「並んで進める」
中層の地下街は、地上よりも“生活の跡”が濃かった。
壊れたショーケース。
倒れた案内板。
閉じたままのシャッター。
床に散らばる買い物袋。
誰もいないのに、ついさっきまで人がいたみたいな空気が残っている。
そういう場所は、嫌だ。
戦場として割り切りにくいから。
「右、広場に出る」
澪那が前方で小さく言う。
藍虹隊が先に足を止める。
その合図で、第七部隊も動きを落とした。
広場、と呼ばれていた場所は、地下モールの吹き抜けだった。
上階へ続くエスカレーターは途中で止まり、天井の照明は半分以上落ちている。
中央には小さなイベントステージみたいな円形の台があった。
その周りを、黒い残滓がうごめいている。
「数、多いな」
夕璃が言う。
兵骸種だけで六。
人形型残滓が二。
それに、床のひびから黒い糸みたいなものが広がっている。
「住民反応は?」
紅羽が聞く。
透子が端末を見る。
「上階に三。浅い」
「残留思念?」
「たぶん」
その返事だけで、少しだけ空気が重くなる。
敵だけならまだ単純だ。
でも、残留思念が混ざると途端に面倒になる。
斬って終わり、ではなくなるから。
『第七、上階右手の回廊見て』
雫の声が入る。
『人の形が三つ。まだ固まってるだけだけど、下の断片が広がると引っ張られるかも』
「……またそのやつか」
夕璃が小さく言う。
嫌というほど見た。
人じゃない敵と、人だったものの境目がぐちゃぐちゃになるやつ。
「第六は枝を切る」
澪那が言う。
「第七、上を見て」
「了解」
紅羽が即答する。
上階。
つまり、残留思念側の処理が第七部隊に回ってきた。
紅羽がすぐに切る。
「配置。私と黒瀬が上。白峰、中央の断片位置だけ見てろ。九条は紫月の前。勝手に線を越えるな」
「うっ」
琥珀が顔をしかめる。
「またそれ」
「まただ」
「紅羽先輩、今日ほんと一生言うじゃん」
「お前が一生危ないからだ」
「ひど!」
「でも、今日は聞いて」
紫月が静かに言った。
琥珀がそっちを見る。
「……うん」
その返事は不満そうだったけど、ちゃんと届いていた。
夕璃は長刀を構える。
「行くぞ」
紅羽と一緒に上階の回廊へ上がる。
壊れたエスカレーターは使えない。
横の非常階段を蹴って、一気に二階へ。
上階の空気は下より少しだけ冷たかった。
人影が三つ。
小さな子ども。
女の人。
杖をついた老人。
全部、ぼんやりしている。
でも、輪郭だけはやけに人間らしい。
「……いやだな」
夕璃が言う。
「そうだな」
紅羽も短く返す。
こういうのはやりにくい。
敵ではない。
でも放っておくと、断片に引かれて崩れる。
『下の断片、広がる』
雫の声。
『三十秒以内に上を切らないと飲まれる』
「わかりやすく最悪だな」
夕璃は一歩前に出る。
残留思念たちは、まだこちらを見ていない。
ただ、下の黒い糸にゆっくり引かれ始めている。
「どうする」
紅羽が聞く。
「斬るわけにいかない」
「だから“どうする”と聞いている」
もっともだった。
夕璃は歯を食いしばる。
紫月の領域だけに任せるには広い。
放っておけば落ちる。
紅羽と自分だけで抱えるには三人は多い。
そのとき、下から詩乃の声が飛んだ。
「夕璃ちゃん、左からなら届く!」
「何が」
「音!」
音。
その一言で、少しだけわかる。
この人たち、視線じゃない。
下から来てる“呼ばれる感じ”に引っ張られてる。
「紅羽、右!」
「任せろ!」
紅羽が回廊の反対側へ走る。
夕璃も左へ。
二手に分かれる。
そして、二人で同時に声を投げる。
「そっち行くな!」
夕璃が叫ぶ。
「止まれ!」
紅羽の声が重なる。
子どもの影が一瞬だけ揺れる。
女の人の顔が、ほんの少しだけこちらを向く。
それだけでは足りない。
下から、また黒い断片が広がる。
まずい。
「紫月!」
夕璃が叫ぶ。
「少しだけ上まで伸ばせる!?」
「やる!」
白い光が、下階からすっと伸びてくる。
細い。
でも確かに、上階の回廊まで届いた。
その光が残留思念たちの足元を包む。
引かれる力が少しだけ弱まる。
そこへ、琥珀の声が下から飛んだ。
「そっち行くなって言ってんだろーっ!」
大声だった。
きれいでもないし、上品でもない。
でも、その声だけが妙にはっきり上まで届く。
子どもの影が、ぴたりと止まる。
「……え」
夕璃が思わず言う。
琥珀本人も、下で「え?」って顔をしていた。
たぶん今のは狙ってない。
でも、その“余計なこと考えずまっすぐ止める声”が、この場ではいちばん届いた。
「夕璃!」
紅羽の声。
はっとする。
下の断片がもう一段広がった。
残留思念を止めても、元を切らなきゃ意味がない。
「詩乃!」
「見えた!」
下から返事。
「中央の台の裏! 断片核、浅い!」
「黒瀬、下がるぞ!」
紅羽が叫ぶ。
上階の残留思念は、紫月の光と琥珀の声でぎりぎり止まっている。
だったら今しかない。
夕璃は回廊の手すりを蹴った。
飛び降りる。
着地と同時に、中央の台へ走る。
人形型残滓が一体、前へ出る。
長刀で受ける。
浅く流す。
核は見ない。今は時間優先。
「紅羽、前!」
「押さえる!」
紅羽の槍が残滓と兵骸をまとめて止める。
その正面固定は、やっぱり強い。
詩乃が音もなく夕璃の横へ出た。
「台の下、左」
「了解」
詩乃の視線と、自分の勘。
