「正しさは一人分じゃ足りない」
待機命令が出てから三分後には、第七部隊はもう戦術棟の小会議室へ戻されていた。
早い。こういうときだけ、学園の動きは妙に速い。
廊下を走る足音。端末の通知音。どこかで鳴る短い警報。さっきまで演習場にあった“訓練の空気”が、まとめてどこかへ消えていた。
会議室の中には霧島がいて、壁の大型モニターには東側外縁の地図が出ていた。
赤い点滅が三つ。
夕璃は席につくより先に、それを見る。
「三か所」
「二つは小反応、一つがやや大きい」
霧島が端末を操作しながら答えた。
「今のところ、通常部隊で押さえられる範囲だ。ただし、増え方が嫌だな」
「嫌っていうのは」
紅羽が聞く。
「散ってるくせに、妙に連動してる」
霧島の言い方はいつも通り雑だった。でも、その雑さの奥にある“嫌な予感”だけはわかった。
夕璃はモニターへ近づく。
東側外縁。居住区寄り。物流ラインの近く。
朝の警戒レベル2から、いきなり3。
「兵骸種ですか」
紫月の声は静かだった。
「まだ断定はできん」
霧島が答える。
「ただ、先に出た哨戒部隊の報告だと、動きがやや妙だ。突発湧きにしては統率がある」
「また、さっきみたいな感じ?」
琥珀が少しだけ顔をしかめる。
「たぶん、もっと悪い」
霧島はあっさり言った。
「外縁居住区に住民が残ってる時間帯だ。避難が遅れれば、ただ倒しゃいいって話じゃなくなる」
それを聞いて、会議室の空気がさらに一段落ちた。
紅羽がすぐに前のめりになる。
「どの部隊が出ますか」
「第一、第三、第四が優先待機。第七は未定」
未定。
夕璃はその言葉を頭の中で転がした。
出ないかもしれないし、出るかもしれない。いちばん落ち着かないやつだ。
琥珀が手を挙げる。
「え、未定ってことは行けるってこと?」
「その元気はどこから来るんだ」
夕璃が言う。
「いやだって、正式稼働日だし!」
「そういうとこだぞ、九条」
紅羽が刺す。
「でも、行けるなら行きたいのはわかるだろ」
「わかるけど顔に出しすぎなんだよ」
「隊長も内心ちょっと行きたいでしょ」
「……否定はしない」
「ほら」
琥珀がちょっとだけ得意げになる。
そこへ霧島が低く言った。
「浮つくな。行けるかどうかと、行っていいかどうかは別だ」
その一言で、琥珀もちゃんと黙る。
霧島は第七部隊を順番に見た。
「お前らはさっきの演習で勝った。が、評価は見た通りだ。連携は荒いし、損耗想定は高い。今の段階で実戦に出していいのか、上はまだ迷ってる」
「監察対象、ですもんね」
詩乃が言う。
あっさりした口調だった。
でも、その言葉はちょっとだけ部屋の空気をひっかいた。
霧島は否定しなかった。
「そうだ」
短い。
「面倒くさい話だが、今のお前らは戦力である前に、事故要因でもある。使いたがるやつもいれば、使いたくないやつもいる」
「感じ悪」
琥珀がぼそっと言った。
「感じは最初から悪い」
夕璃が返す。
「知ってる」
霧島が肩をすくめた。
「だが、知っとけ。実戦ってのは敵だけじゃなく、人間側の都合でも動く」
その言い方は、ちょっとだけ重かった。
たぶんこの人は、そういう場面を何度も見てきたんだろう。
能力より都合。命より運用。感情より判断。そういうものに切られる場面を。
紫月がそっと聞く。
「……もし出ることになったら、任務内容は」
「救援寄りになる」
霧島は即答した。
「外縁居住区の避難援護。敵の種類次第では殲滅より住民誘導優先。黄虹と緑虹が軸になる。そこに第一が壁を作る。第七が入るなら、崩れたところの穴埋めだ」
つまり、いちばんいやなポジションだ。
きれいな部隊で処理できない部分を押し込まれる。
でもまあ、第七ってたぶん最初からそういう役回りだ。
「いいじゃん」
詩乃がぽつりと言った。
「らしい」
紅羽が横目で見る。
「お前はそういう言い方をするな」
「どうして?」
「嬉しそうに聞こえる」
詩乃は少しだけ目を丸くして、それからいつもの薄い笑い方をした。
「してないよ」
「してる」
夕璃が言う。
「夕璃ちゃんまで」
「わかりやすいからな」
