「勝っただけでは褒められない」
戦術演習場Bは、見た目だけならちょっとしたスタジアムみたいだった。
広い。とにかく広い。
天井は高く、壁は白く、中央には何もない灰色のフィールドが広がっている。けど、それは最初だけだ。演習が始まれば、ここは森にも市街地にも廃墟にもなる。便利すぎて逆に気味が悪い。
「毎回思うけど、これほんとに学園の中?」
琥珀がきょろきょろしながら言った。
「学園だからこそあるんだろ」
夕璃が返す。
「や、わかるけどさ。規模おかしくない?」
「おかしいな」
「隊長があっさり認めた」
「事実だし」
演習場の中央では、すでにいくつかの部隊が準備に入っていた。赤虹隊、青虹隊、黄虹隊。今日は合同戦術確認もあるらしい。正式稼働日にやる内容としては、かなり重い方だと思う。
霧島は第七部隊をフィールド端まで連れていくと、振り返って言った。
「今日やるのは二本だ。一本目は部隊単独の基本確認。二本目は小規模の対抗模擬戦」
「対抗?」
紅羽がすぐに反応する。
「相手はどこですか」
「まだ言わん」
「言わないんですか」
「先に言うと無駄に気張るやつがいるからな」
霧島の視線が紅羽と琥珀の間を雑に往復した。
琥珀が即座に抗議する。
「え、なんであたしまで!?」
「お前は気張るというか、勝手に暴走する方だろ」
「言い方!」
「事実だ」
霧島は気にせず端末を操作した。
次の瞬間、フィールドが低く震える。
灰色だった床が、音もなく形を変え始めた。せり上がる壁、割れてできる段差、立ち上がる廃ビルの外壁、崩れた車両、信号機、金網、路地。
あっという間に、そこは半壊した市街地になった。
何度見ても慣れない。
「うわあ……」
琥珀が素直に声を漏らす。
「毎回ちょっとテンション上がる」
「遊びに来たんじゃないんだぞ」
紅羽が言う。
「わかってるって。でもちょっと上がるじゃん」
「……まあ、それは少しわかる」
「え、今の紅羽先輩?」
「何だ」
「ちょっとかわいかった」
「九条」
「すみません」
今日何回目だ、その流れ。
霧島が軽く咳払いする。
「喋るのはいいが、手も動かせ。基本確認から入る。想定敵は兵骸種六体。街区内に散開配置。民間人ダミー三名。制限時間七分」
端末のホログラムに簡易地図が出る。
敵位置は不明。民間人ダミーは生体反応だけが表示されていて、動かない。
霧島の視線が第七部隊をなぞる。
「目的は撃破じゃない。保護と制圧の両立だ。忘れるな」
その一言が、少しだけ重く落ちた。
夕璃は地図を見た。
市街地中央に広場。北側に細い路地。西側に高架の残骸。東に倒れた商業施設。民間人反応は、中央、東端、地下通路近く。
嫌な配置だ。
単純に敵だけ倒すなら楽だ。でも保護対象が散ってる。部隊の連携を見たい課題だろう。
「隊長」
紅羽が低く呼ぶ。
「中央は私が押さえる。九条は東へ行かせたい。機動力がある」
「却下」
夕璃がすぐに言った。
紅羽が目を細める。
「理由は」
「琥珀を単独で東に飛ばしたら、そのまま奥まで行く」
「行かないし!」
「行く」
「行かないって!」
「行くよね、たぶん」
詩乃がやわらかく乗る。
「詩乃先輩まで!?」
「琥珀ちゃん、見つけた敵を放っておけないから」
「……それは、まあ、ちょっとだけ」
「ほら」
夕璃は地図を指でなぞる。
「紅羽、中央。わたしは北。詩乃は西から回って敵位置を炙る。紫月は中央後方固定でカバー。琥珀は東だけど、単独じゃなく紫月の射程から外れるな」
「護衛扱い?」
「制御だよ」
「言い方!」
「九条」
紅羽が低く言う。
「命令だ。従え」
琥珀は一瞬だけ口を尖らせたが、すぐにうなずいた。
「……了解」
返事はした。でも、ちょっと不満そうだ。
それでも走り出す前に飲めるならまだいい。
「詩乃」
「うん」
「気配薄くするのはいいけど、見つけたら共有」
「わかってるよ」
「ほんとに?」
「失礼だなあ」
笑っている。
でもその目はちゃんと仕事の顔だった。
「紫月」
「大丈夫。後ろで見てる」
「見てるだけじゃなくて、止めろよ。必要なら」
「誰を?」
紫月が小さく笑う。
「全員」
夕璃が言うと、紫月は少しだけ困ったみたいに眉を下げてから、でもうなずいた。
「……がんばる」
その返事が聞こえたのと同時に、開始音が鳴った。
短い電子音。
次の瞬間、五人がそれぞれ散った。
夕璃は北側の路地へ走り込む。