それが前より噛み合う。
円形台の下へ身体を滑らせる。
黒い糸。
その奥に、小さな核。
虫みたいに脈打っている。
「気持ち悪……!」
琥珀が言う。
「黙ってろ!」
夕璃が返す。
「反応しそうになる!」
「その余裕あるなら平気じゃん!」
言い返しながらも、夕璃は長刀を突き込んだ。
一撃。
硬い。
まだ足りない。
そこへ詩乃が横から滑り込んで、双短刀を逆手に差し入れる。
夕璃の刃の裂け目と、詩乃の細い刃。
その二つがぴたりと重なる。
残響。
核が割れた。
次の瞬間、床を這っていた黒い糸が一気にほどける。
上階の残留思念も、そこでようやく引っ張る力を失った。
広場が静かになる。
『上階、反応安定』
雫の声。
『今のうちに回収ライン引く。黄を回す』
「了解」
夕璃は息を吐く。
前より、少しだけましだ。
前の第七部隊だったら、たぶんもっと雑に突っ込んで、もっと危なかった。
紅羽も同じことを思ったのか、小さく言った。
「前よりは、まともだな」
「めずらしいな、素直」
夕璃が言う。
紅羽は少しだけ眉を寄せる。
「事実を言っただけだ」
「でも褒めた」
「褒めてはいない」
「してるよ」
下から琥珀が言った。
「今のちょっと嬉しかったし」
「お前には言っていない」
「えー」
「でも、琥珀ちゃんの声、よかった」
紫月が少し息を乱しながら言う。
「うるさいのって、たまに大事だね」
「紫月先輩まで!?」
「褒めてるよ」
「ほんと!?」
「うん」
そこで琥珀が、ちょっとだけ元気な顔になる。
単純だなと思う。
でも今は、その単純さがありがたかった。
そのとき、夕璃の視界が一瞬だけ揺れた。
息を吸う。
冷たい感じが、頭の奥をかすめる。
まただ。
深部へ近づくほど、記憶ノイズの触れ方が強くなっている。
目の前の広場が、一瞬だけ別の場所に重なった。
白い駅のホーム。
血のついた階段。
長い髪の女の影。
「……っ」
「黒瀬!」
紅羽の声が飛ぶ。
夕璃ははっとして顔を上げた。
広場は元のままだ。
詩乃も、琥珀も、紫月もいる。
「どうした」
紅羽が一歩近づく。
「……少し、引かれた」
ごまかす気にはなれなかった。
紅羽の目が細くなる。
「場所は」
「まだ平気」
「まだ、で止めるな」
「止めてる」
「顔が止まってない」
そこを雫の声が通信で拾う。
『黒瀬、今の波形、ちょっと深かった』
「見てたのかよ」
『見てるよ。だから言ってる』
雫は一拍置いて続けた。
『次、同じの来たら一回下がって』
「嫌だね」
『嫌でも』
そこで少しだけ通信が乱れた。
ノイズ。
ざ、と短く走る。
全員が一瞬だけ上を見る。
深部側だ。
向こうからの反応が、また一段強くなった。
澪那が前方の通路から戻ってくる。
「中層終わり」
短く言う。
「次、深部手前の接続広間」
その言い方だけで、空気が変わる。
深部手前。
つまり、もうかなり近い。
「休憩は?」
琥珀が聞く。
「三分」
透子が答えた。
「短っ!」
「十分だよ」
「ひど!」
でも、その短さが逆にありがたい気もした。
長く止まる方が、変なことを考えそうだったから。
紫月は壁に軽く背を預けて呼吸を整えている。
でもまだ、目は死んでいない。
「紫月」
夕璃が近づく。
「いける?」
紫月は少しだけ笑った。
「前より、ちゃんと聞いてくれるね」
「茶化すなよ」
「ごめん。……いける」
少しだけ間があった。
でも、それは無理の嘘じゃない感じだった。
「ただ、次はたぶんきつい」
「だろうな」
「だから、わたしが止まれって言ったら、止まってね」
その言い方はやわらかいのに、少し強かった。
夕璃は一瞬だけ黙って、それからうなずく。
「わかった」
紫月はそれで少しだけ安心したみたいに息を吐いた。
詩乃は、その少し離れたところで一人、壊れたガラスケースの上に指を置いていた。
顔は普通。
でも、静かすぎる。
夕璃は近づく。
「詩乃」
「ん?」
「今、どうだ」
詩乃は少しだけ考える。
「……ちゃんとここにいるよ」
「そうじゃなくて」
「わかってる」
詩乃は小さく笑った。
「怖いし、少し楽にも感じる」
その言い方が、かなり嫌だった。
でも、黙って抱え込まれるよりはましだ。
「だから」
詩乃は夕璃を見る。
「今のうちに言っとく。もし変だったら、ちゃんと止めて」
夕璃は少しだけ息を止める。
「ずいぶん素直になったな」
「夕璃ちゃんがしつこいからね」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
それで少しだけ、二人とも笑った。
短い。
でも、その短さで十分だった。
三分はすぐ終わる。
各隊がまた動き出す。
深部手前の接続広間へ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
もし作品を気に入っていただけましたら、
下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。
★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/
また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。
引き続きよろしくお願いいたします。




