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終わりの世界で輝く・・・彼女たちの残滓  作者: きなこもち
第2章

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「壊れる方が、楽なときもある」



 白暁院の旧観測棟は、今はほとんど使われていない。


 現役の観測設備は新棟に集約されていて、こっちは予備設備と古い記録庫が残ってるだけ……という話を、夕璃は前に雫から聞いた気がする。


 だから、夜のそこは静かだった。


 静かで、暗くて、嫌な感じがした。


「なんでこういうとこ、だいたい旧棟なんだろ」


 走りながら夕璃が言う。


「新しくて明るい場所に、わざわざ危ないことしに行く人は少ないからじゃない?」


 雫が横で返す。


「妙に納得するな」


 紅羽は無言だった。


 階段を上がる足音が硬い。急いでる。かなり。


 旧観測棟の入口は施錠されていたけど、雫が端末でこじ開けた。こういうときの青虹隊はほんと便利だなと思う。普段は言わないけど。


 中に入る。


 埃っぽい匂い。電源の落ちた端末列。薄暗い廊下。古い蛍光灯が何本かだけ生きていて、白くて冷たい光を落としている。


「反応、上」


 雫が短く言う。


 三階。


 階段を上がる。途中で、夕璃の耳の奥が少しだけざわついた。


 いやな感じだ。


 旧第十三市街のときと少し似てる。

 詩乃が一人。

 静かな場所。

 危ない方へ寄る空気。


「詩乃!」


 夕璃が呼ぶ。


 返事はない。


 三階の廊下はさらに暗かった。奥の観測室だけ、扉の隙間から薄く灯りが漏れている。


 そこにいる。


 そうわかるくらいには、空気が違った。


 紅羽が先に行こうとしたのを、夕璃が軽く腕で止める。


「待って」


「なぜ」


「今、いきなり強く入るとだめな気がする」


 勘だった。


 でも、たぶん当たる。


 雫も小さくうなずいた。


「同意。波形、まだ揺れてるけど壊れてない。刺激が強いと逆に振れる」


 夕璃は観測室の扉へ手をかける。


 ゆっくり開けた。


 詩乃は、窓際に立っていた。


 観測室の大きなガラスの向こうに夜の学園が見える。暗い校舎、外壁の警戒灯、遠くの白暁院の明かり。その前に、詩乃がひとり立っている。


 振り返らない。


「……詩乃」


 夕璃が呼ぶ。


 少し遅れて、詩乃が顔だけこちらへ向けた。


 表情はない。


 いや、正確には、静かすぎる。


「来ると思った」


 声はやわらかかった。


 でも、体温が少し足りない。


 紅羽が一歩前へ出る。


「戻るぞ」


「紅羽先輩、それだと犬みたい」


 詩乃が小さく笑う。


 その笑い方が、夕璃の背中を少し冷やした。


「戻るよ」


 詩乃は続ける。


「でも、少しだけ考えてた」


「何を」


 雫が聞く。


 詩乃は窓の外を見た。


「もし、楽な方へ行ったらどうなるんだろって」


 真正面から来た。


 夕璃は息を詰める。


「楽な方って」


 紅羽の声が低い。


「宵待隊長が言ってた方」


 詩乃は淡々としていた。


「向いてることを、そのまま使う方」


 旧観測室の静けさの中で、その言葉だけが妙にはっきり聞こえる。


 雫が少しだけ顔をしかめた。


「それ、考えて答え出す種類の話じゃない」


「そうかな」


 詩乃は首をかしげる。


「だって、今日わたし、会議で言っちゃったし」


 向いてるのはわかってる。

 でも、それでいいとは思ってない。


 さっきの言葉だ。


「言ったあと、ちょっとだけ楽になったんだよね」


 その言い方が、まずい。


 夕璃は一歩前へ出る。


「詩乃」


「うん」


「今、何が聞こえてる」


 詩乃の目が少しだけ細くなる。


 紅羽と雫が、こっちを見る。


 たぶん今の問いで、夕璃がなにを見ているか伝わった。


 詩乃は少しだけ黙ってから答えた。


「声」


 やっぱり。


「どんな」


「やさしい声」


 その答えに、夕璃は奥歯を噛んだ。


 最悪だ。


 こういうのは、きつい声の方がまだましだ。やさしい声で沈めてくる方がずっと危ない。


「なんて言ってる」


 夕璃が聞く。


 詩乃は笑ってない顔で、静かに言った。


「“もう頑張らなくていいよ”って」


 部屋の空気が少しだけ変わる。


