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終わりの世界で輝く・・・彼女たちの残滓  作者: きなこもち
第2章

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21/38

「静かな人がいちばん危ない」



 翌朝の第七部隊は、かなり静かだった。


 紫棟の共有スペースに五人そろっているのに、会話が少ない。昨日までなら琥珀が一人で五人分くらいしゃべってたのに、今日はマグカップを持ったまま黙っている。


 たぶん、みんな同じことを考えていた。


 一人、落とした。


 数字じゃない。記録じゃない。ちゃんと、人を。


 それが朝まで残ると、こういう空気になるらしい。


「……重」


 夕璃がぼそっと言う。


「自覚あるなら、少しは軽くしてよ」


 琥珀が返した。


 その声にも元気がない。


「無茶言うなよ」


「隊長の仕事でしょ、そういうの」


「知らない仕事増やすな」


「えー」


 でもその“えー”も、半分くらいしかいつもの勢いがなかった。


 紅羽は椅子に座って、端末で昨日の戦闘ログを見ている。たぶんもう十回くらい見直している顔だ。そういうとこだぞ、と言いたくなるけど、今言うと面倒くさそうなのでやめる。


 紫月は朝の飲み物を準備していた。昨日より顔色は戻ってる。でも、視線が少しだけ遠い。たぶん白暁院で見た名簿のこと、まだ引きずってる。


 詩乃は窓際に立って、外を見ていた。


 静かだ。


 静かすぎる。


 昨日の中庭で話したときより、もっと。


 夕璃はその背中を見て、少しだけ嫌な感じがした。


「詩乃」


 呼ぶ。


 詩乃は振り返る。


「ん?」


 笑っている。いつもの顔だ。柔らかくて、少し眠そうで、何もないみたいな顔。


 でも、その“何もないみたい”がいちばん怖い。


「今日、講義あったっけ」


「午後からだよ」


 紫月が代わりに答えた。


「午前中は各隊自由待機。体調確認だけ」


「自由待機って便利な言葉だな」


「要するに、勝手に休めってことだろ」


 紅羽が端末から目を離さずに言う。


「じゃあ寝ていい?」


 琥珀が聞く。


「寝ろ」


 夕璃が言う。


「でも寝ると変な夢見そう」


「同じこと考えてた」


 詩乃が小さく言った。


 その言葉で、共有スペースの空気がまた少し沈む。


 夢。

 旧第十三市街。

 断片。

 声。


 どれも今は軽く触れたくない話題なのに、全部つながっている。


 紫月が静かにカップを並べる。


「今日は、無理に元気出さなくていいと思う」


 やわらかい声だった。


「そういう日もあるし」


「紫月先輩、それ本人が言うとつよい」


 琥珀が言う。


「だって昨日、一番つらそうだったの先輩じゃん」


 紫月は少しだけ困ったみたいに笑った。


「つらいよ」


 その返事があまりにもまっすぐで、夕璃は少しだけ目をそらした。


「つらいけど、つらいままでも朝は来るから」


 紫月は言う。


「だったら、そのままでも一回起きるしかないかなって」


 強いな、と思う。


 やさしい人の言葉って、たまに変に強い。


 そこへ、端末の通知音が鳴った。


 全員ぶん。


 嫌なタイミングだなと思いながら見る。


【本日一三〇〇、白暁院第三カンファレンスルーム】

【合同任務検証会】


「うわ」


 琥珀が顔をしかめた。


「それ今いちばん聞きたくないやつ」


「たしかに」


 夕璃も言う。


 任務検証会。


 便利な言葉だけど、要するに昨日の失敗をもう一回ちゃんと並べる会だ。


 だるい。重い。逃げたい。


 そして逃げられない。


 午後。


 白暁院第三カンファレンスルームは、病院の会議室らしく白かった。


