「ここからはわたしが選ぶ」
最終決戦の形が決まった瞬間、空気の重さが少しだけ変わった。
楽になったわけじゃない。
むしろ逆だ。
やることが見えたぶん、その危なさもはっきりした。
夕璃が《記憶の揺籃》の流れへ触る。
そのために、みんなが道を作る。
要するに、全部を夕璃一人でやるんじゃない。
でも、最後に選ぶのは夕璃だ。
それが、今の第七部隊にいちばん合っていた。
「第七、中央突破!」
紅羽が叫ぶ。
その声で全員が動く。
赤虹隊が左側から兵骸種の群れを押し返す。
朱里の大剣が真正面を薙ぎ、白い残像ごと道をこじ開ける。
藍虹隊は右側で黒い枝流れを切る。
澪那たちが嫌な役を全部引き受けるみたいに、淡々と刃を入れていく。
黄虹隊は後方の帰還線を維持。
千晴の隊員たちが、崩れそうな道を支えている。
緑虹隊は奏と実乃里を中心に、浄化と補給と応急処置。
青虹隊は雫が最後まで本流の位置を追っていた。
その全部の真ん中で、第七部隊が前へ出る。
「琥珀、左寄りの線を守れ!」
「了解!」
「詩乃、夕璃の死角!」
「わかってる!」
「紫月、後ろ三歩!」
「うん!」
紅羽の指示は短い。
でも、もうその短さで十分だった。
琥珀は前へ出すぎない。
でも引きもしない。
左側から流れてくる白い残像を、線のぎりぎりで殴り返している。
「来るなって言ってんだろーっ!」
言葉は雑だった。
でも、あれが琥珀の強さだ。
怖くても、ちゃんと前に立てる。
紫月は全体をつなぐみたいに白い光を広げていた。
前みたいに全部を包もうとはしていない。
必要な場所へ、必要なだけ。
でも、それがちゃんと効いている。
詩乃は夕璃のすぐ右にいた。
前みたいに静かすぎることはない。
今はちゃんと周りを見て、必要なものだけを切っている。
「夕璃ちゃん、前三つ」
「見えてる」
「上も来るよ」
「そっちは頼む」
「うん」
短い会話。
でも、それで足りる。
紅羽が先頭で道を開く。
槍の一撃一撃が重い。
ただ守るだけじゃない。
今は“誰を前へ行かせるか”を決める強さになっている。
それが、今の紅羽だった。
「夕璃!」
紅羽が叫ぶ。
「今だ、走れ!」
前が開く。
《記憶の揺籃》の中心へ向かう、ほんの数秒だけの細い道。
夕璃はそこへ飛び込んだ。
白い腕が伸びる。
残像が揺れる。
黒い川が逆流みたいに持ち上がる。
『右下、そこ!』
雫の声が飛ぶ。
『白い殻の奥、黒い流れの集まる一点!』
「見えた!」
夕璃が踏み込む。
でも、その瞬間、《記憶の揺籃》が直接声を落としてきた。
「お前に、閉じられるのか」
胸の奥へ響く声。
「お前も、ここから生まれたのに」
夕璃の足が一瞬だけ重くなる。
でも、止まらない。
「だからだよ」
夕璃は吐き捨てるみたいに言った。
「ここから生まれたなら、ここで選べるだろ」
《記憶の揺籃》の白い外殻が大きく揺れる。
夕璃は長刀を構えた。
でも、ただ斬ればいいわけじゃない。
壊すだけじゃ、また別の場所から噴く。
必要なのは、流れの向きを変えること。
外へあふれる方じゃなく、閉じる方へ。
そのとき、頭の奥に女の気配がした。
姿は見えない。
でも、もう引っ張る感じじゃない。
ただ、そこにいる。
「……見てろ」
夕璃は小さく言う。
借りるんじゃない。
ここからは、自分で選ぶ。
その感覚が、今ははっきりあった。
長刀の刃が変わる。
今までみたいに“借りた”感覚じゃない。
借り物の力は使っている。
でも、握っているのは自分だ。
どこへ振るうかを決めるのも、自分だ。
「借りるんじゃない」
夕璃が言う。
その声は、ちゃんと戦場に落ちた。
「ここからは、わたしが選ぶ」
その一言で、《記憶の揺籃》の流れがほんの少しだけ乱れる。
紫月の光が後ろから伸びる。
夕璃の足元を支える。
紅羽の槍が左側からくる白い腕を弾く。
詩乃の短刀が死角の残像を切る。
琥珀が叫びながら右の崩れを止める。
全員が、夕璃をそこまで届かせるために動いている。
それがわかる。
だから、夕璃は前だけを見た。
白い外殻の奥。
黒い川が集まる一点。
そこが“出口”であり、“傷口”だ。
夕璃は、斬らなかった。
長刀を、その一点へ深く差し込む。
刺す。
貫く。
そして、自分の中に流れ込もうとするものを、逆向きに押し返す。
「っ……!」
頭の中へ、いろんな声が一気に入ってくる。
死にたくない。
助けて。
届かなかった。
選ばれたかった。
認められたかった。
守りたかった。
許してほしかった。
重い。
吐きそうになる。
でも、ここで離したら終わる。
「夕璃ちゃん!」
詩乃の声。
「離すな!」
紅羽の声。
「隊長ーっ!」
琥珀の声。
「夕璃ちゃん、ここ!」