 紅羽の肩が強張る。雫の視線が鋭くなる。


 でも、誰もすぐには詰めなかった。


 夕璃だけが一歩、また一歩と近づく。


「それ、お前の声じゃないだろ」


「うん」


「じゃあ聞くなよ」


「聞かないようにしてる」


 詩乃は言う。


「でも、ちょっとだけ、そうだったらいいなって思っちゃう」


 そこまで言って、詩乃はようやく少しだけ苦しそうに笑った。


「ね。やばいでしょ」


 その一言で、夕璃の中の何かが決まる。


 詩乃は今、落ちてない。


 でも、落ちる手前にいる。


 だから、ここで届かなきゃだめだ。


「やばいよ」


 夕璃は言った。


 詩乃が目を上げる。


「かなり」


 夕璃はもうごまかさなかった。


「でも、そこで納得するな」


「してないよ」


「してる」


 少しだけ声が強くなる。


「楽な方がいいって、一瞬でも頷いてる時点で、もうそっちに足かけてる」


 詩乃の表情が、少しだけ揺れる。


 紅羽も、雫も、黙っていた。


 夕璃に任せている空気だった。


「詩乃」


 夕璃はまっすぐ言う。


「向いてることと、行っていい場所は違う」


「さっきも聞いた」


「何回でも言う」


「しつこいなあ」


「しつこくする。今は」


 詩乃は少しだけ目を伏せる。


「でも、夕璃ちゃん」


「なに」


「疲れるよ」


 その言い方がやけに静かで、逆に刺さる。


「嫌だって思って、でも向いてて、役に立てて、だったら、もういっそ……って思うの、すごく疲れる」


 そこまで言って、詩乃は窓ガラスへ手をついた。


「誰かが“もういいよ”って言ってくれたら、ちょっとだけ、そっちに行きたくなる」


 紅羽が何か言おうとして、でも止まった。


 たぶん、正しい言葉を選ぼうとしたんだろう。

 でも今は、それだと遅い。


 夕璃は詩乃のすぐ前まで行く。


「じゃあわたしが言う」


 詩乃が顔を上げる。


「まだ、いいよ、じゃない」


 はっきり言う。


「だめだよ」


 詩乃の目がわずかに見開かれる。


「今、そっち行くの、だめ」


 夕璃は続ける。


「楽でも、だめだ。向いてても、だめだ」


 喉の奥が少し熱い。


 でも、止まらない。


「行くな、詩乃」


 そこでようやく、詩乃の顔がほんの少し崩れた。


「そっちは楽でも、あんたが消える」


 静かな観測室に、その言葉だけが落ちる。


 紅羽も、雫も、何も言わない。


 詩乃はしばらく動かなかった。


 窓ガラスに触れたまま、息だけが少しずつ浅くなっていく。


 やがて、ほんの少しだけ首を振った。


「……わかってる」


 小さい声だった。


 でも、それはさっきまでの静かな諦めの声じゃなかった。


「わかってるから、嫌なんだって」


 詩乃のまつげが震える。


「わかってるのに、楽な方見ちゃうのが、いちばんやなんだよ」


 その瞬間、夕璃はようやく、少しだけ肩の力を抜いた。


 まだ戻れる。


 完全には落ちていない。


 雫がそこで静かに息を吐く。


 紅羽も一歩だけ前へ出る。


「戻るぞ」


 今度の言い方は、さっきより少しだけやわらかかった。


 詩乃は少しだけ笑う。


「紅羽先輩、それしか言わないね」


「それで十分だ」


「まあ、そうかも」


 詩乃は窓から手を離した。


 その瞬間、観測室の端に置かれていた古いモニターが、ぶつっと音を立てて点いた。


 全員がそっちを見る。


 誰も触っていない。


 画面には砂嵐。

 その中に、ひとつだけ映るものがある。


 白いベール。


 長い髪。


 顔のない花嫁。


「……っ」


 詩乃の呼吸が止まりかける。


 夕璃も一瞬だけ目を見開いた。


 喪鐘の花嫁。


 映像じゃない。記録でもない。

 たぶん、向こう側から“見せてきた”。


 砂嵐の向こうで、花嫁の顔の裂け目がゆっくり開く。


 鐘の音はない。


 でも声は落ちた。


「やっと、笑える顔になってきたのに」


 詩乃の肩が震える。


 次の瞬間、雫が前へ出て端末を叩き込んだ。モニターが一気にブラックアウトする。


 ぶつん、という乱暴な音。


 部屋が静かになる。


「……最悪」


 雫が低く言った。


 珍しく、完全に感情が出ていた。


 紅羽はすぐに詩乃の前へ立つ。


「聞くな」


 短い。


 でも、強い。


 詩乃は何も言えなかった。