 清潔で、静かで、余計なものがない。そのぶん逃げ場もない感じがする。


 集まっていたのは、昨日の任務に関わった主要隊。


 赤、青、黄、緑、藍、紫。


 昨日の面子がまた揃っている。


 違うのは、今日は戦場の熱がなくて、その分だけ言葉が刺さりやすいことだ。


 会議の進行は千晴だった。


 やっぱりこの人がやるんだな、と思う。感情で流さないから。たぶん適任だ。


「昨日の合同任務における全体成功率は、数値上は基準を満たしている」


 最初にそう言った。


 それだけ聞くと、まだましに思える。


「だが、避難連絡路Cにおける住民一名の喪失は明確な減点要素だ」


 そこですぐ戻される。


 まあ、そうだよな。


「原因を切り分ける」


 千晴の声は低く、平坦だった。


「兵骸群の制圧遅れ、断片干渉の想定不足、住民保護と敵排除の優先順位切り替えの遅延。この三点だ」


 モニターに記録映像が映る。


 小ホール。住民。兵骸種。ベール状断片。


 あの瞬間が、きれいに切り取られていた。


 やめろよと思う。見たくないものほど、こういう会ではちゃんと見せられる。


 夕璃は黙っていた。


 紅羽も。


 琥珀は露骨に顔をしかめている。詩乃は動かない。紫月だけが、映像を見たあと少しだけ目を閉じた。


「ここ」


 千晴が映像を止める。


「ベール断片の拡張時、紫虹の反応が半拍遅い」


 紅羽がすぐに言う。


「私の指示が」


「違う」


 夕璃が反射で言った。


 会議室の視線が一瞬だけこっちへ向く。


「隊長判断の切り替えが遅れた」


「違う」


 今度は実乃里だった。


「わたしの補助障壁が住民側へ寄りすぎて、前の押し返しが足りなかった」


 声が少し震えている。


 責任感のある子だな、と思う。だから余計に、こういう場はきついだろう。


 千晴は短く息を吐く。


「だから一人のせいにするなと言っている」


 昨日と同じ言葉。


 でも今日は、昨日より少しだけゆっくりだった。


「誰か一人の判断が完璧なら防げた、という話ではない」


 その声に、朱里が小さくうなずく。


「全体の遅れだね」


「そうだ」


 千晴が言う。


「そして、全体の遅れは“誰かがやるだろう”の積み重ねで起きる」


 刺さる。


 かなり。


 特に第七部隊には。


 この部隊、なんだかんだ誰かが最後にどうにかすると思って動くところがある。

 紅羽は夕璃がやると思っている。

 琥珀は紅羽か夕璃がどうにかすると信じて前へ出る。

 紫月は誰かが落ちる前に自分が拾うと思っている。

 詩乃は必要なら自分が切ると思っている。

 夕璃は最後に自分がどうにかすると思っている。


 そういう部隊だ。


 だから、遅れる。


 それを正面から言われると痛い。


「第七」


 千晴がまっすぐ見る。


「次に同じ状況が来たら、最初に決めろ。助ける順序を」


 琥珀が顔を上げた。


「でも、それって」


 言いよどむ。


 千晴が待つ。


 琥珀は言った。


「最初から、助けられない人を決めるってことじゃん」


 会議室が静かになる。


 それを一番言いたくなかったんだろうな、とわかる。


 千晴は少しだけ黙ってから答えた。


「違う」


 短い。


「助ける順序を決めることと、捨てる命を決めることは同じじゃない」


 琥珀はまだ納得しきれていない顔だ。


 でも千晴は続ける。


「順序を決めなければ、結果として全部に遅れる」


 その声は厳しい。けど、怒っているわけじゃない。


「現場で迷う時間が、一番人を落とす」


 それはたぶん、千晴自身が何度も見てきたことなんだろう。


 だから、言葉に重さがある。


 紫月が小さく口を開いた。


「……頭では、わかります」


 全員がそっちを見る。


「でも、たぶん、体はまだ嫌がると思う」


