「でも泣くなとは言わない」
紅羽が最初に届いた。
槍を低く構えて、真正面から。
祭祀種は細い腕みたいなものを何本も広げる。先端にぶら下がっているのは鈴……に見えて、よく見たらぜんぶ歪んだ骨だった。気持ち悪い。
「っ……!」
紅羽の一撃が外殻へ食い込む。硬い。兵骸種とはぜんぜん違う感触だ。槍先がめり込みはする。でも、砕けない。
そこへ右から琥珀が飛び込む。
「どけぇぇっ!」
籠手がうなる。衝撃蓄積を乗せた拳が横殴りに叩き込まれて、祭祀種の脇腹みたいな場所がひしゃげた。
鈍い音。
歪んだ鐘の音が一瞬だけ止まる。
「いける!」
琥珀が叫ぶ。
「まだだ!」
夕璃はそう返しながら前へ出た。
祭祀種の外殻は、殴れば壊れる。けど、壊しきる前に音を鳴らされるとまずい。紫月の領域があるうちに、核を見つけて止めるしかない。
「詩乃!」
「左の奥」
即答だった。
「たぶん、胸の中。でもちょっと深い」
「了解」
夕璃は長刀を握り直す。
祭祀種が腕を振る。横殴りの鈍い一撃。夕璃は身をひねってかわし、ついでにその腕を斬る。切れた。けど、落ちた先から黒い煙みたいにほどけて、また別の場所へ繋がり直す。
面倒くさい。
ほんとにこういうタイプは嫌いだ。
「紅羽、正面もっと押せる?」
「押す!」
返事と同時に、紅羽の圧が強くなる。
戦場圧。
前へ出る意志をそのまま力に変えるみたいな能力だ。いつ見ても、たちが悪いくらいまっすぐで、でも頼もしい。
祭祀種の上体がわずかにのけぞる。
今だ。
「琥珀、右からもう一発!」
「おっけ!」
琥珀が地面を蹴る。小柄なくせに一歩が重い。ぐん、と低く加速して、今度は拳じゃなく肘から入った。
衝撃。
ひしゃげた外殻にひびが走る。
その隙間へ、夕璃はそのまま飛び込んだ。
紫月の領域の中なのに、まだ嫌な音が耳の奥を引っかく。ちり、ちり、ちり……鐘というより、爪でガラスを撫でるみたいな音だ。
気持ち悪い。
それだけじゃない。
見えてはいけないものが、視界の端ににじむ。
燃える旗。折れた槍。膝をつく誰か。夢の続きみたいな景色。
「夕璃ちゃん!」
詩乃の声が飛ぶ。
夕璃は歯を食いしばった。
前だ。
今は前を見る。
長刀を突き込む。
ひびの入った外殻を押し広げるみたいに、刃が入る。その奥、どくどくと脈打つような黒い塊が見えた。核。
見つけた。
「紅羽、固定!」
「任せろ!」
紅羽の槍が祭祀種の身体を正面から押さえ込む。完全に止めるには足りない。でも十分だ。
「琥珀、下がれ!」
「まだ殴れる!」
「下がれって!」
強めに言うと、琥珀は悔しそうにしながらも一歩引いた。
その判断が早いの、今日はほんと偉い。
夕璃は接続を切り替えた。
長刀の形が少しだけ変わる。厚みが減って、鋭さが増す。斬るためじゃなく、貫くための形。
紫電の剣聖。
今はこれでいい。
「借りる」
誰に言うでもなく小さくつぶやいて、夕璃は踏み込んだ。
核まで一直線。
でもその瞬間、祭祀種の中心の穴が大きく開いた。
まずい、と思うより先に音が来る。
鐘の音。
今度はさっきまでよりずっとはっきり、近く。
耳じゃない。頭の中に直接、濁った鐘を落とされたみたいな衝撃。
「……っ!」
足が止まる。
視界が歪む。
知らない景色が一気に流れ込んできた。
崩れた礼拝堂。泣いている子ども。血のついた白い手。笑っている誰か。自分じゃない視点。自分じゃない呼吸。
やばい。
これ、持っていかれる。
夕璃が歯を食いしばった瞬間、背中にやわらかい熱が触れた。
「戻って」
紫月の声だった。
静謐領域が、一段深くなる。
白い光が夕璃の輪郭を縫い留めるみたいに流れ込んで、頭の中の濁流を押し返す。
完全には消えない。
でも、足は戻る。
「……ありがと」
「あとで言って」
紫月の声は少しだけ苦しそうだった。
領域を維持しながら、さらに夕璃に寄せている。負担が大きいのがわかる。
なら、今ので決める。
夕璃は目の前だけを見る。
黒い核。
脈打つ中心。