瓦礫を飛び越え、壁際に身を寄せる。演習用の市街地なのに、風の流れまでそれっぽい。足元の砂利がじゃりっと鳴る。
右。
気配。
反射みたいに腕を上げる。手首の接続端子が淡く光り、記憶変成武装が長刀の形を取った。
直後、角を曲がってきた人型異形が、ぎこちない足取りでこちらへ突っ込んでくる。
兵骸種。
訓練用の疑似個体とはいえ、見た目は十分気持ち悪い。兵士の残骸みたいな鎧を引きずっていて、顔のある場所が黒く抜けている。
「一体、北。接敵」
言いながら踏み込む。
斬る。
一閃。浅い。相手が半歩ずれて避けた。普通の訓練体より少し反応がいい。
「ちょ」
夕璃は二撃目を入れようとして、わずかに目を細めた。
こいつ、動きが妙だ。
ただ突っ込んでくるんじゃない。路地の狭さを使って、横へ逃がさない位置を取ってくる。
演習体だからそういうパターンを組んであるのかもしれない。
面倒だな、と思う。
思った瞬間、影が揺れた。
兵骸種の首元を、横から細い光がすっと走る。
次の瞬間、頭部が滑るみたいに落ちた。
「一体処理」
通信に乗る詩乃の声は、やけに落ち着いていた。
「早」
「近かったから」
「近いなら先に言えよ」
「今言ったよ」
「そういう意味じゃない」
でも助かった。路地で時間を食うのは嫌だった。
夕璃は倒れた疑似体を飛び越え、北側の先へ出る。
中央広場が見えた。
そこで紅羽が二体まとめて押さえていた。大太刀形態の武器を振るうたび、重い圧みたいなものが前へ出る。真正面から見たくない強さだ。
「紅羽、右から回る一体いる!」
「見えている!」
返事と同時に、紅羽の武器が槍へ変形する。
踏み込み。
突き。
演習体の胸をまっすぐ貫いた。
強い。文句なしに強い。あれ見てるとたまに、第七じゃなくて赤虹にいた方がよかったんじゃないかと思うくらいには。
そのとき、東側から琥珀の声が飛んだ。
「民間人ダミー見つけた! でも敵二!」
「突っ込むな!」
「まだ突っ込んでない!」
その言い方はあまり信用できない。
夕璃は地図の東側を頭の中で組み立てた。商業施設跡。視界が悪い。琥珀ひとりだと押し切りに行く可能性が高い。
「紫月、東のカバー」
「もう行ってる」
紫月の返答は早かった。
直後、東側の上空でやわらかい光が広がる。ルナ・パナケイアの治癒領域だ。直接回復だけじゃない。あの範囲にいるだけで、琥珀は少しだけ頭が冷える。
さすが、わかってる。
夕璃は中央へ飛び出した。
最後の一体が広場の反対側へ逃げるように下がる。逃げる、というより、引きつけているように見えた。
嫌な動きだ。
「詩乃、後ろ取れる?」
「取れるよ」
「琥珀、民間人優先!」
「わかってるって!」
「怪しい!」
「ほんとだってば!」
通信の向こうがちょっとうるさい。
でもその直後、兵骸種の動きが止まった。
いや、止まったんじゃない。迷った。
目の前にいるはずの詩乃を見失ったみたいに、首のない顔を左右へ振っている。
死角固定。
やっぱり便利だな、その能力。
「夕璃ちゃん」
「見えてる」
詩乃の声に返して、夕璃は踏み込む。
長刀を横薙ぎに振るう。
切断。
そのまま一歩抜ける。
遅れて、空間に残っていた斬撃の残響がもう一度走って、演習体を完全に沈黙させた。
フィールド全体に終了音が鳴る。
【対象制圧確認】
【民間人ダミー生存率 六七パーセント】
【所要時間 五分四十二秒】
数字が空中に出る。
夕璃は息を吐いた。
「六七」
紅羽が低くつぶやく。
その時点で、空気はあまりよくなかった。
琥珀が東側から戻ってくる。元気そうだけど、ちょっとだけしょんぼりしている。
「一人、遅かった……」
「見ればわかる」
紅羽が言う。
「でも敵いたし!」
「だからこそ優先順位を間違えるな」
「わかってるよ……」
琥珀が視線をそらした。
詩乃はあまり表情を変えずに広場の中央へ戻ってくる。
「最後の一体、引きつける動きしてたね」
「してた」
夕璃が答える。
「嫌な感じだった」
「うん。あれ、たぶんわざと」
詩乃の言い方は軽い。でも中身は軽くない。
紫月も合流して、民間人ダミーのいた方を見る。
「東の子、もう少し早く行けてたら助かったかも」
責める言い方じゃない。けど、その分だけじわっと効く。
琥珀が小さく唇を噛んだ。
そこへ霧島が歩いてくる。
「終了。集合」
五人が並ぶ。