たぶん詩乃本人にはそのつもりはない。ないけど、この子は危ない匂いのする場面で少しだけ落ち着くところがある。たぶん、そういう自分を本人がいちばん嫌っている。
紫月がその空気をやわらげるみたいに口を開いた。
「任務が救援寄りなら、なおさら気をつけないとだね」
「そうだ」
紅羽もうなずく。
「敵を倒すだけなら簡単な場面でも、住民を挟むと話は違う」
「さっきの千晴隊長のやつだな」
夕璃が言うと、紅羽の目が少しだけ鋭くなった。
「……忘れていない」
「忘れた方がやばい」
「わかってる」
短い会話だった。
でも、そこにさっきまでの刺々しさは少なかった。
ちゃんと同じものを見ている感じがある。
霧島が壁の時計を見た。
「とりあえず待機だ。装備はいつでも出られる状態にしとけ。軽食、補給、水分、接続安定剤。あと、今のうちにトイレ行っとけ」
「最後だけ急に現実」
夕璃が言う。
「現実だろうが。戦場でトイレ行きたくなってからじゃ遅い」
「それはそうだけどさあ」
琥珀が言いながらも立ち上がる。
「じゃ、補給室行ってくる!」
「走るな」
「でも時間ないかもだし!」
「廊下では走るな!」
「じゃあ早歩き!」
「それはただの走る一歩手前だ!」
「細かっ」
でも琥珀はもう動いていた。
紅羽も追いかける。
「九条!」
「うわ、来た!」
「待て!」
「待たない!」
扉がばたんと閉まる。
うるさい。
でも、そのくらいの音があった方が、会議室の重さが少しだけ薄まる。
紫月が小さく笑った。
「元気だねえ」
「元気っていうか、落ち着きがないだけだろ」
「でも、ああいう子がいると助かることもあるよ」
「それは、まあ」
否定はしない。
琥珀がいないと、たぶん第七部隊の空気はもう少し冷える。冷えすぎる。
霧島が端末を閉じて、夕璃を見る。
「黒瀬」
「なに」
「お前は残れ」
紫月と詩乃が同時にこっちを見た。
夕璃はちょっとだけ眉を上げる。
「わたしだけ?」
「一条もあとで戻す。先に九条の回収がいるからな」
「面倒見いいなあ」
「言ってろ」
霧島の顔はあんまり変わらなかったけど、少しだけ視線が硬い。
嫌なやつだな、と思う。こういう呼び止め方は、だいたい軽い話じゃない。
「じゃあ、わたしたちは先に補給に行ってくるね」
紫月が言う。
その声はやわらかいけど、目は少しだけ心配していた。
「うん」
夕璃がうなずくと、詩乃が扉のところで振り向く。
「怒られすぎないでね」
「なんで怒られる前提なんだよ」
「なんとなく」
「勘で言うな」
「当たるから」
そう言って、詩乃と紫月も出ていった。
会議室に残るのは、夕璃と霧島だけになる。
一気に静かだ。
さっきまで人がいたせいで、逆にその静けさが目立つ。
霧島は椅子に浅く腰かけたまま、机の上に肘をついた。
「座れ」
「立っててもいいけど」
「いいから座れ」
「はいはい」
夕璃は適当な席に座った。
机を挟んで向かい合う形になる。面談みたいで、あんまり好きじゃない。
霧島はしばらく何も言わなかった。
その沈黙がちょっとだけ長い。
「……で」
夕璃が先に口を開く。
「なんの話」
「顔色の話」
「うわ、そこから来るの」
「朝も言ったろ」
「言ったけど」
霧島は指先で机を軽く叩いた。
「夢、見たか」
夕璃の返事が一拍遅れた。
ほんの少し。
でも霧島は見逃さない。
「見たんだな」
「……まあ」
「内容は」
「知らない戦場。知らない誰か。いつものやつに、ちょっと嫌な台詞がついてきた感じ」
「どんな」
夕璃は少しだけ視線をそらした。
「今度は落とすな、って」
霧島の指が止まった。
それだけだった。でも、それで十分だった。
ああ、この言葉は軽くないんだな、とわかる。
「誰が言ったかわかるか」
「知らない。女の人だった」
「顔は」
「曖昧。たぶん見えたけど、起きたらほとんど飛んだ」
霧島は息を吐いた。
ため息というより、整理するための呼吸みたいなやつ。
「綾瀬医療監には」
「言ってない」
「言え」
「いやだ」
「言え」
「同じこと二回言っても気持ちは変わんないけど」
「黒瀬」
低い声だった。
怒鳴ってはいない。なのに少しだけ背筋が冷える。
