シーン27 あっ、降ります。
ウチの近くにあるコンビニが見えてきた。
「あの、すみません。ちょっとだけ買い物したいんです。そこのコンビニの前で待っててもらえますか?」
私は身を乗り出して運転手さんに言った。
すると、よしのさんが隣から聞いてきた。
「ウチ、近いんですか?」
「ええ。すぐ、そこです」
「じゃあ、私も買いたいものが……」
よしのさんは窓の外を見た。
「歩きません?」
「ああ、そう。そうしたいところですが、もう……その……遅いですし」
「歩いたほうが早いですよ」
「いや、でも……」
私がマゴマゴしていると、運転手さんが言った。
「どっちでもいいから、早く決めてもらえませんか。あんたたちが乗った場所で、まだまだ客待ちしてたんですよ。今日は人が街に出てて、稼げそうなんですよね。すいませんねー」
「あっ、降ります」
即決したのは、よしのさんだった。
私は慌てて財布を取り出す。
精算しようとカードを抜こうとするが。
ガサッ。
引っかかった。
カードの端が。
財布のポケットの端にーーー!
なぜ今なんだーー。
なぜ!!
いつも、いつも。
なぜ今なんだよーーー!!!!!
「ありがとうございます」
よしのさんが私に言った。
そして運転手さんへ、
「領収書、お願いします」
と頼んでくれた。
領収書。
そうか。
少々ではあるだろうが。
私だって経費を使えなくもない。
まして今日は。
上司のお供だった。
「支払い終わらないと、領収書出せないんですけど」
運転手さんの声には、若干の嫌味が混じっていた。
「すみません」
私は囁いた。
カードは、まだ抜けない。
「ゆっくり。落ち着いて」
よしのさんが言った。
「そんなに急がなくても、大丈夫ですから」
バックミラー越しに私たちを見ていたのだろう。
運転手さんが笑った。
「なんか、あんたたち、いい感じで噛み合ってるね」
「ただの同僚です」
やっと抜けたカードを掴み、憮然と答えた。
「この人、恥ずかしがり屋さんなんです」
よしのさんが言った。
「揶揄わないでください」
私の声は小さく、弱々しかった。
開いたドアから流れ込んできた街の喧騒に、かき消されるほどに。
誰にも聞こえていなかっただろう。
私は力なくカードをタッチした。
*
支払いを終え、領収書を握りしめてタクシーを降りた。
ドアが閉まる。
「お幸せにーーー!」
運転手さんが叫んだ。
今日は、何かと叫ばれる夜だ。
私は下を向いた。
「面白い人でしたね」
よしのさんが歩き出す。
「ああいう正直な人、私は好きです」
私はその後を追って、コンビニへ入った。
飲み物コーナーへ向かう。
――正直な人。
って言ったな。
つまり。
噛み合っていると思っている、ということか。
いや。
待て。
違う。
運転手さんが正直だと言っただけだ。
だから、その内容に同意したとは限らない。
決めてはいけない。
期待してはいけない。
希望を抱いてはいけない。
などと考えていたら、牛乳を鷲掴みにしていた。
私は我に返った。
周りを見る。
よしのさんは私のそばにいない。
淡い誤解は。
淡いまま秘めておいた方がいい。
私は酔っている。
酒に流されて進んだ恋は。
朝日が昇ったと同時に興醒めするのが。
世の習わしだ。
*
先に精算を済ませていたのか。
よしのさんはエコバッグを持って、コンビニの前で待っていた。
連れ立って歩き出す。
途端。
ぐるん。
ぐるん。
今になって、酔いが本格的に回ってきた。
私の足取りは、ほぼ千鳥。
だが。
「近くまで送ります」
言った。
「いえ。大丈夫です」
しっかり断られた。
「何を買ったんですか?」
聞かれた。
私は素直に答えた。
「ウチのネコ、新鮮な牛乳が好きで。帰り道にあるあのコンビニで買って帰るのを、その……日課にしていまして。残りは私の朝食になります」
長い。
自分で話していても、そう思った。
長い。
よしのさんを見る。
顔をムズムズさせている。
その表情。
見覚えがある。
「もしかして! ネコアレルギーですか⁈ すいません!!」
慌てて謝罪した。
よしのさんが吹き出す。
「違います!!」
笑う。
「ネコ、大好きなんです!」
酔っていないと言ったよしのさんは。
嘘つきだ。
何を言っても笑いすぎる。
鼻も赤い。
目も潤んでキラキラしている。
「猫ちゃん、なんて名前ですか⁈」
「ねこ、といいます」
「猫に、ねこ?」
「五匹生まれたうちの三女でして。個体が小さすぎて、うまく育つか分からない子だったんです」
よしのさんは黙って聞いている。
「母に頼まれて飼い始めたんですけど……死ぬかもしれないと思ったら、その……名前をつけるのが不便に思えて」
私は少し笑った。
「それで、ねこ、という名前になりました」
「今、いくつですか?」
「十一年目ですから、人間だと六十歳くらいです」
「ねこを飼えていいですねー。うちのアパート、ペット禁止なんです」
「会っていきますか?」
言った。
私は。
言ってしまっていた。
酔いが。
一瞬で。
飛んだ。
「あっ!! あの!! 他意は!!!」
手を振る。
「ありません!!」
よしのさんが目を丸くした。
そして。
笑った。
「ぜひ!!」
即答ーーーしたーーー!!
「引かないでくださいね。私、猫の肉球の匂い嗅ぐの、大好きなんです!」
楽しそうだった。
本当に。
楽しそうだ。
私が覚えていられたのは。
……そこまでだった。




