「壊れた街の奥へ」
外縁第一ゲートの朝は、やけに風が強かった。
冷たいわけじゃない。
でも、肌に当たる感じが少しざらついている。旧第十三市街の方から吹いてくる風って、いつもそうだ。乾いてるのに、どこか湿っている。
嫌な街の風だな、と夕璃は思う。
ゲート前には、すでに各部隊が並んでいた。
赤虹隊。
黄虹隊。
緑虹隊。
青虹隊。
藍虹隊。
そして、第七部隊。
こうして見ると、本当に総侵入なんだなと思う。
前のときより、人数も空気もずっと重い。
朱里は赤虹隊の先頭で、静かに前を見ていた。
千晴は黄虹隊の配置を最後まで確認している。
奏は緑虹隊の補助員と短く言葉を交わしていて、雫はすでに高所観測班と端末をつないでいた。
澪那は相変わらず静かで、そこにいるだけで「始まるな」とわかる感じがある。
「……すご」
琥珀が小さく言った。
「何が」
夕璃が聞く。
「なんか、ほんとに大きい戦いっぽい」
「今さらかよ」
「いや、だって会議のときよりこう……目で見ると違うじゃん」
たしかにそうだった。
資料や言葉で聞くのと、実際に全部隊がここに並んでいるのを見るのでは、重さが違う。
「九条」
紅羽が低く呼ぶ。
「なに」
「自分の線、忘れるな」
琥珀は一瞬だけ口をとがらせた。
でも、すぐにうなずく。
「……うん」
その返事に、夕璃は少しだけ横目を向ける。
前の琥珀なら、こういうときもっと軽く返していた。
今はちゃんと、重さを知った上で言っている。
紫月は小さなケースをもう一度確認していた。
奏から渡された浄化パッチと、緩衝用の補助薬だ。
「紫月」
夕璃が呼ぶ。
「なに?」
「深部手前まで、だろ」
「うん」
「無理すんなよ」
紫月は少しだけ目を丸くして、それから笑った。
「それ、夕璃ちゃんが言うの」
「言う」
「珍しい」
「そうか?」
「うん。ちょっと」
その言い方に、夕璃は少しだけ視線をそらした。
たしかに珍しいかもしれない。
でも今は、言わない方が変な気がした。
「大丈夫」
紫月は静かに言う。
「止まる場所、ちゃんとわかってるから」
その返事は、前より少しだけ強かった。
少しだけ、前に進いた強さだ。
「第七」
霧島の声が飛ぶ。
「配置確認、終わったな」
「はい」
紅羽が答える。
「黒瀬」
「なに」
「今から先、影が見えても勝手に行くな」
いきなり核心だった。
夕璃は少しだけ顔をしかめる。
「見える前提で言うなよ」
「見えるだろ」
「……まあ」
「なら行くな」
「雑な命令だな」
「わかりやすいだろ」
それはそうかもしれない。
霧島はそれ以上言わず、前線全体へ向き直る。
「総侵入を開始する。各隊、予定ルートへ」
ゲートがゆっくり開く。
その向こうに広がっているのは、壊れた街だった。
何度見ても、気分のいい景色ではない。
崩れたビル。
止まった信号。
傾いた高架。
割れたガラス。
誰もいない道路。
でも、完全に死んだ街にも見えない。
まだ何かが奥で動いている感じが、ずっとある。
「……行くぞ」
紅羽が言った。
第七部隊が前へ出る。
その少し前を藍虹隊。
さらにその前では、赤虹隊がすでに正面の敵を押さえ始めていた。
開戦は速かった。
旧第十三市街の外縁に出た瞬間、兵骸種がわいた。
建物の陰から、道路の裂け目から、止まった車列の間から。
数は多い。でも、まだ浅い。
「赤、前押す!」
朱里の声が通る。
大剣が一閃。
正面の兵骸種がまとめて吹き飛ぶ。
赤虹隊の前進って、見ていて気持ちいいなとこういうときだけ思う。
真正面から圧でこじ開ける感じが、あまりにもわかりやすい。
『第七、右ルート生きてる。黄が避難線引く』
雫の声が通信に落ちる。
高所から全体を見ている声だ。
冷たいけど、迷いがない。
『藍はそのまま地下入口へ。紫は後ろ三歩。前に出すぎないで』
「誰に言ってんの」
夕璃が言う。
『主に黒瀬と九条』
「ほらー!」
琥珀が言う。
「なんであたし巻き込まれるの!」
「巻き込まれじゃないだろ」
夕璃が返す。
でも、そのやり取りが入ると少しだけ息がしやすい。
深呼吸するみたいに、いつもの感じを思い出せるから。
黄虹隊が左側で避難線を作っているのが見える。
千晴が前に立って、隊員へ的確に指示を飛ばしている。
緑虹隊はその後ろで補給と浄化の中継。
奏が何人かを一目で見て、すぐに手当ての優先を振っていた。
総力戦だ。
それもちゃんと噛み合っている総力戦。
「右、二!」
詩乃の声。
夕璃は反射で長刀を構える。
建物の影から人形型残滓が二体、滑るように出てきた。
兵骸種より人に近い。
近い分だけ気持ち悪い。
「詩乃、左」
「うん」
「琥珀、右は見るだけ!」
「見るだけって何!?」
「飛ぶなって意味!」
「最初からそう言ってよ!」
言いながらも、琥珀は今回はちゃんと止まる。
そこへ詩乃が音もなく入った。
双短刀が一体の足を切る。
夕璃はもう一体へ踏み込む。