あれを落とす。
「夕璃ちゃん、右!」
詩乃の警告。
反射で体をひねる。祭祀種の腕が薙いできていた。ぎりぎりでかわす。頬をかすめる。熱い。
でも崩れない。
夕璃はそのまま一歩、もう一歩と踏み込んだ。
「そこだぁぁっ!」
横から琥珀の声。
下がったはずの琥珀が、今度は遠巻きに回って、祭祀種の脚部を思いきりぶん殴った。衝撃で巨体のバランスがわずかに崩れる。
「九条!」
紅羽が怒鳴る。
「今のは必要!」
「必要だったけど勝手に戻るな!」
「ごめん!」
すごい勢いで怒られながら謝ってる。忙しいな。
でも、その一撃で十分だった。
祭祀種の核が、ほんの少しだけむき出しになる。
「もらう」
夕璃はそう言って、刃を突き込んだ。
手応え。
硬い外殻じゃない。もっと深い、嫌な感触。
核を貫く。
同時に、残響が走る。
一撃のあとを追うみたいに、遅れて二つ目の斬撃が同じ場所を裂いた。
祭祀種の身体が大きく震えた。
鐘の音が、途中でひしゃげる。
ちり……ぎ、みたいな変な音になって、それっきり止まる。
静かになった。
いや、ほんとは周りでいろんな音が鳴ってる。遠くの警報も、人の声も、兵骸種の足音もある。
それでも、さっきまで頭の中をひっかいていた嫌な音が消えたぶん、世界が急にまともに戻ったみたいに感じた。
祭祀種が崩れる。
細い腕も、歪んだ外殻も、黒い煙みたいにほどけて、地面へ落ちる前に霧散していく。
【上位敵性反応、消失】
演算音声じゃない。実戦用の簡易端末が、夕璃の手首で短く告げた。
夕璃はやっと息を吐いた。
「……終わった」
「終わってない!」
紅羽の声が飛ぶ。
「周囲確認!」
「あ、はい」
思わず素で返した。
紅羽は槍を引き抜きながら、あたりを見回している。まだ戦闘の顔だ。切り替えが早い。
琥珀は肩で息をしているけど元気そう。詩乃はいつの間にか近くへ戻っていて、外れた髪を指で直している。紫月は……少し顔色が悪い。
「紫月」
「平気」
言うのが早い。
平気な人の返答じゃない。
「平気じゃないだろ」
「でも動けるから大丈夫」
「それ、さっき霧島教官に怒られてたやつ」
夕璃が言うと、紫月は一瞬だけ目を丸くして、それから少し笑った。
「ほんとだ」
「笑ってる場合じゃない」
「それもそう」
その会話の途中で、通信が入る。
『第七、上位反応消失を確認。よくやった』
黄虹隊、御剣千晴の声だった。
短い。けど、その短さの中に少しだけ安堵が混じっていた。
『だが居住ブロック西側で避難遅れが出ている。救援を優先しろ』
「了解」
夕璃が返す。
終わっていない。ほんとに。
祭祀種を落としても、まだ住民がいる。兵骸種も残ってる。戦場はそう簡単に区切りよく終わらない。
「行くぞ」
夕璃が言う。
紅羽がうなずく。
そのとき、路地の向こうから泣き声が聞こえた。
子どもの声。
細い。途切れ途切れ。怖くて、息がうまく吸えてない泣き方。
「っ」
琥珀が反射でそっちを見る。
「隊長!」
「行く!」
第七部隊が路地へ飛び込む。
商店区画の角を曲がった先、小さな駐輪場の陰に、小学校低学年くらいの女の子がしゃがみ込んでいた。近くに倒れた自転車。泣きながら耳を塞いでいる。
たぶん、さっきの鐘の音で動けなくなっていたんだろう。
その少し先、兵骸種が一体、ゆっくりそっちへ向かっている。
「行かせるか!」
琥珀が飛ぶ。
今度の踏み込みは迷いがなかった。
拳を叩き込む。兵骸種が横へ吹き飛ぶ。壁にぶつかって崩れ落ちた。
紅羽がすぐに周囲を確認する。
「他は!」
「いない!」
詩乃が答える。たぶんほんとだ。
紫月が先に女の子のところへしゃがみ込んだ。
「大丈夫。もう大丈夫だよ」
声の出し方が、戦闘中とまるで違う。
やわらかい。あったかい。ちゃんと、怖がってる相手の方へ届く声だ。
女の子は顔をぐしゃぐしゃにしながら紫月を見る。
「お、おかあさんが……」
「どこで別れたかわかる?」
「むこう……おみせ……」