 その声は静かだった。弱くはない。でも、やさしい人がやさしいまま言う諦めみたいなものが混ざっていて、胸が少し痛くなる。


「だから練習するんだ」


 千晴が言う。


「現場で迷わないために」


 奏がそこで、ようやく口を開いた。


「でも、迷ったこと自体を責めすぎない方がいいよ」


 空気が少しだけやわらぐ。


 奏の声は、こういう場でほんとに便利だ。


「昨日のあれ、迷わない方が変だし」


「そうだね」


 朱里も続く。


「迷わない人は、たぶん別のところが壊れてる」


 その言い方に、澪那だけがほんの少しだけ目を細めた。


 夕璃はその横顔を見て、ああ、そこ刺さるんだなと思う。


 澪那はたぶん、迷わない側へ寄っている。


 詩乃も、放っておいたらそっちへ行く。


 検証会はそこで戦術面から個人面へ移った。


 雫が青虹側の記録を共有する。


「ベール断片の広がりに対して、第七部隊の動きは速かった。でも、個人差が出てる」


 モニターに各隊員の動線が出る。


 紅羽、安定。

 琥珀、前寄りすぎ。

 紫月、住民側へ寄りすぎ。

 夕璃、中央で判断遅れ。

 詩乃……妙に静か。


 雫がそこで少しだけ間を置く。


「白峰さん」


 詩乃が顔を上げる。


「はい」


「後半、動きが落ち着きすぎてる」


 その言い方は、褒めてない。


「悪いこと?」


 詩乃が聞く。


 雫はまっすぐ答える。


「よくない静かさだった」


 会議室の空気がまた少しだけ張る。


 詩乃は数秒だけ黙って、それから笑った。


「見られてるなあ」


「見てるから」


 雫の返しは早い。


「昨日の後半、断片への集中が強すぎた。住民側より敵側を見てる時間が長い」


 夕璃は詩乃を見た。


 詩乃の表情は崩れていない。でも、指先がほんの少しだけ机の上で止まっていた。


「……そうかもね」


 やがて詩乃はそう言った。


 その認め方が、逆に怖い。


 軽く流さない。


 でも深くも言わない。


 紅羽が低く言う。


「詩乃」


「ん?」


「お前、自覚あるのか」


 その聞き方は、ちょっと強い。


 たぶん昨日から溜まっていたんだろうなと思う。


 詩乃は紅羽を見る。


「あるよ」


 静かな返事だった。


「だから嫌なんだよ」


 その一言で、会議室が完全に静かになった。


 琥珀まで何も言えない顔をしている。


 夕璃は息を詰めた。


 詩乃が、そこまで真っ直ぐに言うのは珍しい。


「嫌なのに、ちょっと向いてる気がするのが、いちばん嫌」


 詩乃はそう言って、少しだけ笑った。


 笑ってるのに、全然やわらかくなかった。


「きついね、こういうの」


 その言葉で、空気がぎりぎり切れずに残る。


 奏が少しだけ目を伏せる。朱里も何も言わない。澪那だけが、詩乃を静かに見ていた。


 そしてその視線が、いちばん嫌だった。


 検証会が終わったあと、第七部隊はしばらくその場を動けなかった。


 琥珀がようやく小さく言う。


「……胃いたい」


「わかる」


 夕璃も言う。


 紫月は机の端に触れたまま、少しだけ目を閉じていた。紅羽は正面を見たまま動かない。詩乃だけが、さっきの表情からすでに普通の顔へ戻っている。


 戻っているように見える。


 でも、そんな簡単じゃないのはわかる。


 会議室を出たところで、奏が紫月へ声をかけた。


「少し歩く?」


 紫月が顔を上げる。


「え」


「空気重かったし。いま白暁院の屋上、風あるよ」


 その誘い方が、奏らしかった。


 やさしいけど、逃がすんじゃなくて少しだけ息をさせる感じ。


「行ってきたら」


 夕璃が言う。


 紫月は一瞬だけ迷って、それから小さくうなずいた。


「……うん」


 奏と紫月が並んで歩いていく。


 その背中を見送ってから、夕璃は横を見る。


 詩乃はもうどこかへ行こうとしていた。


「どこ行く」


