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終わりの世界で輝く・・・彼女たちの残滓  作者: きなこもち
第3章

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「後悔で終わりたくない」



 最深部へ続く隔壁の前は、妙に静かだった。


 今までずっと敵がいた。

 兵骸種も、断片も、人形型も、残留思念も。

 何かしらがずっとこちらの進みを邪魔してきた。


 なのに、ここだけは違う。


 巨大な隔壁。

 中央に走る細いひび。

 その向こうから、低く脈打つみたいな振動だけが伝わってくる。


 静かすぎる。


 そして、こういう静けさはだいたいろくでもない。


「……やだなあ」


 琥珀がぽつりと言った。


「わかる」


 夕璃も返す。


 でも、今の返事は軽口じゃなかった。

 本当に同じことを思っていた。


 隔壁の前で各隊が一度止まる。

 赤は後方の広間で再編。

 黄は撤退路の固定。

 緑は中継点を設置。

 青は最深部内部の観測線を無理やり通そうとしている。

 藍は隔壁の構造確認。


 第七部隊だけが、その少し手前で待機していた。


 夕璃は隔壁を見上げる。

 高い。

 昔は厳重な防災シャッターみたいなものだったのかもしれない。

 でも今は、その金属の継ぎ目から黒い筋が何本もにじんでいた。


 呼吸が少しだけ浅くなる。


「夕璃ちゃん」


 紫月の声。


「ん」


「今、引っ張られてる?」


 夕璃はすぐには答えなかった。


 正直に言うなら、引っ張られている。

 でも足元が消えるほどではない。

 まだ、ちゃんとここにいる。


「少しだけ」


 そう答える。


 紫月は小さくうなずいた。


「わたしの範囲、もう少し近くするね」


「無理は」


「してない」


 紫月は静かに言った。


「今は、まだ」


 その“まだ”が少しだけ怖い。

 でも、ここでそれを止めるのも違う気がした。


 紅羽が前に立ったまま言う。


「黒瀬」


「なに」


「影が見えたら先に言え」


「命令?」


「命令だ」


「強いな」


「今さらだろう」


 たしかにそうだった。


 詩乃は少し離れた場所で、隔壁を見ていた。

 表情は静かだ。

 でも、終盤みたいな危うい静けさとは少し違う。


 今の詩乃は、ちゃんと自分で立っている顔をしている。

 その代わり、何かを待っている顔でもあった。


「詩乃」


 夕璃が呼ぶ。


「なに?」


「今、どうだ」


 詩乃は少しだけ考えてから答えた。


「近い」


「何が」


「たぶん、わたしが嫌がってるもの全部」


 その言い方は詩乃らしかった。

 わかりにくいのに、なんとなく意味は伝わる。


「でも」


 詩乃は続ける。


「今はちゃんと、それを嫌だって思えてる」


 夕璃は少しだけ息を吐く。


「ならいい」


「夕璃ちゃん、それ最近ちょっと雑」


「便利だろ」


「便利だけど」


 少しだけ、詩乃が笑う。

 その笑い方はちゃんと人っぽかった。


 隔壁の前では、藍虹隊が動いていた。


 澪那と透子、それに繭と遥が、黒い筋の流れを見ている。

 切る場所を探しているんだろう。

 こういうときの藍虹隊は、本当に仕事が早い。


「構造、完全な物理ロックじゃないね」


 透子が言う。


「深部側の反応で半分生きてる」


「切れるか」


 紅羽が聞く。


 澪那は数秒だけ見てから答えた。


「切れる。でも」


「でも?」


「切った瞬間に向こうも気づく」


 それは、もうたぶん気づいてるんじゃないかと思う。

 でも口には出さない。


『外からもそれ確認』


 雫の声が入る。


『隔壁を開けた時点で、最深部反応が一段上がる。たぶん待機状態が終わる』


「待機って言うなよ」


 夕璃が言う。


『ほかに言い方ある?』


「あるだろ、寝てるとか」


『余計やだ』


 その返しで少しだけ空気が動く。

 少しだけだけど。


 朱里が赤虹隊側から歩いてくる。


「一条」


「はい」


「中に入ったら、こっちは正面の枝を押さえる」


「お願いします」


「その代わり、最深部の芯はそっちで見て」


 短い。

 でも、それで十分だった。


 朱里は夕璃の方も見た。


「黒瀬さん」


「なに」


「今回は、ギリギリまで一人で抱えないで」


「……努力はする」


「努力じゃなくて、やる」


「強いな」


「強く言わないと聞かないでしょ」


 どこかで聞いたな、それ。

 たぶん本当にそうなんだろう。


 朱里が戻る。

 その背中を見送ってから、夕璃はもう一度だけ隔壁を見る。


