「未熟でも立つ意味はある」
深部手前の連絡通路は、やたら細かった。
さっきまでの接続広間が広すぎたせいかもしれない。
でもそれを抜きにしても、ここは嫌な細さをしている。
天井が低い。
壁が近い。
照明が少ない。
前の人の背中がずっと見える。
逃げ道がない感じが、すごく強い。
「ここ、絶対なんかあるじゃん……」
琥珀がぼそっと言った。
「あるだろうな」
夕璃が返す。
「そんな即答いらないんだけど!」
「でもそういう顔してるぞ、この通路」
「通路に顔はない!」
少しだけ空気が動く。
でも、その軽口も長くは続かなかった。
前方の藍虹隊が速度を落としたのがわかったからだ。
澪那が手を上げる。
全員停止。
「反応、左右に散ってる」
透子が端末を見たまま言う。
「まっすぐ前っていうより、挟みに来る感じ」
「また気持ち悪いな」
夕璃が言う。
「今日はそればっかだね」
詩乃が小さく返す。
通路はここで二層に分かれていた。
地上で言うなら、上に保守用の細い歩廊があって、下に本来の連絡路がある感じだ。
澪那が短く判断する。
「第六は上。第七は下」
「分断されるぞ」
紅羽が言う。
「わかってる。でも、まとめて食われるよりまし」
澪那は静かに答えた。
それはたしかにそうかもしれない。
でも、あんまり嬉しい話ではない。
藍虹隊が上へ回る。
第七部隊は下の連絡路へ。
そこまではよかった。
問題は、その三十秒後に起きた。
通路の中央で、天井が落ちた。
正確には、落ちたように見えた。
実際は敵性断片が天井材をまとめて引きはがして、通路の真ん中へ叩き落とした。
「っ!」
夕璃が反射で飛びのく。
紅羽が槍で破片を弾く。
紫月が後ろへ光を張る。
でも、それで隊列が割れた。
夕璃、紅羽、詩乃が前。
紫月、実乃里、琥珀が後ろ。
「最悪!」
琥珀が叫ぶ。
「上から来る!」
後ろ側の通路天井から、細い兵骸種みたいなものが二体落ちた。
いや、兵骸種というより“ぶら下がる残滓”に近い。
長い腕で、後衛を狙っている。
「琥珀、下がれ!」
紅羽が叫ぶ。
「無理! 紫月先輩たちの前いないとまずい!」
その返しは速かった。
夕璃は振り返る。
瓦礫と断片で視界が悪い。
でも、後ろ側の空気が危ないのはわかった。
「紅羽、前どうする!」
「こっちは詩乃と押さえる! 黒瀬は」
そこまで言いかけて、紅羽が一瞬だけ止まる。
夕璃を戻せば前が薄くなる。
戻さなければ後ろが危ない。
その迷いの一秒で、琥珀が動いた。
「いい! ここあたしがやる!」
「九条!」
紅羽の声が飛ぶ。
でも、琥珀はもう前へ出ていた。
紫月と実乃里の前へ。
ちゃんと、決められた線の範囲で止まって。
そこが大事だった。
前の琥珀なら、そのまま敵を追ってもっと奥へ出ていた。
今は違う。
「来いよ!」
琥珀が吠える。
両腕の籠手を構える。
細い残滓が飛びかかる。
速い。
でも、琥珀は引かなかった。
一体目の腕を打ち砕く。
二体目の爪を肘で受けて、そのまま体当たりみたいに押し返す。
「琥珀ちゃん、前出すぎないで!」
紫月が叫ぶ。
「出てない!」
ほんとうに出ていない。
線を越えていない。
ギリギリで止まっている。
夕璃はその場で少しだけ目を見開く。
できてる。
怖いくせに。
泣きそうなくせに。
ちゃんと止まれている。
前方では、夕璃たちの側にも敵が来ていた。
断片が瓦礫の向こうから伸びる。
人形型が二体。
詩乃が即座に動く。
「夕璃ちゃん、右!」
「見えてる!」
長刀で断片を払い、紅羽が正面を止める。
でも、夕璃の意識は少しだけ後ろへ残っていた。
琥珀、一人で持てるか。
その不安を、詩乃が見抜いたみたいに言う。
「見に行かなくていいよ」
「でも」
「今戻ったら、前が崩れる」
静かな声。
でも、それは正しい。
「琥珀ちゃん、今がんばってる」
詩乃は短刀を振るいながら続ける。
「だから、こっちはこっちで持たないと」
夕璃は息を吐いた。
そうだ。
信じて前を持つ。
たぶん今の第7部隊に必要なのは、それだ。
前方の人形型がこちらを見る。
口もない顔で、妙に人懐っこい気配を出してくる。