紫月の声。
『黒瀬、流れが変わる、今そのまま!』
雫の声。
全部が重なる。
夕璃は歯を食いしばる。
これは、怪物を倒す感覚じゃない。
もっと嫌だ。
世界の奥でずっとあふれていた傷口を、無理やり閉じるみたいな感覚だった。
でも。
「外に出るな」
夕璃は低く言う。
「ここで終われ」
長刀の先で、黒い流れが反転する。
外へ噴いていたものが、少しずつ一点へ戻っていく。
《記憶の揺籃》が初めて、はっきりと揺らいだ。
白い外殻の表面に走るひび。
無数の手。
泣いていた顔。
祈っていた声。
全部が、少しずつ静かになっていく。
「まだ足りない!」
雫の声が飛ぶ。
『押し切って! 今戻してるのは流れだけ! 出口そのものを閉じないと!』
「了解!」
夕璃が叫ぶ。
でも、もう一歩が遠い。
体が重い。
意識も少しずつ持っていかれそうになる。
そのとき、紅羽が夕璃のすぐ後ろに踏み込んだ。
槍を地面に突き立てる。
ぐらつく足場を固定するみたいに。
「立て」
短い声。
夕璃は少しだけ笑いそうになった。
「雑な励ましだな」
「お前にはこれで足りる」
たしかにそうだった。
右側では詩乃が、最後まで伸びてくる白い残像を切り落としていた。
その刃はもう迷っていない。
「夕璃ちゃん!」
詩乃が叫ぶ。
「そっちで決めて!」
その声には、もう以前の危うさはなかった。
ちゃんと、自分で選んだ側の声だ。
左では琥珀が泣きそうな顔のまま叫んでいる。
「終われーっ!」
「雑!」
夕璃が思わず返す。
「でも合ってる!」
紫月の光がもう一段、強く夕璃の背中を押す。
「夕璃ちゃん」
紫月の声はやわらかい。
「大丈夫。つながってるから」
その言葉で、夕璃は最後の一歩を踏み込めた。
長刀をさらに深く差し込む。
出口の中心へ。
そして、自分の意志で切る。
壊すんじゃない。
閉じる。
外へ流れていた傷を、内側で止める。
「ここまでだ」
夕璃が言った、その瞬間。
《記憶の揺籃》の中央に、細い光の線が走った。
ぱき、と乾いた音。
でも、今までの核破壊みたいな音ではない。
もっと静かな、閉じる音だった。
黒い川が止まる。
白い外殻が、ゆっくり崩れ始める。
手も、顔も、祈りも、泣き声も、全部が粒みたいにほどけていく。
兵骸種の動きも止まった。
残像も、そこで一斉に力を失う。
『……反応、減衰……!』
雫の声が、今度ははっきりと聞こえた。
『流出、止まった……!』
その一言で、戦場全体の空気が変わる。
赤虹隊も、藍虹隊も、黄虹隊も、緑虹隊も、みんなそこでようやく息をついた。
でも、完全な勝利の軽さではない。
《記憶の揺籃》は崩れている。
でも、世界の傷そのものが消えたわけじゃない。
ただ、あふれ続ける流れだけを止めた。
それで十分だと、今は思うしかない。
夕璃は、その場で膝をつきかけた。
紅羽がすぐ支える。
「立てるか」
「……半分くらいは」
「便利だな」
「最近みんなそれ言う」
そう返したら、紅羽がほんの少しだけ笑ったように見えた。
詩乃がすぐ横へ来る。
「夕璃ちゃん」
「なに」
「今の、ちゃんと自分でやったね」
夕璃は息を整えながら、少しだけ視線を上げる。
「うん」
「かっこよかった」
「めずらしいな、素直」
その返しで、夕璃はちょっとだけ吹きそうになった。
こんな場面でその言い方をするの、ずるい。
琥珀はその場にへたり込んでいた。
「もうやだ……三日くらい寝たい……」
「三日で済むか?」
夕璃が聞く。
「無理かも……五日……」
「増えてる」
紫月はそんな琥珀の肩へ手を置いて、やわらかく笑った。
「でも、ちゃんと立ってたよ」
「……ほんと?」
「うん」
「えへへ」
単純だなと思う。
でも、その単純さが今日は本当にありがたかった。
通信が入る。
今度は千晴の声だった。
『全隊、撤収開始。流出停止を確認。帰還線維持、そのまま戻る』
短い。
でも、それで十分だ。
朱里が少し離れた場所から大きく手を上げる。
「一条!」
紅羽がそっちを見る。
「中、終わったね」
「はい」
「じゃあ帰ろう」
その言い方が、あまりにも普通で、少しだけ泣きそうになる。
帰る。
それを普通に言えることが、今はすごく大事だった。
帰還の途中、最深部へうっすら朝の光が差し込んだ。
外の地上から、細い光が崩れたホームの奥まで伸びてきている。
白い粒になって崩れていく《記憶の揺籃》の残りが、その光に触れて消えていく。
世界はまだきれいじゃない。
傷も残っている。
でも、朝は来るんだなと思った。
それだけで、十分だった。
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