シーン10 ホントですか?
店を出ると、さちこさんが言った。
「異業種交流っていいですね。よかったら、たまにランチしませんか」
警戒心の強かった人ほど、一度心を開くと深く信じるのかもしれない。
そんなことを考えながら、さちこさんの横顔を見ていた。
ふと、よしのさんの視線を感じた。
目が合う。
……。
誤解された気がした。
まただ。
私は反射的に視線を落とした。
歩道では、蟻がハエの死骸を運んでいた。
数匹がかりで、せっせと。
踏まないように避けたら、前を歩いていたエースの踵を蹴った。
「痛っ」
「すまない。蟻がいて」
エースが振り返った。
「ホントですか?」
――は?
疑ってる?
蟻を避けたんだよ。
お前の踵を蹴りたくて蹴ったわけじゃない。
私は大人気なく足元を指差した。
「ほら、そこ」
もう誤解されたくなかったのだ。
エースがしゃがみ込む。
「ほんとだ」
だから言っただろう。
心の中で勝ち誇った。
何に勝ったのかは分からない。
エースは地面を見たまま言った。
「蟻にしてみたら、ハエって重いんだろうな」
その一言で、みんなも何となく立ち止まった。
五人で蟻を見る。
昼下がりの歩道で、大の大人が五人揃って蟻を見ている。
知らない人が見たら、何か落としたと思うだろう。
上司が突然言った。
「グループLINE作りましょうか」
なぜ今なのか。
蟻に触発されたのか。
分からない。
だが誰も反対しなかった。
こうして、私に新しい通知先が増えた。
会社へ戻る途中、スマホが震えた。
よしのさんからだった。
《煮込みハンバーグ美味しかったです》
猫がぺこりと頭を下げるスタンプが添えられている。
すぐに、さちこさんが返信する。
エースも。
上司も。
早い。
私は出遅れた。
何か返さなければ。
スタンプ一覧を開く。
笑顔。
お辞儀。
親指。
犬。
猫。
猫。
猫。
なんで私はこんなに猫のスタンプを持っている。
迷った末、黒猫が頭を下げながら、
《何卒……》
と言っているスタンプを送った。
送信。
……。
待て。
何卒って何が?
何をお願いした、私。
それに「……」は何だ。
含みがある。
絶対に含みがある。
かまってちゃんに見えないか。
すかして見えないか。
「次もよろしくお願いします」という圧に見えないか。
いや、そもそも黒猫というチョイスが意味深ではないか。
あぁーーーーっ。
やっちまったか……!
私はスマホを凝視した。
既読が増える。
怖い。
誰か何か言ってくれ。
いや、触れないでくれ。
どっちだ。
数秒後。
エースが別のスタンプを送った。
さちこさんが笑っているスタンプを返した。
上司はなぜかパンダだった。
誰も私の黒猫には触れなかった。
……。
誰も気にしていなかった。
安堵した。
そして、少し可笑しくなった。
こんなどうでもいいことで焦っている。
さっきまで何百回も同じ日を生きていた男が、スタンプ一つで一喜一憂している。
今日を生きている実感がした。
会社へ戻ると、白板に見慣れない文字が書かれていた。
《明日 屋外イベント応援》
《全員早出》
私は立ち止まった。
明日。
その文字を、しばらく見た。
早出。
私は小さく息を吐いた。
明日は、明日で。
今日は今日で。
今日と同じ日ではないらしい。




