「救えない・・・それでも」
深部手前の接続広間は、名前だけ聞くと大きそうだったけど、実際は思っていたよりも歪な場所だった。
広い。
でも、まっすぐじゃない。
昔は何かの中継広場だったらしい。地下街と輸送路と避難連絡路が、ここで一度つながっている。
だから広い。
そのぶん、今は空っぽの広さがやけに目につく。
壊れた案内表示。
倒れたベンチ。
割れたガラス壁。
中央には、噴水だったのか何だったのかわからない円形の浅い窪み。
そのまわりに、黒い筋が何本も走っている。
「ここ、やだ」
琥珀がはっきり言った。
「わかる」
夕璃も返す。
空気が変だった。
深部に近いせいだけじゃない。
この広間そのものが、何かを待ってるみたいな静けさをしている。
前方で澪那が手を上げた。
「止まって」
藍虹隊と第七部隊が同時に足を止める。
透子が端末を見ながら、少しだけ眉を寄せた。
「反応、多いね」
「敵?」
紅羽が聞く。
「敵だけじゃない」
透子の返事が嫌だった。
その意味は、次の瞬間すぐにわかる。
広間の左奥、崩れたガラス壁の向こうに、いくつも人影が立っていた。
多い。
十。いや、もっと。
大人。子ども。老人。
ぼんやりしてる。
でも、人の形をしている。
「残留思念……?」
紫月が小さく言う。
その声が少しだけ震えた。
「こんなに?」
琥珀が息をのむ。
多い。
しかも、ただ立っているだけじゃない。
その足元を、黒い糸みたいな断片がゆっくり這っている。
まだ触れきっていない。
でも、もうすぐ届く。
『接続広間、住民残留反応を確認』
雫の声が通信に入る。
『数、十五以上。深部側の断片が引っ張ってる』
「十五……」
夕璃が小さく言う。
多すぎる。
敵だけならまだいい。
でも、これだけの“人だったもの”が混ざると、一気に難しくなる。
「第六は右の断片群を切る」
澪那が言う。
「第七は残留思念を止めて」
「止めるって」
夕璃が言う。
「どうやって」
「考えて」
さらっと言うな。
でも、言ってることは間違ってない。
紫月が一歩前へ出た。
「わたし、先に見る」
「無理するなよ」
夕璃が言う。
「しないよ」
紫月は静かに答える。
「でも、たぶん今はわたしが一番わかるから」
その言い方には、前より少しだけ決意みたいなものがあった。
紫月が目を閉じて、ゆっくり息を吸う。
白い光が、足元から静かに広がる。
静謐領域。
前より広げ方がうまい。
無理やり全部を包むんじゃなくて、必要なところへまっすぐ伸ばしている。
「……深部側の断片が、あの人たちの“戻りたい場所”を使って引いてる」
紫月が目を開けた。
「家に帰るとか、誰かのところへ行くとか、そういう気持ち」
「最悪だな」
夕璃が言う。
「めっちゃ最悪」
琥珀も言う。
敵が人の優しさとか帰りたい気持ちを使うの、本当に感じが悪い。
「なら、断片を切れば」
紅羽が言いかけた、そのとき。
広間の奥で、一人の子どもの影がふらっと動いた。
小さな男の子だった。
たぶん小学校にも入ってないくらい。
ぼんやりとした顔で、でも、確かに“向こう”へ行こうとしている。
「……っ」
紫月の呼吸が止まりかける。
白い光が、ほんの少し揺れた。
それを見た瞬間、夕璃は嫌な予感がした。
「紫月」
呼ぶ。
紫月は前を見たままだった。
「……だめ」
小さい声。
「これ、全部行きそう」
その言葉で、広間の空気が一気に緊張した。
残留思念たちが、少しずつ、ほんとうに少しずつ前へ引かれ始めている。
まだ歩いてはいない。
でも、このままなら行く。
「どう止める」
紅羽が聞く。
いつもなら“できるか”じゃなく“どうするか”で来るのが、この人らしい。
紫月は広間を見る。
残留思念。黒い糸。広さ。藍虹隊が切ろうとしている右ルート。
それを全部見て、それから小さく首を振った。