霧島は端末の評価画面を見て、短く言った。
「制圧速度は悪くない」
そのあと、視線を上げる。
「だが、保護対象一名ロスト。これじゃ半分失格だ」
紅羽がすぐに口を開いた。
「私の中央制圧が遅れました」
「ちがう」
夕璃が言った。
紅羽がこっちを見る。
「隊長として指示が甘かった」
「違う。あたしが一瞬、敵見た」
琥珀も言った。
「違うよ」
今度は紫月だった。
「みんなちょっとずつ遅かった。だから一人落とした」
静かな言い方だった。
でも、それがいちばん正確だった。
霧島が端末を閉じる。
「そういうことだ。誰か一人のせいにして終わるな。部隊戦は、だいたい全員のせいで崩れる」
それから、少しだけ表情をゆるめた。
「逆に言えば、全員で修正もできる」
その言い方が少しだけ救いになる。
けど、そこで終わりじゃなかった。
霧島が続ける。
「二本目。対抗模擬戦に入る」
「相手は」
紅羽が聞く。
霧島は少し間を置いてから答えた。
「第五部隊、青虹隊」
一拍。
空気が変わる。
琥珀が「うわ」と顔に出し、紅羽の目が鋭くなる。詩乃はちょっとだけ楽しそうで、紫月は少しだけ不安そうだった。
夕璃だけは、先に別のことを考えた。
雫か。
やりづらいな。
いや、向こうも同じかもしれないけど。
「ルールは簡単だ」
霧島の声が落ちる。
「模擬市街西区画を使う。制限時間十分。相手本隊の制圧、もしくは指揮権停止で勝ち。民間人ダミーなし。純粋な対部隊戦だ」
それなら話は早い。
守る対象がいない分、こっちはやりやすい。
ただし相手が青虹隊なのが面倒だった。遠距離、観測、連携、全部きれいに揃ってる。真正面からぶつかるにはあんまり相性がよくない。
「黒瀬」
紅羽が低く呼ぶ。
「どうする」
「走らされると負ける」
「同感です」
紫月が言う。
「青は距離取られるときついね」
「じゃあ近づけばいいってこと?」
琥珀が単純明快なことを言う。
「まあ、そう」
「じゃああたし行く」
「待て」
夕璃が即止めた。
「なんで!?」
「お前が一番狙われるから」
「えー」
「えー、じゃない。青虹はそういう部隊だ。目立つ前衛から削る」
詩乃が壁にもたれて指先で髪をいじる。
「じゃあ、わたしが先に行く?」
「それはそれで危ない」
「信用ないなあ」
「あるから止めてる」
夕璃は少しだけ考えた。
青虹隊の癖は、昔から知っている。
情報を取って、削って、崩れたところをきれいに抜く。感情より正解を選ぶ部隊だ。たぶん今も変わっていない。
そして、その中で雫はたぶん観測にいる。
だったら、やることはひとつ。
「紅羽が正面で目を引く。琥珀は見せ札。突っ込むふりだけして止まれ」
「ふり!?」
「本命は詩乃。西の死角から入って観測を潰す」
「了解」
詩乃はすんなりうなずいた。
「隊長は?」
「わたしは中央から揺らす」
「雑な言い方」
「雑でいい。相手が雫なら、たぶん一番嫌なのは定石が崩れることだ」
紅羽が短くうなずく。
「わかった。私が前に出る」
「紫月は後方固定。琥珀が熱くなったら引っ張れ」
「そこ限定?」
「主に」
「主にって何!?」
でも言い返しながらも、琥珀はちょっとだけ気合いが入った顔になっていた。
霧島が時間を確認する。
「準備三分。始まったら教官は介入しない。好きにやれ。まあ、死ぬ気で勝ってこいとは言わんが、負けて当然とも思うな」
雑だな。
でも嫌いじゃない。
フィールドが再び動き始める。
今度の区画は、さっきより入り組んだ西市街。高低差があって、狙撃ポイントが多い。青虹向きだ。
露骨すぎるだろと思う。
「絶対向こう有利じゃん……」
琥珀が言う。
「そうだな」
「隊長、そこ否定しよう?」
「でも事実だし」
「隊長ってそういうとこあるよね!」
「ある」
夕璃は短く答えて、それから武装端子を整えた。
視界の向こう、対面側では青虹隊も配置についている。
氷室凪の姿が見える。
その少し後ろに、雫。
距離があるのに、なぜか目が合った気がした。
雫は表情を変えない。
でもたぶん、向こうももう読み合いを始めている。
「……負けたくないな」
夕璃は小さくつぶやいた。
紅羽が隣で言う。
「当たり前だ」
「うん」
開始音まで、あと数秒。
模擬戦なのに、空気は少しだけ実戦に似ていた。
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