「世界の傷の前で」
《記憶の揺籃》は、近づくほど形が分からなくなった。
遠くから見たときは、白い繭が割れて、中から何か大きなものが出てきたように見えた。
でも、ちゃんと見ようとすると輪郭が崩れる。
ゆりかごみたいでもある。
棺みたいでもある。
巨大な手が何本も折り重なっているようにも見える。
泣いている顔が並んでいるようにも見える。
見れば見るほど、気持ち悪い。
「……何あれ」
琥珀が、今までで一番素の声で言った。
「知らん」
夕璃が答える。
「でも、たぶん一番奥」
それだけは分かる。
《記憶の揺籃》のまわりを、黒い川が何本も回っている。
その流れが、旧第十三市街で見てきた断片や兵骸種や人形型の、全部の元になっていたんだろう。
つまり、ここが本当の中心。
『全隊、位置固定!』
雫の声が飛ぶ。
『第七、中央正面! 赤は左、藍は右枝を切って! 黄は帰還線そのまま、緑は下がらないで!』
その指示のあと、全部隊が一気に動いた。
赤虹隊は左側へ展開し、湧き出す兵骸種の群れを押しとどめる。
藍虹隊は右側から黒い枝みたいな流れを切る。
黄虹隊は来た道を潰されないように、後ろを固める。
緑虹隊は紫月たちのすぐ後ろで中継点を維持。
青虹隊は外から最後の観測をつなぎ続ける。
そして第七部隊だけが、中央正面に残った。
「来る」
紅羽が低く言う。
その直後、《記憶の揺籃》の表面から、白い腕みたいなものが何本も伸びた。
腕というか、祈る人の手だ。
細い手。
大きな手。
子どもの手。
老人の手。
全部が“掴んでほしい”みたいにこちらへ伸びる。
「うわ、無理!」
琥珀が叫ぶ。
気持ちはわかる。
でも、その手はただの飾りじゃなかった。
触れた床から黒い筋が走る。
触れた空気が重くなる。
そして、耳の奥にいろんな声が入り込んでくる。
たすけて。
おいていかないで。
ここで終わりたくない。
まだ死にたくない。
全部、人の声だ。
敵なのに、人の声ばかり使ってくる。
「っ……」
夕璃は一瞬だけ顔をしかめる。
でも今は、前よりましだった。
ただ飲まれるだけじゃない。
“嫌だ”って思える余地がまだある。
「紅羽、正面左!」
「押さえる!」
紅羽の槍が、一番近い白い腕を叩き払う。
その隙間を詩乃が切る。
琥珀は紫月の前で一歩も引かずに受ける。
夕璃は中央を見た。
《記憶の揺籃》そのものは、まだ動いていない。
いや、動いてはいる。
でも歩くとか殴るとか、そういう動きじゃない。
ただ、そこにあるだけで、周囲の“記憶”を勝手に引っ張って、敵に変えている。
怪物というより、発生源。
そう呼ばれていた意味が、ようやく実感としてわかる。
『黒瀬、見て』
雫の声。
『中央下部、黒い流れが集まってる場所』
夕璃は目を凝らす。
白い揺籃の底。
そこに、他より濃い黒があった。
穴みたいにも見えるし、核みたいにも見える。
「本体?」
『違う、たぶん“流出口”』
「流出口?」
『そこから全部があふれてる』
つまり、あそこをどうにかしないと終わらない。
「壊せばいいのか」
『たぶん、それだけじゃだめ』
やっぱり来たかと思う。
『反応構造が閉じてない。壊しても、また別の場所から噴く可能性がある』
「じゃあどうすんだよ」
『今見てる』
それを言いながら見つけろというのはかなり無茶だと思う。
でも、雫が無茶を投げるときはだいたい本当に必要なときだ。
《記憶の揺籃》の表面が揺れる。
そして、今度は声そのものが落ちてきた。
「ようやく、ここまで来た」
女でも男でもない。
大人でも子どもでもない。
たくさんの声が重なって、一つの声に聞こえる。
気持ち悪い。
「お前たちも、ここから生まれたのに」
夕璃の背中が少しだけ冷える。
わかっていた。
でも、敵本人みたいなものにそれを言われると、嫌さが段違いだ。
《記憶の揺籃》は続ける。
「怪物も、英雄も、同じ傷からこぼれた」
白い腕が、ゆっくり広がる。
「死にきれなかった願い」
「守れなかった後悔」
「選ばれたかった怒り」
「讃えられたかった祈り」
声がいくつも重なる。
「お前たちの力も、ここから生まれた」
紫月が小さく息をのむ。
紅羽の目が細くなる。
琥珀は「最悪……」と顔をしかめた。
詩乃は前を見たまま、まばたきを一つだけした。
夕璃は《記憶の揺籃》を見上げる。
「だから何だよ」
思ったより、声は強く出た。
《記憶の揺籃》の白い表面が、少しだけ波打つ。
「嫌だろう?」
また、たくさんの声が混ざる。
「使っていたものが、怪物と同じだと知るのは」
「嫌だよ」
夕璃は即答した。
「かなり」
