「優しい人から先に壊れる」
南交差点は、近づく前からひどかった。
煙が低く流れている。道路の真ん中で配送車が横転していて、その向こうに赤虹隊の前衛が見えた。押し返されてる。いや、押し返されないように踏ん張ってる、が近い。
交差点の信号は全部壊れていた。点滅もしていない。色を失ったまま、空に向かって立っているだけだ。
その足元を、兵骸種が歩いていた。
五……いや、六。
しかもその奥、煙の中にひときわ大きい影が一つある。
「多いな」
夕璃が言う。
「多いですませるな」
紅羽が即答した。
「でも多いだろ」
「それはそうだけど!」
琥珀が叫ぶ。
元気だな……と一瞬思ったけど、その声も少しだけ上ずっていた。さすがにわかるか。これだけ露骨に戦線がきしんでれば。
前方で赤虹隊が踏みとどまっている。
天童朱里がいる。大剣形態の武器を振り抜いて、一体、また一体と兵骸種を押し返していた。真っ正面から強い。ああいうのを見てると、戦う前にもう勝ってる人っているんだなと思う。
でも、今はその朱里でも押しきれていない。
大きい影のせいだ。
煙の向こうのそいつが、交差点のど真ん中に居座っている。
人型に見える。けど、人じゃない。全身に道路標識みたいな板をぶら下げていて、その下で黒い肉みたいなものが脈打っている。頭のある場所には、信号機の残骸みたいな三つの灯が埋まっていた。全部消えてるくせに、見られてる感じだけははっきりある。
「……あれ、なに」
琥珀が低く言った。
「兵骸種じゃないね」
紫月の声は静かだったけど、少し硬い。
詩乃が目を細める。
「亡都寄りかな」
「祭祀じゃないの?」
「音がないから違うと思う」
詩乃のそういう判断は、だいたい当たる。
夕璃は前を見る。
その大型個体の周りだけ、兵骸種の動きが明らかに揃っていた。ばらばらに突っ込んでくるんじゃない。壁を作るみたいに並んで、赤虹隊の前進をずらしている。
嫌な敵だ。
めちゃくちゃ嫌な敵だ。
通信が入る。
『第七、見えたか』
霧島の声。
「見えた。大型一。兵骸六」
『ああ。識別はまだだが、統制系の上位だ。南交差点の穴を埋めろ。赤だけじゃ押し切れん』
「了解」
返しながら、夕璃は一歩前へ出る。
そのとき、前方から朱里の声が飛んできた。
「黒瀬さん!」
ちゃんと戦場の声だった。通る。迷いがない。
「そっちの支援、お願いできる!?」
「任せて!」
夕璃が返すより早く、琥珀が叫んだ。
「おい」
「いやだって今のは!」
「別にいいけど」
夕璃は息を吐いて、交差点全体を見た。
赤虹隊は中央を押さえている。でも大型に足を取られて、左右の兵骸種を処理しきれていない。黄虹隊は避難導線を守るので手いっぱい。緑は後ろ。第七が入るなら、右から崩すしかない。
「紅羽、中央は朱里先輩に合わせろ。真正面からぶつかるな」
「了解」
「琥珀は右の壁。大型じゃなく兵骸を散らせ」
「え、大きいの殴りたい」
「後で」
「ほんとに!?」
「ほんと」
「よっしゃ!」
単純で助かる。
「詩乃、左の死角から大型の足回り見て。核が見えるなら最優先で教えて」
「了解」
「紫月は後方固定。赤隊も含めて範囲広げられる?」
「ちょっと無理するけどやる」
「無理しすぎるな」
「そのセリフ、そのまま返していい?」
「今はやめて」
「じゃああとで言う」
その返しができるならまだ動ける。
夕璃は長刀を構える。