気持ち悪い。
「しんぱい?」
頭の中に声が落ちる。
夕璃は舌打ちした。
「うるさい」
斬る。
浅く。
核は腹じゃない。肩寄り。
詩乃の視線と重なる。
「そこ」
「うん」
核を割る。
もう一体も紅羽が止め、詩乃が落とす。
短く息をつく。
そしてすぐに後ろを振り返った。
瓦礫の向こう。
琥珀が、まだ立っていた。
ボロボロ、というほどではない。
でも楽ではないのが一目でわかる。
肩で息をしているし、籠手を構えた腕も少し震えている。
それでも、線を越えていない。
紫月と実乃里の前にちゃんと立っている。
「……すご」
夕璃が思わず言う。
その瞬間、後ろ側の残滓がもう一体、横のひび割れた壁から染み出した。
まずい。
「琥珀、左!」
夕璃が叫ぶ。
琥珀は反射でそっちを向く。
でも、間に合いきらない。
そこへ紫月の光が割り込んだ。
細く、でも正確に。
残滓の軌道を半歩ずらす。
「今!」
「おぉぉっ!」
琥珀の拳が叩き込まれる。
残滓が壁へ叩きつけられる。
そのまま崩れる。
静かになった。
「っはぁ……!」
琥珀がようやく大きく息を吐いた。
その場にしゃがみ込みそうになるのを、ぎりぎりで耐える。
「だいじょうぶ!?」
紫月がすぐ聞く。
「……だいじょぶ、じゃないけど、まだ立てる」
その返しが、前の琥珀よりずっとましだった。
変に強がりきらない。
瓦礫の向こうから紅羽が低く言う。
「九条」
「はい!」
「よく持った」
一秒だけ、琥珀の顔が止まった。
それから、ちょっとだけ信じられないものを見るみたいな顔をする。
「え、いま褒めた?」
「事実を言っただけだ」
「褒めてるじゃん!」
「うるさい」
「でも嬉しい!」
声がちょっと戻った。
その戻り方に、夕璃は少しだけ笑いそうになる。
瓦礫を乗り越えて合流する。
第七部隊がまた一つに戻る。
琥珀はまだ少し呼吸が荒い。
でも、目は前を向いている。
「びっくりした」
夕璃が言う。
「なにが」
琥珀が聞く。
「ちゃんと止まれた」
「失礼じゃない!?」
「でも事実だし」
「ひどい!」
そのやり取りに、紫月が少しだけ笑った。
詩乃も、小さく肩を揺らす。
紅羽だけはいつも通りっぽい顔をしていたけど、さっきよりほんの少しだけ空気がやわらいでいた。
琥珀はそこで、少しだけ真面目な顔になる。
「……前はさ」
「うん」
「一人で倒せばいいって思ってたんだよね」
誰も口を挟まない。
「でも、さっき」
琥珀は自分の拳を見る。
「勝つとかじゃなくて、ここ守んないとって思ってた」
その声はまだ少し震えていた。
でも、ちゃんと自分の中から出ている声だった。
「みんなで戻りたいから、前立つんだなって、ちょっとわかった」
夕璃は息を吐く。
答えとしては、それで十分すぎた。
「えらい」
紫月が言う。
「えへへ」
「褒めるの早いな」
紅羽が言う。
「だって今のは褒めるとこでしょ」
紫月の返しに、紅羽は何も言わなかった。
でも否定もしなかった。
そのとき、前方の通路のさらに奥で、低い振動が走った。
全員がそっちを見る。
瓦礫の向こう、深部へ続く扉のような大きな隔壁。
閉じていたはずのその中央に、細いひびが入っている。
『第七、聞こえる?』
雫の声が入る。
『今の振動で、最深部側の封鎖が一段ゆるんだ』
「つまり?」
夕璃が聞く。
『もうすぐ開く』
その言葉だけで十分だった。
琥珀がさっきまでより少し低い声で言う。
「……やっぱり、ここからが本番じゃん」
「そうだな」
紅羽が答える。
「今までのは前座だ」
「嫌すぎる」
「でも、行くしかない」
夕璃が言う。
そのとき、紫月が少しだけまっすぐ前を見る。
「……うん」
たぶん全員、同じことを思っていた。
琥珀は一歩進いた。
紫月も一歩進いた。
でも、それで楽になるわけじゃない。
最深部はこの先にある。
そしてそこには、もっと深い何かが待っている。
それでも、第7部隊はまた並んだ。
前より、少しだけましな形で。
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