指さした先は、通りを一本越えた先の商店列。
夕璃が地図を頭の中で組む。避難導線から少し外れてる。嫌な位置だ。
「紅羽、琥珀、通りを押さえろ。詩乃は先行。母親探す。紫月はこの子連れて一回下げて」
「了解」
紅羽が即答。
「了解!」
琥珀も続く。
「わかった」
詩乃はもう動いていた。
「夕璃ちゃんは?」
紫月が聞く。
「わたしは詩乃の後ろ」
それだけ言って、夕璃も走り出した。
商店列の通りは、さっきよりひどかった。シャッターが半分閉まった店、割れたガラス、転がる商品、放り出されたカゴ。避難の途中で時間が切れたみたいな景色だ。
詩乃の声が前から飛ぶ。
「いた」
夕璃が加速する。
路地の奥、店の入り口の前で、女の人が倒れた棚に足を挟まれていた。生きている。けど、兵骸種が一体すぐ近くにいる。
そいつもこちらに気づく。
「詩乃!」
「わかってる」
詩乃の姿が消える。
次の瞬間には兵骸種の背後にいた。双短刀が一閃。首筋を断つ。きれいすぎて、見ててちょっと怖いくらいだ。
兵骸種が崩れる。
夕璃はすぐに女の人の方へ向かった。
「動けますか」
「……っ、娘、娘が……!」
「生きてます」
そう言うと、女の人の顔が一気に崩れた。泣きそうになって、それをこらえる顔だ。
「紫月が保護した。今、下がらせてる」
「よかった……」
言って、力が抜ける。
まずい。
「詩乃、棚どかせる?」
「やる」
二人で棚を持ち上げる。重い。演習体じゃない現実の棚は、変に生々しくて嫌だ。
「っ、せ……!」
「夕璃ちゃん、力ないなあ」
「うるさい」
「ほんとのこと」
「斬るぞ」
「その言い方はちょっとこわい」
軽口を叩きながらも、詩乃の手は速かった。棚が持ち上がり、夕璃が女の人を引きずり出す。
足首を痛めてる。歩けるけど速くはない。
「肩貸します」
「……ごめんなさい」
「あとででいいです。今は動いて」
自分でもちょっとびっくりするくらい、すらっと口から出た。
たぶん紅羽の影響だな、と夕璃は思う。前なら、もう少し雑な言い方をしていた気がする。
通りへ戻ると、紅羽と琥珀がきっちり押さえていた。
「母親、確保!」
夕璃が叫ぶ。
紫月のところへ合流する。女の子はまだ泣いていたけど、さっきよりずっと落ち着いていた。母親の顔を見た瞬間、声にならない泣き方で飛びつく。
その勢いで、紫月がちょっとだけよろけた。
「紫月!」
「平気……」
またそれだ。
けど、今はほんとに突っ込んでる暇がない。
女の子と母親を黄虹隊の避難導線へ預ける。黄の隊員がしっかり受け取ってくれる。そこはほんとに頼もしい。
そのとき、外壁側から大きな衝撃音が響いた。
ごん、と腹にまで来る音。
全員が振り向く。
東側の区画の向こう、煙が一段大きく上がっていた。
通信が荒れている。
『赤隊、南交差点押し返される!』
『追加反応、二、いや三!』
『緑、医療班前へ!』
嫌な増え方だ。
朝に霧島が言っていた“連動してる”ってやつかもしれない。
「第七!」
今度の通信は霧島だった。
『南交差点へ回れ。赤と黄の間に穴が開く!』
「了解!」
夕璃が返す。
紅羽が槍を握り直す。琥珀はもう前を向いている。詩乃は静かに目を細め、紫月はまだ少しつらそうなのに立つ。
休む暇なんか、やっぱりない。
「走るぞ!」
夕璃が先に踏み出す。
南交差点。
そこが次の戦場だ。
そして夕璃は走りながら、胸の奥のざわつきがまだ消えていないことに気づいていた。
祭祀種の音は止まった。
でも、さっき頭の中で聞こえた声だけが、まだ少しだけ残っている。
今度は、落とすな。
誰の声だ。
なんで今さら、そんなふうにこびりつく。
夕璃は一度だけ目を閉じかけて、すぐに開いた。
今はまだ、そんなことを考える時間じゃない。
前だ。
前に行く。
けれど、そのざわつきは、次の戦場の手前までずっと背中に張りついて離れなかった。
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