その返事に、少しだけ空気が動く。
紅羽が横で、ほんの少しだけ息を吐いたのがわかった。
「でも」
夕璃は続ける。
「嫌だからって、今さら使わないで済む話でもない」
《記憶の揺籃》は、そこで初めてほんの少しだけ“笑った”ように見えた。
「なら、同じだ」
「違う」
今度は詩乃が言った。
静かな声。
でも、第8章を越えたあとの詩乃の声だった。
「同じ根から生まれてても、行く場所は違う」
白い手が一斉に揺れる。
《記憶の揺籃》の声が少しだけ低くなる。
「違えると思うのか」
「思うよ」
今度は紫月だった。
「だって、痛いって思えるから」
その一言は、やわらかいのに強かった。
《記憶の揺籃》が少しだけ沈黙する。
その空気を切るように、赤虹隊の方で朱里が吠えた。
「紅羽! 中央、今のうち!」
「了解!」
兵骸種の群れを朱里が押し切った。
その一瞬だけ、中央へ向かう道が開く。
紅羽が第七部隊へ叫ぶ。
「行くぞ!」
全員が前へ出る。
《記憶の揺籃》が、それを待っていたみたいに表面を裂いた。
中から、また白い残像が何十も浮かび上がる。
兵士。
花嫁。
泣いてる子ども。
祈る母親。
笑ってる英雄。
泣いてる敗残兵。
全部、人の形だ。
全部、倒しにくい。
そして、全部が少しずつこちらの“使ってる記憶”と似ている。
「ほんと、感じ悪い!」
琥珀が叫ぶ。
「今さら!」
夕璃が返す。
戦いがまた始まる。
でも今度の戦いは、今までと少し違った。
敵を切って終わりじゃない。
切るほどに、白い川の流れが変わり、別の場所へ集まり始める。
『黒瀬!』
雫の声がまた飛ぶ。
『今ので分かった!』
「何が!」
『あれ、“核”じゃない! 流れそのものが問題!』
夕璃は人形型の残像を切り払いながら聞く。
『壊しても、別の流出口が開く! だから終わらない!』
その瞬間、夕璃の頭の中で、何かがぴたりと繋がった。
怪物一体じゃない。
発生構造。
止めないといけないのは、“流れ”。
「……そういうことか」
「夕璃ちゃん!?」
詩乃が呼ぶ。
夕璃は《記憶の揺籃》の下を見た。
白い外殻。
黒い川。
そこからあふれる記憶。
全部が、どこかへ流れている。
つまり必要なのは、もっと強い一撃じゃない。
壊すことじゃなくて、流れを止めることだ。
《記憶の揺籃》がまた声を落とす。
「無駄だ」
白い残像がさらに増える。
「壊しても、切っても、また生まれる」
「そうかもな」
夕璃は答える。
「でも、出口を閉じれば話は別だろ」
その瞬間、《記憶の揺籃》の空気がわずかに変わった。
初めて、“気づかれた”感じがした。
「黒瀬!」
紅羽が叫ぶ。
「何か見えたのか!」
「見えた」
夕璃は長刀を握り直す。
「壊すだけじゃ終わらない」
「じゃあ?」
今度は紫月が聞いた。
夕璃は前を見る。
《記憶の揺籃》の中心。
白い外殻の奥。
黒い川がどこか一点へ吸い込まれている。
あそこだ。
「止める」
夕璃が言う。
短い。
でも、それで十分だった。
紅羽の目が少しだけ細くなる。
詩乃が息を吸う。
琥珀が「止めるって何を!?」と半分叫ぶ。
紫月は、ほんの少しだけ口元を引き結ぶ。
「流れそのもの」
夕璃は続ける。
「壊すだけじゃなく、あそこへ戻して閉じる」
『たぶん、それが正解に近い』
雫の声が震えずに言う。
『でも、そこへ触るのは一番危ない』
「だろうな」
『たぶん夕璃しかできない』
それも、だろうなと思った。
でも今は、その嫌さより先に、答えが見えた感じの方が強かった。
「紅羽」
「何だ」
「次、道開けろ」
「言われるまでもない」
「紫月」
「うん」
「わたしが触るまで、全員切らすな」
「やる」
「詩乃」
「うん」
「一番近くにいて」
詩乃は少しだけ目を見開いて、それから笑った。
「それ、かなり信じてる言い方だね」
「信じてるから言ってる」
その返事に、詩乃の表情がほんの少しだけやわらいだ。
そして、《記憶の揺籃》の白い外殻がさらに大きく脈打つ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
もし作品を気に入っていただけましたら、
下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。
★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/
また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。
引き続きよろしくお願いいたします。