「べつに」


「べつに、の顔じゃないだろ」


「夕璃ちゃん、それ言うの好きだね」


「最近ほんとそういうやつ多いから」


 詩乃は少しだけ笑った。


「じゃあ、中庭」


「一人で?」


「うん」


「やめとけ」


 言葉が思ったより早く出た。


 詩乃が少しだけ目を丸くする。


「心配?」


「隊長だからな」


「便利だなあ、それ」


 でも詩乃はその場で止まった。


 少しだけ考えるみたいに視線を落として、それから言う。


「じゃあ、あとで行く」


 それはたぶん、今のところは引いた、ってことだ。


 よかったと思うべきなんだろう。


 でも夕璃の胸の中では、嫌な感じがまだ消えなかった。


 その日の夕方、琥珀は珍しく訓練場にも行かず、共有スペースの床に座り込んでいた。


 ぼんやりしている。


 普段なら絶対じっとしていられないタイプなのに。


「どうした」


 夕璃が聞く。


「強いだけじゃだめってさあ」


 琥珀は膝を抱えたまま言う。


「前から知ってたつもりだったんだけど」


「うん」


「昨日で、ほんとにだめなんだってわかった」


 その声は、少しだけ悔しそうだった。


「殴れたのに。敵、倒せたのに。なんでそれで終わんないんだろ」


「終わらないからだろ」


 夕璃は壁にもたれる。


「戦場ってそういうもんだし」


「隊長、そういうとこだけ妙に大人っぽいのやなんだけど」


「褒めてる?」


「ぜんぜん」


 でも、少しだけ空気は軽くなった。


 琥珀は顔を上げずに続ける。


「……置いてかれたくないんだよね」


 唐突だった。


 でも本音だとわかる。


「みんな強いじゃん。紅羽先輩も、詩乃先輩も、夕璃隊長も、紫月先輩だって別方向に強いし」


「琥珀も強いだろ」


「そうじゃなくて」


 琥珀は唇を尖らせる。


「ちゃんと必要なときに必要な強さ出せる人たち、って意味」


 その言い方に、夕璃は少しだけ黙る。


 ああ、こいつ、そこまで見てるんだなと思う。


 ただ明るくて勢いだけの子じゃない。だからこそ、差を感じたとききついんだろう。


「爛先輩に話したらさ」


 琥珀が続ける。


「“強いだけじゃ守れない日もある。でも強くないと話にもならない日もある”って言われた」


「朝霧先輩、意外といいこと言うな」


「意外ってなに!?」


 後ろから声が飛んだ。


 二人とも振り向く。


 朝霧爛本人だった。


 なんでいるんだよ。


「盗み聞き!?」


 琥珀が叫ぶ。


「違う違う、たまたま通っただけ」


「絶対うそ!」


「半分くらいはほんと!」


「便利だなそれ!」


 そのまま爛はずかずか入ってくる。


 遠慮がない。元気の塊みたいな人だ。


「で、落ち込んでるわけね」


 爛が琥珀の前にしゃがむ。


「まあ、気持ちはわかるよ。初めて“殴っただけじゃ救えない”場面に当たると、だいたいみんなへこむし」


「爛先輩も?」


「そりゃそう。あたしなんて昔、勢いだけで突っ込んで奏にめちゃくちゃ怒られたし」


「想像つくなあ」


 夕璃が言う。


「夕璃ちゃん今ちょい感じわるいよ」


「褒めてる」


「それも感じわるい!」


 爛は笑って、それから琥珀の頭を軽く小突いた。


「いい? 強いのは武器だよ。でも武器って、それだけじゃ使い方半分なの」


「半分……」


「そう。残り半分は、どこで止まるかとか、誰のために出るかとか、そっち」


 その言い方は、琥珀にはちゃんと届くだろうなと思う。


 爛はこういうとき、難しい言葉を使わない。だから強い。


「置いてかれたくないなら、前に出るだけじゃだめ」


 爛が言う。


「ちゃんと戻ってきて、次も並ぶ方を覚えな」


 琥珀は少しだけ黙ってから、やがて小さくうなずいた。


「……うん」


 その返事を聞いて、夕璃は少しだけ息を吐く。