 その瞬間、黒い継ぎ目の向こうに、長い髪の女の影が見えた。


 今度ははっきり。


 隔壁の向こう側。

 こちらを見ている。


「……っ」


「見えた?」


 紅羽の声が、思ったよりすぐ近くで落ちた。


 夕璃は少しだけ息をのんで、それからうなずく。


「うん」


「何をしている」


「見てる」


「それだけか」


「……たぶん」


 言いながら、自分でも少し自信がない。


 影はただ立っていた。

 でもその立ち方が、前より近い。

 前より、はっきり“こっちへ来い”に見える。


 紅羽はそれ以上聞かなかった。

 代わりに、小さく言う。


「一人で追うな」


「わかってる」


「本当にか?」


「本当に」


 その返事をした瞬間、隔壁の向こうで低い振動が走った。


 全員の空気が変わる。


 澪那が即座に手を上げる。


「開ける」


「各隊、準備!」


 霧島の声が飛ぶ。


 隔壁の黒い筋へ、藍虹隊の刃が同時に入る。

 細い音。

 金属と、もっと別のものが裂ける音。


 ひびが一気に広がる。


 ぶつん、とどこかで切れる気配。


 次の瞬間、隔壁の向こうから冷たい風が吹いた。


 嫌な風だった。

 空気じゃないみたいな風。

 古い記憶と、鉄と、血と、雨の匂いが混ざっている。


「開くぞ!」


 誰かが叫ぶ。


 隔壁がゆっくり左右へ割れる。


 その向こうにあったのは、駅みたいな空間だった。


 広い。

 高い天井。

 崩れたホーム。

 止まった電光掲示板。

 でも、ただの駅ではない。


 線路の代わりに、中央へ向かって黒い光の川みたいなものが流れている。

 その川の先、ホームの一番奥。

 大きな穴みたいな暗がりがあった。


 最深部。


 そこが、この街のいちばん奥だと一目でわかった。


「……気持ち悪」


 琥珀が言う。


「うん」


 紫月が珍しく、かなり小さな声で同意した。


 詩乃は何も言わない。

 ただ、前を見ている。


 夕璃の耳の奥がざわつく。


 影が、今度ははっきりそこにいた。


 ホームの中央。

 黒い川の手前。

 長い髪の女の影。


 立って、こちらを見ている。


「夕璃ちゃん」


 詩乃の声。


「たぶん、来るよ」


「何が」


「わたしの嫌なやつと、夕璃ちゃんの知ってるやつ」


 その言葉が終わるより早く、最深部の空気が変わった。


 黒い川がゆっくり波打つ。

 ホームの両脇に並んでいた人影が、いっせいにこちらを向く。


 全部、残留思念だ。

 でも、普通じゃない。

 顔の輪郭がぼやけ、体の中に黒い糸が通っている。


 もうかなり向こうに寄っている。


『最深部内部、反応急上昇!』


 雫の声が飛ぶ。


『第七、正面中央! そこがいちばん薄い!』


「行く!」


 夕璃が前へ出ようとした、その瞬間だった。


 黒い川の中央から、何かが浮かび上がった。


 女の影。


 いや、違う。


 これは影じゃない。

 もっとはっきりしている。


 長い髪。

 軍服みたいな濃い色の服。

 右手には細身の刃。

 顔は見えない。

 でも、わかる。


 夕璃にずっと見えていた女だ。


「……あなた」


 思わず口に出る。


 次の瞬間、世界がひっくり返った。


 ホームが消える。

 最深部が遠のく。

 音がなくなる。


 夕璃は一瞬で、別の場所に立っていた。


 雨だった。


 激しい雨。

 灰色の空。

 泥。

 壊れた塀。

 倒れた兵士。

 泣き声。

 遠くで燃える街。


 知らない。

 でも、今まで見たどのノイズよりもはっきりしている。


 そこに、女がいた。


 今度はちゃんと見える。

 若い。

 でも目だけが妙に冷たくて、そしてひどく疲れていた。


 軍服の袖には血。

 手には細い剣。

 その向こう、崩れた門のあたりに、子どもが二人、取り残されている。

 そして反対側には、もっと大勢の避難民。


 女は動けない。

 どっちかしか選べない位置にいる。


 そこで、夕璃は理解した。


 この人は、ここで選んだんだ。


「……」


 声が出ない。


 女は振り返らない。

 ただ前を見たまま、静かに言う。


「遅い」


 その言葉は、怒っているようでいて、ひどく弱かった。


「また、間に合わない」


 夕璃は、その場に立ち尽くす。


 これが、影の正体。


 ずっと夕璃を引っ張っていたのは、何かの案内役じゃない。

 ここで間に合わなかった人の後悔だ。


 女は大勢の方を守るために走る。

 取り残された子ども二人は、そのまま黒い波みたいなものに飲まれる。


 女の足が止まる。

 でも、止まれない。

 振り向けない。

 振り向いたら、こっちまで落ちる。


 そういう場面だった。


