シーン20 宣誓ーーーー 僕たちは幸せです。
会議室に上司、エースと入って行くと、すでにあちらこちらから声が飛んでいた。
「会見までに準備が必要です。来場者の線引き、案内の送付。実行するには日数がかかります。そもそも、ウチが口火を切る必要はないでしょう」
「しかし、企画部と宣伝部の固定電話、我々の携帯電話はパンク状態です」
「Xには有る事、無い事が上がってます。今のうちになんとかしないと」
「そもそも! トモッキーの事務所が先にやるべきでしょう。うちじゃなくて」
会議。
という名の、自己防衛シールドを張る会である。
企画部長が私を見つけた。
「君」
嫌な予感しかしない。
「君は本当に、トモッキーに触れてないのかね」
「ええ。指一本触れてません」
声がデカい。
デカすぎた。
会議室にいた人たちの視線が、一斉に私へ集まった。
……。
しまった。
いや。
しまってない。
無実と真実を言ったまでだ。
「トモッキーさんはあの時、『何するのよ』と仰いました。ですが、私ではなく、あらぬ方向を見てそう言いました。私も思わず振り向いたほどです。かなり動揺されているご様子でした」
自分でも驚くほど、言葉がすらすらと出てくる。
「ですから、あの言葉は―――」
一度、息を吸った。
「私に向けられたものではありません」
言った。
言い切った。
噛まずに、淀みなく。
企画部と宣伝部の腰巾着どもが、目を丸くして私を見ている。
どうだ。
……。
何が、どうだ、なのだ。
ただ事実を説明しただけなのに。
それだけなのに。
胸の奥で、何かがドクンと動いた。
何年ぶりだろう。
こんな感覚。
言いたいことを言った。
逃げなかった。
自分の意思を、最後までつっかえずに言えた。
それだけなのに。
それだけなのに、涙が出そうになった。
情けない。
だが。
少しだけ、誇らしかった。
昔の自分を思い出した。
努力していれば、いつかは叶うと思っていた頃。
何かを成し遂げれば、素直に嬉しかった頃。
いつか実力を発揮できると思っていた頃。
仕事だけは私を裏切らないと信じていた頃。
私はいつから、小さな達成感さえ感じなくなっていたのだろう。
毎日何かを諦め。
毎日何かを守り。
毎日何かを失わないように生きてきた。
そんな私の中に、いまだ血潮はあった。
白けた顔で私と企画部長のやり取りを見ていた宣伝部次長が言った。
「それで、記者会見はどうするんです? やるんですか? やらないんですか?」
誰に聞いているのか分からなかった。
すると企画部次長が言った。
「あなたはどう思うんです?」
この次長二人は、日頃からバチバチである。
「あなたはどう思っているんですか?」
宣伝部の誰かが、質問に質問で返した。
出た。
必殺仕置き人。
「ウチが決めることじゃない」
声が飛ぶ。
出た。
『奥義、誰も決めない。』
「いや、でも宣伝としては―――」
「企画部の判断が先でしょう」
「そもそも今回のイベントは―――」
「あんなでかい図体で、ハイヒールなんか履くからだよ」
「そこは今、言っても仕方ないでしょう」
「だから会見をやるかどうかを―――」
「重くて折れたんでしょ」
「それを聞いているんですがね」
進まない。
一歩も。
半歩も。
進まない。
後になって事が悪い方向へ進んだ時、
『君のところが言ったから』
と、誰も言われたくない。
そこだけは共通している。
上司へのアピールだけが飛び交う。
“言ってやった”という薄暗い競争心だけが、満たされてゆく。
大手とは幸せだ。
先人たちが築いた企業ブランドは、そう簡単に汚れないと知っている。
だから、こんな時でさえ安心して権力闘争を繰り広げていられる。
何もしないほうが安全だ。
現状維持のほうが我が身は安泰だ。
停滞は衰退だと分かっていても、自分たちが会社にいる間は大丈夫だと思っている。
ある名門証券会社に勤めていた元社員が言っていた。
会社が潰れるとは思っていなかった、と。
隣で、
「うう……」
と低い声がした。
エースだった。
唸っている。
どうした。
腹でも痛いのか。
「いい加減にしてください!!!」
吠えた。
え。
顔が怖ーーい。
腹痛ではなかった。
会議室が静まり返った。
「記者会見は開かないでください」
エースの声が響いた。
企画部長が眉を寄せた。
「君。それは君が決められることじゃないだろう」
「分かっています」
即答だった。
「だったら―――」
「でも、言わせてください」
「だから、判断は我々がする」
「分かっています」
少しも引かなかった。
「分かってます。でも、現場を知らないまま決めないでください」
会議室の空気が変わった。
エースは、こうなると頑固になるんだなーー。
普段は大抵のことを笑って受け流す。
人の話も聞く。
上司が多少理不尽なことをしても、まあまあ、と笑っている。
なのに。