「これは気分の話じゃない。お前の多重接続は、普通の悪夢で片づけていい段階をたぶん過ぎてる」
普通の悪夢。
そう言われると、それももうだいぶ変な言葉だった。普通じゃない悪夢がある前提じゃないか。
「まだ平気だよ」
夕璃が言うと、霧島はすぐ返す。
「平気なやつは、自分からまだ平気とは言わん」
「それ偏見」
「経験則だ」
嫌な言い方だなと思う。
経験則、ということは、過去にそういうやつを見たってことだ。
霧島は少しだけ視線を落として、それから続けた。
「お前、自分の異常に慣れすぎてる」
「便利に使えるうちは、使うしかないだろ」
「そういうとこだ」
ぴしゃりと言われた。
夕璃は黙る。
「便利だから使う。まだ動けるから行く。まだ壊れてないから平気だと言う」
霧島の声は低いままだった。
「そうやって、自分の限界を毎回一歩だけ踏み越えるやつが一番厄介なんだよ」
その言葉は、たぶん怒りだけじゃない。
諦めにも似た何かが少し混ざっている。
見てきたんだろうな、と思う。そういうやつを。
たぶん止められなかったこともあるんだろう。
「……そんな顔すんなよ」
夕璃がぼそっと言った。
「どんな顔だ」
「知んないけど。面倒くさい保護者みたいなやつ」
「誰が保護者だ」
「九割くらいそうだろ」
「残り一割は」
「たまに雑」
霧島は、そこでようやく少しだけ口元をゆるめた。
「お前な」
「図星?」
「半分くらいは」
「その言い方うつってるじゃん」
少しだけ空気がゆるむ。
でも、話の重さまでは消えない。
霧島は姿勢を戻した。
「とにかく、綾瀬には言え。今日の任務前に検査までは無理でも、記録だけは残せ」
「出撃止められたらどうすんの」
「止められる内容なら、止まれ」
「簡単に言うなよ」
「簡単じゃないから言ってる」
それはたぶん、本気だった。
夕璃は視線を落とす。
机の木目が妙にはっきり見える。こういうとき、人ってどうでもいいものをちゃんと見るんだなと思った。
「……考えとく」
「黒瀬」
「わかってる。言え、だろ」
「今のはちゃんと考えろの方だ」
「余計たち悪いな」
「知ってる」
そこで扉が勢いよく開いた。
「霧島教官! やば……くはないけど九条が自販機でまた!」
紅羽だった。
言い切る前に、夕璃はだいたい察した。
「また何したの」
「補給用のゼリーを三つ取ろうとして、紫月に止められてる」
「元気だなあ」
「元気で済ませるな!」
紅羽はほんとに疲れた顔をしていた。
霧島がこめかみを押さえる。
「……行くぞ」
「はい」
夕璃は立ち上がる。
そのとき、霧島が小さく言った。
「黒瀬」
「なに」
「今日の実戦で無茶を通すなとは言わん」
「言わないんだ」
「ただし、戻ってこい」
短い。
でも、その一言だけはまっすぐだった。
夕璃は返事をしなかった。
代わりに肩を軽く上げて、それで終わりにする。
廊下へ出ると、少し離れた補給スペースの方から、琥珀の声が聞こえてきた。
「だから一本じゃ足りないって!」
「足ります」
紫月の声。
「いや足りないって! 戦う前だよ!?」
「戦う前だからです」
「紅羽先輩もなんか言って!」
「紫月が正しい」
「裏切り!」
「裏切りではない!」
「詩乃先輩!」
「わたしは二本欲しいかな」
「ほらぁ!」
「白峰!」
「冗談ですよ」
「絶対ちがう!」
うるさい。
でも、そのうるささがあるだけで、少しだけ呼吸がしやすい。
夕璃は歩きながら、さっきの霧島の言葉を頭の端で反芻した。
戻ってこい。
簡単そうで、たぶんいちばん難しいやつだ。
補給スペースの角を曲がる。
そこで、第七部隊のいつもの光景が目に入る。
紫月が困った顔でゼリーを持っていて、琥珀が食い下がっていて、紅羽が頭を抱えていて、詩乃が面白そうに見ていた。
そしてその向こう、壁のモニターがまた赤く光った。
全員の動きが止まる。
表示された文字は、短かった。
【第七部隊、出撃準備】
その下に、任務種別。
【外縁居住区救援任務】
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