 雨の音がうるさい。

 でも、そのうるささの奥で、女の呼吸がすごく静かだった。


 終わったあと、女は一人で膝をつく。

 剣先が泥に沈む。

 肩が震える。


「これでよかった」


 誰に言うでもなく、そうつぶやく。


 でも、その声には全然納得がない。


「……よかったはずだ」


 夕璃はそこで、ようやく息を吸った。


 わかる。


 わかってしまう。


 これは“正しい判断をした英雄”の記録じゃない。

 正しかったかもしれないのに、自分を許せなかった人の記憶だ。


 だからずっと言っていたんだ。


 今度は落とすな。

 また遅い。

 そうやって、夕璃に。


 女が、やっとこちらを見る。


 疲れた目だった。

 でも、その奥には、まだ消えていない責任みたいなものがあった。


「わたしの代わりに」


 女が言う。


「今度こそ」


 その言葉で、夕璃の胸の奥が熱くなる。


 でも、それは従いたい熱じゃない。

 少し違う。


「……いやだ」


 夕璃が小さく言う。


 女の目が少しだけ動く。


「え」


「いやだよ」


 夕璃はもう一度言った。


「あなたの後悔を、そのまま引き継ぐために、わたしはここまで来たんじゃない」


 雨の世界が少しだけ揺れる。


 女は何も言わない。


 夕璃は前へ一歩出た。


「助けられなかったの、つらかったのはわかる」


 喉が熱い。

 でも、止めない。


「でも、それをずっと繰り返すために、わたしが戦ってるわけじゃない」


 女の手の剣先が、わずかに動く。


「今度こそ全部救えとか、また落とすなとか、そういうのじゃない」


 夕璃はまっすぐ見る。


「わたしは、あなたの後悔で終わりたくない」


 その一言で、雨音が一瞬だけ遠のいた。


 女の顔に、はじめて少しだけ感情らしいものが浮かぶ。

 驚きに近い。

 それから、ほんの少しだけ苦い笑い。


「……生意気」


「知ってる」


「似てない」


「似なくていい」


 女はそこで少しだけ目を閉じた。


 雨が弱くなる。


「なら、選べ」


 小さな声だった。


「借りるだけじゃなく」


 そこで夕璃は、はっきりわかった。


 この人は命令してるんじゃない。

 最後に、自分ができなかったことを託している。


 でも、その託し方まで全部従う必要はない。


「選ぶよ」


 夕璃は答える。


「だから、ここで終わる」


 女の輪郭が少しずつ薄くなる。

 雨の世界も、崩れ始める。


 最後に、女はほんの少しだけ笑ったように見えた。


 それは、今まで夕璃が見てきたどの影よりも、ずっと人間らしい顔だった。


 次の瞬間、夕璃の視界が現実へ戻る。


 最深部。

 崩れたホーム。

 黒い川。

 詩乃たちの声。


「夕璃ちゃん!」


 詩乃の声がいちばん近かった。


 夕璃は大きく息を吸う。

 膝が少しだけ揺れる。

 でも立っている。


「……ただいま」


 反射でそう言ったら、詩乃が一瞬だけ変な顔をした。


「おかえりって言えばいい?」


「いらない」


 夕璃は息を整えながら答える。


 紅羽がすぐ近くまで来る。


「何を見た」


「……影の正体」


「どうだった」


 夕璃は少しだけ前を見る。


 最深部の奥。

 まだ黒い川は流れている。

 でも、さっきまでの“引っ張られる感じ”が少し変わっていた。


「後悔だった」


 短く言う。


「でも、もうそれで動かされない」


 詩乃が夕璃の顔をじっと見る。

 たぶん、何か変わったのを感じたんだろう。


 雫の声が通信に入る。


『黒瀬』


「なに」


『今、波形が変わった』


「悪い方?」


『……違う』


 少しだけ間があった。


『深くなったのに、前より安定してる』


 その言い方は、妙に雫らしかった。


 褒めるでもなく、でもちゃんと認めている感じ。


「そっか」


 夕璃は短く返す。


 それで十分だった。


 そして、その直後。


 ホームの最深部側で、黒い川が一段大きく脈打った。


 全員の空気が変わる。


 紅羽が槍を構える。

 詩乃が双短刀を下げたまま半歩前へ。

 紫月が白い光を広げる。

 琥珀も、今度はふざけずに前を見る。


 夕璃は長刀を握り直した。


 女の影はもういない。

 でも、その代わりに残ったものがある。


 借りた力じゃない。

 借りたまま終わらないための、意志みたいなもの。


 最深部の奥で、何かが目を開く。


 《記憶の揺籃》への道が、今度こそ完全に開いた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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