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シリウスが見ていた  作者: 國生さゆり


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シーン15 憐憫の惰眠に堕ちてゆく



私は身体を丸めて寝ていた。


白檀の匂いがする着物を掛けられた。


吉乃さんだと分かっていた。が。

私は起きなかった。


「疲れたんだ。もう少し寝かせてくれないか」


尖った声で言い訳をした。

腹を立てていた。


イベントに吉乃さんが姿を現さなければ、あの騒動は起きなかった。

トモッキーも錯乱しなかった。

電話口の向こう側で誰かが笑うこともなかった。


そもそも吉乃さんが現れなかったら、タイムループの平安は続いていたはずだ。


何も手に入らない代わりに、何も失わない。

毎日を繰り返していたら、奈良橋のことだって思い出さずに済んだ。


あれはパワハラだった、と。

あれはセクハラだった、と。

認めた途端に、何年も蓋をしていたものまでもが、ぞろぞろと這い出してきた。


忘れていたかったこと。

忘れたふりをしていたこと。

自分が悪かったのだと思うことで、どうにか片づけたことを、もう見たくなかった。


やっぱり私は、怖かったのだ。

だから私はふて寝をしている。


考えなくていい場所へ。

悟らなくていい場所へ。

目立たなくていい場所へ。

何もしなくていい場所へ。


自責と後悔の惰眠へ沈んでゆく。


吉乃さんなら許してくれる。

そう信じて、落ちてゆく。


焼き味噌の香りで目が覚めた。

「腹が空いておろう」


目を開けると、朱塗りの膳が置いてあった。


焼き味噌と。

漬物と。

炊き立ての飯と。

湯次。


おお! 湯次だ!

時代小説で知った湯次が目の前にある。


だが、私は身体を起こさないままで言った。

「なんであの時、姿を現したのさ」


「そなたを守るためじゃ」


即答だった。


「……何から?」


「あの者についておった影が、そなたに興味を示したからじゃ」


「影?」


「人の気を吸う、魔の者じゃ」


私はビックリして身体を起こしていた。


「トモッキーについてたの?」


「左様」


「なんで」


吉乃さんは、すぐには答えなかった。


「人は時に、己の願いと引き換えに、払ってはならぬものを差し出す」


「願い?」


「欲じゃ」


吉乃さんはゆっくりとした口調で言った。


「欲は時に、生きる糧となる。腹を空かせた者が飯を求めるも欲。誰かに愛されたいと願うも欲。より良く生きたいと願うも欲じゃ」


そこで言葉を切った。


そして、


「じゃが、度が過ぎれば呪いとなる」と続けた。


トモッキーの顔が浮かんだ。

あの人は何を願ったのだろう。

何を欲しがったのだろう。


そして。

何を差し出したんだろう。


真っ直ぐ聞いても吉乃さんは答えないと思った私は、まわり道をすることにした。


「それが私と何の関係があるの?」


「申したであろう。影がそなたに興味を示したと」


「なんで、興味を持つのさ。……興味を持つようなもの、何も持ってないよ」


それを聞いた吉乃さんが私を見た。


「それが分かれば苦労はせぬ」と、のたまった。


知らんのか〜い。


私の身体から力が抜けた。

そのままゴロリと転がった。


「いつまでそうしておるつもりじゃ。さっさと起きて腹を満たさぬか」


「ホント、強引だよね。言い出したら聞かないのは旦那さんにそっくりだ」


吉乃さんが、ふふふと笑った。


「そなたも言うようになった」


私は鼻を鳴らして起き上がった。

腹は減っていた。


焼き味噌を飯に乗せる。

湯次を手に取り、湯を注いだ。


美味い。

腹が立つほどに美味い。

グイグイいける。


サラサラと湯漬けをかき込みながら、トモッキーのことを考えた。


なぜだろう。

憎み切れない私がいた。


憎みきれない、ろくでなしか。


欲しいものがある気持ちは、分からなくもない。


私にだってある。


失いたくないこと。

傷つきたくないこと。

誰かに好かれたいこと。


よしのさんにもう一度、手を取ってほしいという気持ち。


……。


最後のは今、関係ない。


とにかく。

魔が差す気持ちくらいは、私にも分かる。


二杯目を食べ始めた頃、戦場からの報告が入った。


うっすらとした影が吉乃さんのそばに膝をつき、低い声で何事かを告げている。

私は、ほんの少し見えるようになっていた。


吉乃さんの顔から、さっきまでの柔らかさが消えた。


「姉上へ金子を送れ。兵を助ける算段を急がせよ」


「はっ」


男が去る。


ついさっきまで、私に飯を食えと小言を言っていた人が、今度は誰かの生死を決める話をしている。死が近い時代の人たちは、なぜこんなにも腹が据わっているのだろう。そんなことを考えていた私に、吉乃さんが言った。


「久しぶりの今はどうであった?」


「変わらず、嫌なことしか起きなかった」


「恋心が芽生えたであろうに」


私は箸を止めた。


「誰のことだい?」


かっこつけた。


吉乃さんが笑った。


その視線が、私の左手へと落ちる。


指先の血豆を見つめて口にする。


「今を生きるを楽しんでおるな」


私は睨んだ。


「怪我したんだよ」


「ほう」


「痛かったんだから」


「ほう」


なんだ、その微笑みは。


「まずは、よしの殿に連絡してみてはどうじゃ」


「なんでそうなるの」


「会いたいであろう?」


私は飯を口へと運んだ。


「別に」


「ならば、会わずともよい」


無意識に箸が止まった。


吉乃さんは、こともなげに言った。


「それも、そなたの選ぶ行く末じゃ」


私は何も言えなかった。


左手を見た。


よしのさんが手に取ってくれた、私の左手。


もう一度。


ほんの少しだけ、で、いいと、

願った手。




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