「……全部は、無理」
その一言が、かなり重かった。
誰もすぐには何も言えない。
紫月なら、そこで無理に全部を抱えようとしていたかもしれない。
でも今は違う。
「だったら?」
夕璃が聞く。
紫月はゆっくり息を吸って、答える。
「出口に近い方から切る」
全員がそっちを見る。
「残りは?」
琥珀が聞いた。
紫月は少しだけ目を伏せる。
「……間に合わないかもしれない」
その言い方は、はっきりしていた。
痛いくらいに。
でも、逃げてはいない。
「紫月」
紅羽が言う。
「それでいくのか」
紫月は数秒だけ黙っていた。
そして、ちゃんとうなずいた。
「うん」
その顔は泣きそうでもあった。
でも同時に、決めた顔でもあった。
「全部守ろうとしたら、たぶん全部遅れる」
その言葉は、自分に言い聞かせるみたいだった。
「だから、近い方からつなぐ」
夕璃は息を吐く。
きついな、と思う。
でも、今はそれしかないのもわかる。
「じゃあやる」
夕璃が言う。
「紅羽、出口側のライン開ける。琥珀、紫月の前から動くな。詩乃、近い方だけ切る。第六は右の断片群を押さえろ」
「了解」
紅羽が即答する。
「了解」
詩乃も静かに返す。
「う、うん!」
琥珀も、少しだけ強張った声で返した。
紫月は小さくうなずく。
「お願い」
それで、始まった。
藍虹隊が右ルートの断片群へ走る。
黒い糸が広場の外周を這っていた。
それを澪那たちが切り、散らし、広がりを遅らせる。
第七部隊は中央から左寄り。
残留思念たちと出口の間に立つ。
紅羽が槍を構える。
兵骸種が二体、横から回ってきた。
真正面から叩き止める。
赤虹みたいな派手さはない。
でも、堅い。
そして今は、その堅さがありがたい。
「夕璃ちゃん、左端!」
詩乃の声。
女の人の残留思念が、断片へ引かれて一歩出る。
夕璃はそっちへ飛ぶ。
「止まれ!」
声をかける。
届くかわからない。
でも、黙ってるよりはいい。
女の人の影が、一瞬だけこちらを見る。
その顔は見えない。
でも、何か言いたそうな気配だけがある。
そこへ紫月の光が届く。
白い光が足元を包む。
女の人の影が止まる。
「一人!」
紫月が言う。
「次、子ども!」
順番に。
近い方から。
つなげる方から。
痛い選び方だった。
でも今は、それしかない。
琥珀が真正面に立っている。
いつもなら突っ込みたがるのに、今日は動かない。
その代わり、引かれそうな残留思念へ向かって大声を投げている。
「そっちじゃない! 戻れ!」
雑だな、と思う。
でも、その雑さが妙に効く相手もいる。
小さな子どもの影が、琥珀の声で一瞬だけ止まった。
「まじか」
夕璃が小さく言う。
「ほら!」
琥珀が言う。
「あたし、声で役に立ってる!」
「うるさいのが初めて正面から活きてるな!」
「ひどくない!?」
でも、そのやり取りの間にも、広間の奥ではまだ何人かが引かれていた。
紫月の領域は全部には届かない。
届かないから、順番に、優先をつけている。
それが見える。
見えるのが、つらい。
紫月の呼吸が少しずつ浅くなる。
でも、目だけは前を見ていた。
「次、右の二人!」
光が伸びる。
夕璃と詩乃がその間を埋める。
紅羽が兵骸を押し返す。
琥珀が線を守る。
前より、うまく回っている。
でも、前よりうまいからこそ、届かないところがはっきり見えてしまう。
広間の一番奥。
杖をついた老人の影がいた。
距離がある。
断片の糸がもうかなり足元に絡んでいる。
「紫月!」
夕璃が呼ぶ。
紫月はそっちを見た。
見て、少しだけ息を止めた。
「……だめ」
その一言は、かすれていた。
夕璃は何も言えなかった。
紫月は視線を切らないまま、小さく続ける。
「そっち行ったら、今つないでる方が切れる」
正しい。
正しいから、苦しい。
老人の影は、こちらを見ているようにも見えた。