ざわつきはまだある。祭祀種の残りみたいな嫌な感覚。でも、さっきほどじゃない。まだ前を見られる。
「第七、入る!」
走る。
交差点へ。
最初にぶつかったのは右側の兵骸種だった。二体。車の陰を使って待ち構えていたらしい。演習より露骨にやらしい。
「夕璃ちゃん、右下!」
詩乃の声。
夕璃は反射で足を浮かせる。地面すれすれを、兵骸種の腕が薙いでいった。あっぶない。
「助かった!」
「あとで感謝して」
「高くつきそうだな!」
言いながら斬る。兵骸の肩口を裂く。残響を置く。半歩ずれて二体目の攻撃を避け、遅れて走った斬撃で一体目が崩れる。
その横を、琥珀が弾丸みたいに抜けていった。
「どけどけどけぇぇっ!」
籠手の一撃で兵骸種が一体吹っ飛ぶ。道路標識にぶつかって折れた。火力だけならほんと頼もしい。
でも、
「琥珀、奥行きすぎ!」
「見えてる!」
「見えてるなら止まれ!」
「今止まる!」
返事はいい。
止まるのが半拍遅い。
その瞬間、大型個体の頭部……信号機の残骸みたいな三つの灯のうち、真ん中が赤く点いた。
嫌な予感。
「下がれ、琥珀!」
夕璃が叫ぶ。
遅い。
大型の腕みたいなものが横へ薙いだ。太い。標識や鉄骨や何かの残骸がぐちゃっと固まったみたいな腕。
琥珀がとっさに両腕で受ける。
衝撃。
小さい体が横へ吹き飛ぶ。
「ぐっ……!」
「九条!」
紅羽が吠えた。
琥珀は転がる。でもすぐ起きる。完全には入ってない。紫月の光が間に合って、威力を少しだけいなしたんだろう。
それでも痛いはずだ。
「だいじょうぶ!」
本人は叫んだ。
「次から気をつける!」
「今の“次”は本来あっていいやつじゃない!」
紅羽が怒鳴る。
けど、怒鳴れるってことはまだ余裕がある。そこはいい。
夕璃は大型へ目を向けた。
赤。
信号灯の色が切り替わっている。
まさか、と思った瞬間、周囲の兵骸種の動きが変わった。
一斉に前へ出る。
「統制信号……!」
朱里の声が飛ぶ。
そういうタイプか。
信号で周りの兵骸を制御している。赤で突撃、みたいな単純なものじゃないかもしれないけど、少なくとも動きが変わった。
面倒だな。ほんとに。
『第七、そいつを止めろ!』
霧島の声。
「言われなくても!」
夕璃は舌打ちした。
大型を落とす。そうすれば兵骸の統制が崩れる。理屈は単純。でもそこまでが遠い。
正面には朱里と紅羽。右に琥珀。左は詩乃。紫月は後ろで光を広げている。
形としては悪くない。
あと一押し、のはずなのに。
そのとき、上空から銃声が走った。
一発。
大型の肩口が弾ける。
「青!」
琥珀が叫ぶ。
高所通路。青虹隊の支援だ。凪か、雫か、その両方か。どっちでもいい。今は助かる。
直後、通信に雫の声が乗る。
『右肩の装甲、薄い。そこ起点で崩せる』
落ち着いた声。
ちょっと腹立つくらい落ち着いてる。
「了解!」
夕璃が返した。
「紅羽、右肩!」
「見えた!」
「琥珀、今度こそ合わせろ!」
「おっけ!」
「ほんとか!?」
「今回はほんと!」
なんで毎回確認しないと不安なんだろうなこいつは。
でも、やるしかない。
夕璃は大型の前へ出る。真正面。危ない位置。わざとだ。視線を引く。
大型の信号灯が、今度は黄色に変わった。
嫌な色だ。
周囲の兵骸種が一瞬止まる。次の動作へ入る前兆みたいな静止。
それと同時に、大型の腕が夕璃へ向けて振り上がる。
「夕璃ちゃん、来る!」
詩乃の声。
わかってる。
わかってるから、避けない。
夕璃は半歩だけ踏み込み直す。