 琥珀の方はまだ大丈夫かもしれない、と思えたから。


 問題は、もっと静かな方だった。


 夕方の終わり、中庭。


 案の定、詩乃はそこにいた。


 しかも一人じゃない。


 宵待澪那がいた。


 夕璃は廊下の陰で足を止めた。


 声まではよく聞こえない。でも二人の距離が近い。近すぎるわけじゃない。でも、あの人がわざわざ詩乃のところへ来てる時点でろくでもない。


 少しだけ近づく。


 そこで、澪那の声がやっと拾えた。


「楽な方へ来るなら、もう少し上手く落ちなよ」


 その言葉に、夕璃の背中が冷えた。


 詩乃は笑っていない。


「落ちてないよ」


 静かな声だった。


「まだ、ね」


 澪那はそう言った。


「でも、向いてるのはわかってるでしょ」


 夕璃はその瞬間、本気で口を挟もうか迷った。


 でも詩乃が先に言った。


「……わかってるから嫌なんだよ」


 その返しは、弱くなかった。


 夕璃は少しだけ息を止める。


 詩乃、ちゃんと嫌がれてるじゃないか。


 ならまだ大丈夫かもしれない。


 でも、澪那はそこで引かない。


「嫌なまま使えばいいよ」


 静かな声。


「きれいな理由なんていらない。役に立つなら」


 最悪だ。


 ほんとに。


 夕璃はそこではじめて足を踏み出した。


「そういう勧誘、感じ悪いな」


 声をかける。


 二人が振り向く。


 詩乃の目が一瞬だけ揺れて、すぐにいつもの顔へ戻る。澪那は表情ひとつ変えない。


「盗み聞き?」


 澪那が聞く。


「通りがかっただけ」


「便利な言い訳だね」


「そっちこそ」


 夕璃は詩乃の横に立つ。


「返すよ。うちの隊員」


 それを聞いて、詩乃がほんの少しだけ目を丸くした。


 澪那は数秒だけ夕璃を見て、それから小さく息を吐いた。


「持っていけるならね」


「持っていくよ」


 夕璃は言い切る。


「少なくとも、落ちた先の完成形にだけは渡さない」


 澪那の目がほんの少しだけ細くなる。


 でも、怒りはなかった。


 むしろ少しだけ面白がっているようにも見える。


「じゃあ、頑張って」


 その言い方がまた腹立たしい。


 澪那はそれだけ言って去っていく。


 残された中庭で、夕璃と詩乃だけが立っていた。


 夕方の風はぬるい。


 でも、さっきの会話のあとだと、妙に冷たく感じた。


「……ありがと」


 詩乃がぽつりと言う。


 夕璃は横目でそっちを見る。


「隊長だからな」


「ほんとそれ便利だね」


「最近みんなそればっか」


 詩乃は少しだけ笑った。


 でも、そのあとで小さく続ける。


「向いてるのは、たぶんほんと」


 夕璃は何も言わない。


「殺すこと」


 詩乃の声は静かだった。


「向いてるんだと思う。わたし」


 その一言が、夕方の中庭に落ちた。


 軽くはなかった。


 でも、叫ぶみたいに重くもなかった。


 だから余計に怖い。


 夕璃はしばらく黙って、それからゆっくり口を開く。


「向いてることと、行っていい場所は違う」


 詩乃がこっちを見る。


「きれいごとっぽい」


「そうだよ」


 夕璃は肩をすくめる。


「でも、今はそれでいい」


 詩乃は少しだけ目を細めた。


 笑うでもなく、泣くでもなく、ただ夕璃を見ている。


「ねえ、夕璃ちゃん」


「なに」


「それ、どこまで本気?」


 嫌な質問だな、と思う。


 でも逃げるのも違う。


「全部」


 夕璃が答えると、詩乃は少しだけ黙ってから、やがて小さくうなずいた。


 そのうなずきが、戻る方だったのか、まだわからなかった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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