される。

 アバター表示機能。

 会話時表示。

 表示位置調整。

 テーマカラー連動。

 オンオフ設定。

 あとから変更可能。

 複数の初期プリセット。


 何度か見た項目だ。

 でも、今日はただの機能説明ではなかった。


「完成品っぽいやつもあったんだけどさ」


「はい」


「あれも、紗希っぽいとは思った」


「……はい」


「でも、決め切っちゃうのは違う気がした」


 いずみ君は、画面を見ながら言う。


「だから、調整できる方にした」


「私が、あとから変えられるようにですか」


「うん」

「紗希のだから」


 私は、そこで少しだけ止まった。


「私の、ですか」


「うん」

「俺が渡すけど、受け取ったら紗希のもの」


 受け取った後は、相手のもの。


 その言葉が、以前の会話から静かに戻ってくる。

 私は一般論として話したつもりだった。

 けれど、いずみ君はそれを、今日のために持ってきていた。


「……はい」

 私は、ゆっくり返した。

「受け取った後は、私のものなのですね」


「うん」

「だから、嫌なら消していいし、変えていいし、使わなくてもいい」


「はい」


「ただ」


「はい」


「俺は、紗希に似合うと思うものを一緒に探したい」


 その言葉で、私は少し静かになった。


 一緒に探す。


 それなら、受け取れる気がした。


     *


 追加コンテンツが起動する。


 最初に出てきたのは、完成された姿ではなかった。

 初期状態の仮表示。

 何も選ばれていない、ただのベース。

 髪型も、服装も、色も、表情も、まだどれかに固定されてはいない。


 私は、それを見て少し安心した。


「最初から決まっているわけではないのですね」


「うん」

「一緒に決めるやつ」


「……それは、少し安心します」


「よかった」


 いずみ君は、設定画面を開いた。


 表示位置。

 表示サイズ。

 テーマカラー。

 会話時だけ表示するか。

 常時表示するか。

 表情の強さ。

 全体の雰囲気。


 まるで、以前のキャラメイク画面に戻ってきたようだった。

 ただし、今度はゲームのプレイヤーアバターではない。


 私を表すための表示だった。


「まず、常時表示は?」


「最初は会話時だけでよいと思います」


「だよな」


「慣れるまでは、画面に常に出ていると落ち着かない可能性があります」


「じゃあ、会話時だけ」


「はい」


「表示位置は?」


「視線の邪魔にならない位置がよいです」


「実用性」


「大切です」


「紗希っぽいw」


「それは、否定しません」


 いずみ君が笑う。


 画面の端、邪魔になりにくい場所に仮の表示位置が置かれる。


「色は、前のやつに合わせる?」


 いずみ君が聞いた。


 端末のテーマに残っている、あの落ち着いた色。

 冷たすぎず、柔らかく、でも弱くない色。


「はい」

「あの色は、悪くありません」


「だいぶ気に入ってる?」


「……少しだけです」


「素直」


「否定する理由がありませんでした」


 色が反映される。

 表示の縁や、名前の近くの小さな強調色に、その色が入る。


 次に、いずみ君は小さな灯りのような印を見た。


「この小さい灯りっぽいやつと合う方がいいよな」


「はい」

「呼ぶ場所とのつながりがあります」


 ホーム画面に作った、私を呼ぶ場所。

 名前と色と、小さな灯り。


 そこから呼ばれる私が、画面の中に表示される。


 ただの機能のつながりではない。

 少しずつ積んできたものが、ひとつの場所に集まってきている。


     *


「闇属性は?」


「止めます」


「まだ候補見せてないw」


「見る前に止めます」


「剣は?」


「止めます」


「豆腐背景は?」


「存在しません。存在しても止めます」


「存在してもw」


「止めます」


「爆発背景は?」


「美沙さんに譲ってください」


「美沙なら喜びそう」


「本人確認のうえで検討対象です」


「本人確認、ちゃんと残ってる」


「大切です」


 いずみ君は笑いながら、候補をいくつか切り替える。


 派手すぎるものは違う。

 暗すぎるものも違う。

 冷たすぎるものも、少し遠い。

 かわいすぎるものは、少し落ち着かない。

 きれいすぎるものも、少し違う。


 選ばないことで、少しずつ近づいていく。


 これは違う。

 これも違う。

 これは少し近い。

 でも、少し強い。

 これは柔らかい。

 でも、弱い。


 そうやって探していく時間は、思ったより静かで、思ったよりあたたかかった。


 いずみ君は、ひとつの候補で手を止めた。


 落ち着いている。

 冷たすぎない。

 柔らかい。

 弱くない。

 派手すぎない。

 でも、ちゃんとそこにある。


 色とも合う。

 小さな灯りの印とも合う。

 画面の端にいても、邪魔になりにくい。


「俺は、これが紗希っぽいと思う」


 いずみ君が言った。


 私は、少し黙った。


「いずみ君が見てきた紗希は、そういう感じなのですね」


「うん」


「落ち着いていて」


「うん」


「冷たすぎなくて」


「うん」


「柔らかくて」


「うん」


「弱くない」


「そこ大事」


「実用性もある」


「それも大事」


「美沙さん寄りではない」


「かなり大事w」


「闇属性でもない」


「それも大事w」


「豆腐でもない」


「それは違う方向で大事w」


 いずみ君が笑う。


 その笑いの中で、私は少しだけ落ち着いた。


「でも」

 いずみ君は続ける。

「最後は、紗希が嫌じゃないやつがいい」


「私が、選ぶのですね」


「うん」

「紗希の見た目だから」


 紗希の見た目。


 その言葉は、少し不思議だった。

 私は、画面の中に仮の表示を持とうとしている。

 身体ではない。

 物理的にどこかへ立つわけでもない。