人形型残滓がこちらを見る。
次の瞬間、頭の中に知らない景色が差し込んだ。
暗い駅。
血のついた手すり。
泣いている子ども。
知らない。
でも、気持ち悪いくらい近い。
「っ……」
刃で受ける。
浅く。
深く触れるな、と雫と綾瀬に散々言われたのを思い出す。
『黒瀬、深く切らないで』
ちょうど通信で雫が言った。
「タイミングうざいな!」
『助かってるなら文句言わないで』
そのまま夕璃は残滓の横へ流れ、背中へ長刀を滑らせる。
核は首じゃない。肩甲骨の間。
詩乃の視線と自分の感覚が、前より噛み合う。
「そこ」
詩乃の声。
「見えてる」
斬る。
残響。
核が割れる。
人形型が崩れる。
琥珀が見ていた方も、詩乃が一瞬で落とした。
「はい終わり!」
琥珀が言う。
「お前は見てただけだろ」
夕璃が返す。
「見てただけでも役に立ったし!」
「それはそう」
実際、それはかなり大事だ。
前の琥珀なら我慢できずに突っ込んでいた場面で、ちゃんと止まれた。
それだけで今は十分すぎる。
地下入口が見えてくる。
藍虹隊が先に入り口を押さえる。
地上から地下へ降りる連絡通路。
暗い。冷たい。湿っている。
旧第十三市街の“中”へ入る感じがした。
「ここから先、観測少し荒れる」
雫の声。
『でも切らない。絶対に切らないで』
「誰が」
『全員』
「雑だなあ」
『でもわかりやすいでしょ』
夕璃は少しだけ息を吐いた。
今日みんな、その言い方をやたら使う。
地下へ降りる。
空気が変わる。
外の風の匂いが消えて、古いコンクリと金属の匂いが強くなる。
壁の非常灯は半分死んでいる。
生きている灯りだけが、白くて冷たい線を足元に落としていた。
「……やっぱりやだ」
琥珀が小さく言う。
「お前、最近そればっかだな」
夕璃が返す。
「だってほんとにやなんだもん」
「正直でいいと思う」
紫月が後ろから言う。
「やだって思ったまま進める方が、ちゃんとしてるよ」
その言い方が紫月らしくて、少しだけ気持ちが落ち着く。
藍虹隊が前で止まった。
澪那の手が上がる。
「反応、前方十」
「浅い?」
紅羽が聞く。
「三つ浅い。ひとつ深い」
透子が端末を見ながら答えた。
「またいやな言い方するな」
夕璃が言う。
「でも合ってるし」
その返しで、前方の暗がりが動いた。
兵骸種が三体。
その奥に、ベール状の断片が一つ。
さらに、その向こうの通路の壁面に、黒い染みみたいなものが広がっている。
ただの敵じゃない。
街そのものが反応している。
「第六が先」
澪那が言う。
「第七、後ろ三歩」
動く。
前よりはっきり、藍と紫の役割が噛み合っている。
藍虹隊が枝を切る。
第七部隊は、その向こうの“崩れそうなところ”だけを取る。
紅羽が前。
夕璃が中央。
詩乃が死角。
琥珀は線を守る。
紫月が後ろから全体をつなぐ。
昔より、声が増えた。
「右一体!」
「見えてる!」
「詩乃、断片の核!」
「胸じゃない、左上!」
「琥珀、そこ越えるな!」
「わかってるって!」
「紫月、大丈夫か!」
「まだいける!」
戦いながら、ちゃんとお互いを見ている。
それだけで、前より強い。
断片を落とし、兵骸を掃き、黒い染みも藍虹隊が切り離す。
短い戦闘が終わる。
「……前よりましだな」
夕璃が息を吐きながら言う。
「何が」
紅羽が聞く。
「うち」
紅羽は数秒だけ黙って、それから短く返した。
「当然だ」
その言い方が、紅羽っぽい。
でも少しだけ、嬉しそうにも聞こえた。
そこへ、また雫の声が入る。
『第七、気をつけて』
「今度は何」
夕璃が聞く。
『黒瀬と白峰の反応だけ、少し先に動いてる』
嫌な言い方だなと思う。
でも意味はわかる。
「つまり?」
『向こうが、二人を先に見つけてるかもしれない』
その瞬間、夕璃の背中を冷たいものが走った。
前方の通路はまだ暗い。
でもその奥から、何かがこちらを見ている感じが急に濃くなる。
詩乃が小さく息をのんだ。
「……歌」
「え」
琥珀が聞く。
「聞こえる」
詩乃は前を見たまま言う。
「遠くで、女の人が歌ってるみたいな……」
夕璃の耳の奥も、少しだけざわついた。
でも、歌まではまだ聞こえない。
その代わり、見えた。
通路のずっと奥。
非常灯の届かない暗い角。
そこに、長い髪の女の影が立っていた。
そして、少しだけこちらを向いた気がした。
「……っ」
「夕璃ちゃん?」
紫月の声。
瞬きする。
影はもういない。
でも、気配だけは残っている。
向こうも気づいている。
こっちも、もう見つかっている。
澪那が前を見たまま言う。
「深部、近いね」
その静かな声だけで、空気が一段落ちる。
旧第十三市街は、ただ待っているんじゃない。
ちゃんとこちらを見て、選んで、引っ張ろうとしている。
それが、地下の奥へ進むほどはっきりしてきた。
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