それとも、ただ前を向いているだけなのか。
わからない。
その次の瞬間、黒い糸が足元を包み、老人の影が静かに奥へ引かれた。
悲鳴もない。
派手な何かもない。
ただ、そこで間に合わなかった。
「……っ」
琥珀が顔をしかめる。
詩乃も、ほんの少しだけ目を伏せた。
でも、紫月はその瞬間に視線を戻した。
「次、左!」
声は震えていた。
でも、止まらない。
「まだこっちが切れる!」
その声で、夕璃は息を吸った。
そうだ。
今のを引きずって全部遅れたら、もっと落ちる。
「紅羽、左前!」
「押さえる!」
「詩乃、中央!」
「了解!」
「琥珀、そこ動くな!」
「わかってる!」
戦いは続く。
紫月の領域が、残りの近い残留思念を一人ずつつなぎ止める。
藍虹隊が断片群を切り崩す。
第七部隊が兵骸と人形型を押し返す。
そして、ようやく広間の流れが止まった。
静かになる。
黒い糸がほどける。
残った残留思念たちが、ぼんやりとその場にとどまる。
黄虹隊と緑虹隊がすぐに入り、保全と回収ラインを作る。
戦闘としては成功だ。
でも、その言葉で片づけるには、一人分だけ足りなかった。
紫月はその場で膝をつきそうになるのを、実乃里に支えられて止まった。
「先輩!」
「大丈夫……まだ」
「まだって言ってる時点でだめです!」
実乃里の声が少しだけ強い。
珍しく、本気で怒っている感じがした。
紫月は少しだけ苦しそうに笑う。
「ごめん」
「謝るの後にしてください!」
そのやり取りを聞きながら、夕璃は少し離れたところに立っていた。
広間の奥。
老人の影が消えた方を見る。
何もない。
もう何も残っていない。
それが逆に、妙に重かった。
「夕璃ちゃん」
紫月の声がする。
夕璃が振り向く。
紫月はまだ少し息が乱れていた。
でも、こっちをまっすぐ見ている。
「……ごめんね」
「何でお前が謝る」
夕璃が言うと、紫月は少しだけ目を伏せた。
「今の、助けられたかもしれないって、ちょっと思っちゃったから」
その気持ちは、たぶんここにいる全員が思っている。
だからこそ、夕璃は首を横に振る。
「思うのは勝手だ」
「うん」
「でも、今はつないだ方見ろ」
紫月は少しだけ目を見開いた。
そして、ゆっくりうなずく。
「……うん」
夕璃はそこでようやく、少しだけ息を吐いた。
紫月は変わった。
全部を抱えようとして壊れるんじゃなく、選んでつなぐ方へ一歩進いた。
今のは、きつい。
かなりきつい。
でも、それでも前よりは強い。
そのとき、奏が回収ラインの向こうから来た。
紫月の前にしゃがむ。
「えらかったね」
その一言だけで、紫月の顔が少しだけ崩れそうになる。
「……あんまり、えらくない」
「そんなことないよ」
奏の声はやわらかい。
でも、変に甘やかす感じでもない。
「全部助けられないって知った上で、切らない方をつないだでしょ」
紫月のまつげが揺れる。
「それ、すごくしんどいけど、ちゃんと前に進いてるよ」
紫月は何も言えなかった。
でも、その目だけでたぶんかなり救われているのがわかった。
琥珀が少し離れたところでぽつりと言う。
「……前のときより、もっと痛いのに、前よりちゃんとしてるの、なんかずるいな」
「意味わからん感想だな」
夕璃が返す。
「でも、ちょっとわかる」
詩乃が言った。
静かな声だった。
でも、前よりちゃんと“こっち側”にいる声だった。
広間の奥、最深部へ続く通路はもう目の前だった。
そこへ行けば、もっと深い何かが待っている。
でもその前に、紫月はちゃんと一歩進いた。
全部は救えない。
それでも、つなぐ方を選んだ。
それだけで、意味は十分にあった。
その先へ進むための痛みだったとしても。
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