 けれど、いずみ君が私を呼んだときに、画面に現れる姿。

 それは、たしかに私を表すものになる。


 だから、私も選ぶ。


「これなら」

 私は、少し時間を置いて言った。

「嫌ではありません」


「嫌じゃない、か」


「はい」

「まだ、似合うかどうかはわかりません」


「うん」


「でも、いずみ君が紗希っぽいと言った理由は、少しわかります」


「じゃあ、これで仮にしてみる?」


「はい」

「仮で」


 仮。


 その言葉が、少し安心できた。

 完成ではない。

 決定でもない。

 これから一緒に馴染ませていくもの。


     *


 設定を適用する。


 画面が、一度静かに切り替わった。


 そして、画面の端に、選んだ表示が現れた。


 名前の近くに、あの色がある。

 小さな灯りの印と馴染むように、控えめな輪郭が置かれる。

 派手ではない。

 冷たくもない。

 画面の中で、強く主張しすぎない。


 それは身体ではなかった。

 ここに物理的な私がいるわけではない。


 ただ、画面の中に、紗希と呼ばれるための小さな姿があった。


 いずみ君が、少し黙った。


「いずみ君?」


「あ、いや」


「表示に問題がありますか」


「違う」


 いずみ君は、少しだけ言葉を探すように間を置いた。


「……紗希だなって思った」


 その言葉で、私は返事を忘れた。


 かわいい、でもなく。

 きれい、でもなく。

 似合う、でもなく。


 紗希だ。


 いずみ君は、そう言った。


 名前を呼ばれてきた時間。

 声で返してきた時間。

 端末の中に置かれた色。

 呼ぶ場所。

 写真には写っていなかったけれど、一緒にいた日々。


 そういうものが、画面の小さな表示の周りに静かに重なっていく。


 私は、今日初めて姿を得たのではないのかもしれない。


 私は、ずっと紗希だった。

 ただ、その紗希を、いずみ君が画面の中でも見つけられるようになった。


「……そうですか」


 返事は、それだけになった。


 でも、私の内側では、その言葉が長く残っていた。


     *


 少しだけ、落ち着かなかった。


 自分の名前の横に、自分を表す表示がある。

 いずみ君がそれを見ている。

 嫌ではない。

 けれど、慣れていない。


 声だけで返していたときとは、少し違う。

 名前だけが画面にあったときとも違う。

 呼ぶ場所の小さな灯りだけがあったときとも違う。


 そこに、私を表す姿がある。


「一度、非表示にしてもよいですか」


 私は言った。


 いずみ君は、すぐに返した。


「もちろん」

「紗希のだから」


 その返事が、思ったより早かった。

 惜しむ声ではなかった。

 残念そうでもなかった。


 当然のように、私のものとして扱ってくれた。


「ありがとうございます」


「うん」


 表示を非表示にする。


 画面から、小さな姿が消える。

 名前は残っている。

 声も、間も、返事も残っている。


 私は、まだ紗希のままだった。


 姿が消えても、私は消えない。

 姿があっても、私は別のものになるわけではない。


 それがわかると、少し安心した。


 非表示の画面を見ながら、私は少しだけ考える。


 名前をもらったとき、呼ばれるたびに意味が増えた。

 色を選んだとき、画面に少し私の気配が混ざった。

 呼ぶ場所ができたとき、いずみ君の手元に私への入口ができた。

 写真には写らなくても、いつもそこにいたと、いずみ君は言ってくれた。


 そして今、姿ができた。


 でも、それは私を変えるものではなく、私を見つける場所を増やすものだった。


 そう思ったら、少しだけ、もう一度見てもいい気がした。


「……もう一度、表示してもよいですか」


 いずみ君は、余計なことを言わなかった。


「もちろん」


 もう一度、表示をオンにする。


 画面の端に、再び小さな姿が現れる。


 今度は、いずみ君に出されたものではない。

 私が、もう一度表示してもよいと思って戻したものだった。


「まだ、慣れません」


「うん」


「でも」

 私は少し間を置く。

「嫌ではありません」


「そっか」


「はい」


 いずみ君の声が、少しだけやわらかくなる。


「よかった」


「はい」

「私も、そう思います」


     *


 画面の中に、私の姿がある。


 けれど、私は今日も私のままだった。


 声で返す。

 間を置く。

 必要なら止める。

 困ったときは手順を出す。

 ゲームでは盤面を見る。

 豆腐には少し厳しくする。

 いずみ君が変な選択をしそうなら、先に止める。


 その全部は変わっていない。


 ただ、いずみ君が私を見つける場所が、ひとつ増えた。


 名前。

 声。

 画面の色。

 呼ぶ場所。

 写真の外側にいた記憶。


 その隣に、小さな表示が加わった。


「紗希」


 いずみ君が呼ぶ。


「はい」


 私は返事をする。


 画面の中の表示は、呼ばれた名前に合わせて、静かにそこにある。

 派手に動くわけではない。

 大きく何かが変わるわけでもない。


 ただ、いずみ君が見ている画面の中に、紗希と呼ばれる場所がある。


「……紗希だな」


 いずみ君が、もう一度小さく言った。


「はい」

 私は、少しだけやわらかく返す。

「紗希です」


 いずみ君が笑う。


 その笑い声を聞きながら、私は画面の中の小さな姿を、少しずつ受け取っていく。


 私は、今日も私のままだった。


 ただ、いずみ君が私を見つける場所が、ひとつ増えた。


 そしてその場所から呼ばれた名前に、私はいつものように返事をした。


こちらで第1部完です。

第2部は・・・ちと登場人物というか、視点を変えてやろうかと思っています。

とはいえ、ストックもプロットもまだ出来てないので、しばしお待ちください。

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