自分の中で一本線を引くと、そこから動かない。
「私は入社してから、ずっと営業畑で育ちました。お客様と対峙するのは営業です。何か問題が起きれば説明を求められる。取引先へ行っては頭を下げる。昨日まで笑って話していた相手から、『おたくの会社はどうなってるんだ』って言われるんです」
誰も口を挟まなかった。
「会社が何か発表すれば、その言葉を持って外へ出て行くのは営業です」
エースは企画部長を見た。
「現場が、その言葉を背負うんです」
企画部長の顔が曇った。
宣伝部次長が口を挟んだ。
「だからといって、何も説明しないわけにはいかないだろう」
「だから言ってるんです」
エースはすぐにそちらを向いた。
「やるなら、とことんやってください」
さっきまでの大声ではなかった。
妙に通る声だった。
「質問がなくなるまで説明する。あとから言うことを変えない。あなたたちの誰もが同じことを聞かれても、同じことを答えられるようにする。そこまでやる覚悟があるなら、会見を開いてください」
「君ねえ―――」
「中途半端にやるくらいなら、やらないでください」
遮った。
おお。
遮ったよ。
それいけ、エース。
「一回会見を開けば世間も納得するだろう。そんな程度のお考えなら、やめてください。次の話題が出るまで、外で頭を下げ続ける人間がいるんです」
「君はもう営業じゃないだろう」
誰かが言った。
エースの顔が止まった。
一瞬だけだった。
「そうです」
静かに言った。
「異動したからって、昨日まで一緒に働いていた人たちが他人になるわけじゃないです」
エース。
お前。
そういうところだぞ。
「だから、ここはドンと構えてください」
エースは前を向いた。
「やるならきちんと、とことんやる。やらないなら、何も語らない覚悟を持つ。決定権を持っているあなたたちが、フワフワしないでください」
そこで初めて、頭を下げた。
「お願いします」
深々と。
もう営業畑ではない男が、営業のために頭を下げていた。
頭を下げたまま、動かなかった。
頑固だ。
本当に。
頑固だ。
この男は、自分が大事だと思ったものを簡単には手放さない。
ポンコツ上司が一歩前へ出た。
「カスタマーセンターは、私どもにお任せください」
頭を下げる。
「判断する権限は、私どもにはありません」
上司が顔を上げる。
「ですから、もう一度ご再考をお願い致します」
そう言って、再び頭を下げた。
私は二人に歩み寄った。
そして、頭を下げた。
何をやっている。
総務部。
上司が顔を上げた。
「早速ではございますが、私どもは退室させていただきまして、業務に取り掛からせていただきます」
言うだけ言って歩き出した。
強い。
こういう時だけ。
エースも私も、それに倣って会議室を出た。
扉を閉める。
エースが泣いていた。
またか。
よく涙を流す男だ。
「泣いてんの?」
「泣いてないっす」
「泣いてるよ」
「泣いてないっす」
頑なだなーーー。
熱き男よ。
それから私ども総務部は、SNSの書き込みを一つ一つ拾い上げて資料を作り、電話対応に追われた。
トイレに行きたいという生理現象に耐え。
空腹を黙らせ。
鳴る電話を取る。
切る。
また鳴る。
取る。
謝る。
切る。
また鳴る。
それを繰り返した。
夕方になった。
今夜は焼き鳥を食べるはずだった。
けれど、誰もその話をしなかった。
よしのさんたちからも連絡はなかった。
私から、
“今日はかくかくしかじかで、すみません”
と一言送れば、それで済んだだろうに。
けれど、そんな余裕はなかった。
夜になった。
時計の針だけが進んでいった。
十時。
十一時。
会議室で聞いたエースの声が、何度も耳の奥で蘇った。
現場が、その言葉を背負うんです。
私は資料の数字を追いながら、何度も同じ行を読み返していた。
ようやく一斉送信メールが入った。
『諸々を最終判断した結果、記者会見は開かないものとする』
読んだ瞬間、体の中から力が抜けた。
椅子の背もたれに、ゆっくりと体を預ける。
息を吐いた。
長い息だった。
自分がずっと息を止めていたことに、初めて気づいた。
エースの熱弁が効いたのか。
上司の言葉が効いたのか。
三人で頭を下げたのが効いたのか。
な、わけないかーーー。
上が決めた。
それだけだ。
それだけで、電話の数が少し減るような気がした。
誰かに責められる回数が、少しだけ減るような気がした。
焼き鳥。
今夜、みんなで食べるはずだった。
さちこさんがいて。
よしのさんがいて。
エースがいて。
上司がいて。
私は、誰かの隣に座るはずだった。
約束を破ったわけではない。
“会社が大変だった”
そう理解してくれているはずだ。
Yahoo!ニュースは、トモッキーで溢れ返っている。
それだけだ。
それだけなのに。
寂しかった。
私は机の上の時計を見た。
日付が変わろうとしていた。
焼き鳥。
食べたかったな。