「黒瀬!」
紅羽の怒声。
次の瞬間、腕が振り下ろされる。
直撃寸前で、夕璃は長刀を下からすくい上げた。まともに止めるんじゃない。流す。ほんの少しだけ軌道をずらす。
重い。
腕がしびれる。
でも、ずれた。
大型の体勢がほんの一瞬だけ泳ぐ。
「紅羽!」
「任せろ!」
槍が閃く。
右肩へ突き込まれる。さっき青が開けた傷へ、紅羽の一撃がまっすぐ入る。
そこへ琥珀が飛ぶ。
「うおぉぉぉっ!」
今度は拳じゃない。全身を乗せた体当たりみたいな一撃。衝撃蓄積を全部ぶち込んだんだろう。大型の右上半身がぐらっと傾く。
ひび。
装甲の割れる音。
『核、首の下!』
雫の声が通信に落ちる。
同時に、詩乃の声も聞こえた。
「見えた! 首の奥!」
重なる。
それで十分だった。
夕璃は接続を切り替える。
長刀の重さが変わる。切るための形から、裂いて抜ける形へ。
夢の残りが、また少しだけ背中を這う。
でも今は、使う。
「借りる」
小さく言って、踏み込む。
大型の首元。割れた装甲の隙間。そこに黒い脈動が見える。
核。
そこへ、一閃。
斬る。
でも浅い。硬い。
大型がのけぞる。赤信号がまた点こうとする。
まずい。
もう一撃いる。
その瞬間、視界の端で、朱里が動いた。
赤虹隊長、天童朱里。
大剣を引き絞るみたいに構えて、そのまま大型の正面へ斬り上げる。
「開ける!」
短い声。
正面が裂ける。
それで十分だった。
夕璃はもう一度、核へ届く角度を作る。
今度は迷わない。
斬る。
残響が遅れて走る。
二撃目。
核が縦に割れる。
大型の三つの信号灯が、一瞬だけ全部点いて、それからまとめて消えた。
交差点全体が静かになる。
兵骸種の動きも、ほんの一拍だけ止まった。
『統制反応、消失!』
青虹からの通信。
その直後、赤虹隊と黄虹隊が一気に押し返す。動きの揃っていた兵骸種がばらけた。こうなれば数の問題だ。
「第七、残党処理!」
朱里の声が飛ぶ。
「了解!」
紅羽が返す。
そこからは早かった。
統制を失った兵骸種は、さっきまでほど嫌らしくない。紅羽が押し、琥珀が砕き、詩乃が死角から落とし、夕璃が中央を切り払い、紫月がぎりぎりのところを縫い合わせる。
数分後。
南交差点の敵性反応は、ようやくゼロになった。
終わった。
今度こそ、少なくともこの区画は。
夕璃は息を吐いた。
肩が重い。腕も少し痛い。でも動ける。
紅羽も肩で息をしていた。琥珀は道路脇にへたり込みそうになって、でも気合いで立っている。詩乃は静か。紫月は……顔色が悪い。
やっぱり悪い。
祭祀種の時点でかなり削って、そのあともずっと支援を広げていた。無理が出ないわけがない。
「紫月」
夕璃が近づく。
「……うん、大丈夫」
「だいじょうぶの顔じゃない」
「今日それ何回目かな」
「知らない。多いのは知ってる」
紫月は少し笑って、それから壁にもたれた。
ほんとに危ない時は笑う余裕もなくなる。このくらいならまだ持つ……いや、その判断はもう危ないんだよな。
そこへ朱里が歩いてきた。
近くで見ると、やっぱりちゃんと疲れている。けど、それを表に出すのがうまい。
「助かった」
朱里が言う。
「第七が来てくれてよかった」
「そっちもです」
紅羽が少し硬い声で返した。
朱里は紅羽を見て、それから第七部隊全員を見た。
「いい動きだった」
言われて、琥珀の顔がちょっとだけ明るくなる。
でもその直後、別の声が飛んできた。
「褒めるのは後だ」