 夕璃も、少しだけ呼吸を整えるのに時間がかかった。


 今のはまずい。


 深部侵入前夜に、向こうから直接触ってきた。


 つまり、もう気づかれている。


 いや、最初から知っていたのかもしれない。


 詩乃だけじゃない。第七部隊そのものが、あの敵に見つかっている。


「綾瀬に報告」


 雫が言う。


「今すぐ」


「待て」


 紅羽が止める。


「報告はする。だが、詩乃を隔離する話になると」


「なるよ」


 雫が切る。


「今のを見て、ならない方がおかしい」


 その正しさが、今はいちばん厄介だった。


 夕璃はすぐに言う。


「隔離はだめだ」


「なんで」


 雫がこっちを見る。


「今ここで一人にしたら、もっと危ない」


 夕璃は答える。


「繋がりを切るんじゃなくて、逆だ。明日までは視界に置く」


 紅羽が短くうなずく。


「同意する」


 雫は少しだけ顔をしかめた。


 でも、完全には否定しない。


 たぶんわかっているんだ。詩乃が今いちばん危ないのは、敵の干渉そのものより、“自分一人で抱えようとすること”だと。


 詩乃はそこまでずっと黙っていた。


 やがて、小さく言う。


「……ごめん」


 琥珀がいたらたぶんすぐ「謝るな!」って言ってただろうな、と思う。


 でも今ここにいる三人は、そういう元気な役回りではない。


 だから、夕璃が言う。


「謝るのは明日終わってからにしろ」


 詩乃が顔を上げる。


「終わったら、いくらでも聞く」


「重いなあ」


 詩乃は少しだけ笑った。


 その笑い方は、ようやく人っぽかった。


 紅羽が言う。


「今夜は一人にしない」


「え」


「部屋替えだ。紫棟の共有スペースか、誰かの部屋で寝ろ」


「犬猫みたいに言わないでよ」


「そう聞こえるなら、お前にまだ余裕がある証拠だ」


 その返しはちょっとだけ上手いなと思った。


 雫がため息をつく。


「……私も付き添う」


「青虹隊なのに?」


 夕璃が聞く。


「だから何」


「いや、ちょっと意外」


「わたしも見たから」


 雫は古いモニターの黒い画面を見た。


「今の、記録じゃない。向こうからこっち見てた」


 その認識は、たぶん全員一致している。


「だったら、ここからは青も当事者」


 言い切った。


 強いなと思う。


 でも、少しだけありがたかった。


 結局その夜、詩乃は紫棟の共有スペースに布団を持ち込まれて寝ることになった。


 紫月と琥珀も叩き起こされて、状況だけ共有された。

 琥珀は最初「は!?」ってかなり大きい声を出したし、紫月は顔を青くした。

 でもそのあと、二人とも何も言わずに布団を並べた。


 そういうとこだよな、この部隊は。


 雑で、まとまってなくて、うるさい。


 でも、こういうときだけ変に揃う。


 深夜の共有スペース。


 照明は落として、スタンドだけがついている。


 詩乃はソファ横の布団。

 琥珀はその隣。

 紫月は逆側。

 紅羽は壁際で腕を組んで座ったまま。

 夕璃は窓際の床に背を預ける。

 雫まで来ていて、端末を見ながら静かに座っていた。


「なんか修学旅行みたい」


 琥珀が小声で言った。


「最悪の修学旅行だな」


 夕璃が返す。


「ほんとにね」


 詩乃が笑う。


 でも、その声はさっきよりちゃんと温度が戻っていた。


 それだけで、今夜はじゅうぶんだと思う。


 紫月が布団をかぶりながら言う。


「じゃあ、明日はみんなで行って、みんなで戻ろうね」


「軽く言うなあ」


 紅羽が言う。


「軽く言ってるつもりはないよ」


 紫月は静かに笑った。


「大事なことは、ちゃんと言った方がいいでしょ」


 誰も否定しなかった。


 その言葉だけは、ちゃんと部屋の真ん中に残る。


 夕璃は窓の外を見る。


 夜は深い。

 旧第十三市街のことを考えると、まだ眠れそうにない。


 でも、今夜の詩乃は一人じゃない。


 それだけで少しだけ、最悪度は下がる気がした。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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引き続きよろしくお願いいたします。

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