御剣千晴だった。
黄虹隊の隊員を二人連れて、避難導線の奥からこっちへ来る。顔は相変わらず堅い。
「居住ブロックDで避難遅れの報告。こっちの処理が済んだ隊から回す」
終わらない。
まあ、そんな気はしていた。
「第七は行けるか」
千晴の問いは事務的だった。
でも、問いかける相手として第七を選んでいる時点で、少しだけ変わったのかもしれない。少なくとも、“危ないから下げる”じゃなく、“動けるなら使う”に近い。
紅羽が夕璃を見る。
夕璃も、紅羽を見る。
隊長としては紫月を休ませたい。かなり。できるなら今すぐ。
でも、前線がまだ開いてるのも事実だ。
「……紫月」
夕璃が呼ぶ。
「行ける?」
聞き方としては最低かもしれない。
でも、本人に聞かずに決めるのも違う気がした。
紫月は一度だけ目を閉じて、それから開く。
「短くなら」
その返事が来ると思っていたのに、やっぱり少しだけ胸が重くなる。
「じゃあ短くで終わらせる」
夕璃はそう言って、千晴へ向き直った。
「第七、行けます」
千晴が短くうなずく。
「わかった。ならD区画を頼む」
その直後、通信がまた鳴った。
今度の声は霧島じゃない。
綾瀬冬子だった。
『第七部隊、聞こえる?』
「聞こえる」
夕璃が返す。
『皇さんの生体負荷がかなり上がってる。これ以上の領域拡張は止めて』
紫月が少しだけ困った顔をした。
「見られてた」
「そりゃ見られてるだろ」
夕璃が言う。
綾瀬の声は続く。
『あと、黒瀬さん。あなたも汚染値が上がってる。祭祀種との接触時に一瞬、波形が乱れた』
やっぱりか。
背中のざわつきは気のせいじゃない。
『任務中だから今は止めない。でも、これ以上おかしな反応が出たら即報告。いい?』
「……了解」
返事をしながら、夕璃は少しだけ奥歯を噛んだ。
やっぱり面倒だ。
でも、止まるわけにもいかない。
詩乃がこっちをちらりと見た。
たぶん気づいてる。
でも今は何も言わない。その無言が逆にありがたい。
朱里が剣を肩に担ぎ直す。
「じゃあ、こっちはこっちで押し返す」
その声音は、さっきより少しだけ軽かった。
「一条」
「はい」
「さっきの連携、悪くなかったよ」
紅羽の目が少しだけ見開く。
「……ありがとうございます」
「次はもっときれいに行こう」
「はい」
朱里はそれだけ言って、赤虹隊へ戻っていく。
残った空気の中で、琥珀がぼそっと言った。
「やっぱずるいなあ……」
「何が」
夕璃が聞く。
「全部」
それはまあ、ちょっとわかる。
でも今はそれを言ってる場合じゃない。
D区画。
まだ終わっていない。
夕璃は長刀を握り直して、前を見る。
その瞬間、視界の端で何かが揺れた。
ほんの一瞬。
倒れた信号機の影に、誰かが立っていた気がした。
女の人。
ぼやけた輪郭。
夢の中の。
「……っ」
夕璃の呼吸が止まりかける。
「隊長?」
琥珀の声。
瞬きしたら、もう何もいなかった。
ただの信号機の残骸だけ。
「どうした」
紅羽が聞く。
「いや……」
気のせい、だと言おうとして、夕璃は少しだけ言葉につまった。
気のせいにしていいやつか、わからなかったからだ。
でも、今ここで立ち止まるわけにはいかない。
「なんでもない。行くぞ」
そう言って、夕璃は先に歩き出した。
背中に、視線みたいな感覚だけがまだ少し残っていた。
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