「間に合うなら苦労しない」
旧第十三市街の外縁ゲートを抜けたあと、第六と第七はそのまま中央戦術棟へ直行させられた。
撤退したばかりなのに休憩がない。
まあ、あの反応増加を見たあとなら当然かもしれない。のんびり茶でも飲んでる場合じゃないのは、夕璃にだってわかる。
でも、わかるのとだるいのは別だ。
「……眠」
会議室前の廊下で、夕璃が小さくつぶやく。
「寝るな」
紅羽が即座に返した。
「寝てない」
「目が半分死んでいる」
「それは生まれつき」
「便利な言い訳だな」
「事実だし」
横で詩乃がくすっと笑う。
「でも夕璃ちゃん、今のちょっとひどい顔してるよ」
「最近みんなそればっか言うな」
「ほんとだもん」
そこへ、後ろから琥珀の声が飛んできた。
「おかえり!」
元気だなあ、と思う。
振り返ると、琥珀と紫月がいた。待機組だった二人は、どうやら戻りを聞いてすぐ来たらしい。琥珀は夕璃たちの顔を見た瞬間に、ぱっと表情を変えた。
「うわ、ほんとにひどい顔してる」
「お前まで」
「いやだってそうだし」
紫月は少しだけ眉を下げる。
「何かあった?」
「いろいろ」
夕璃が短く答える。
それで足りるくらいには、今日はもういろいろありすぎた。
会議室の扉が開いた。
霧島が顔を出す。
「全員入れ。待機組もだ」
「え、あたしたちも?」
琥珀が目を丸くする。
「情報共有だ。ぼさっとすんな」
「してないし!」
「してる」
霧島はそれだけ言って引っ込んだ。
会議室の中は、思った通りの顔ぶれだった。
前方に霧島、綾瀬、御門。
赤虹隊側から天童朱里。
青虹隊側から氷室凪と藍沢雫。
黄虹隊から御剣千晴。
緑虹隊から春風奏。
藍虹隊は当然、宵待澪那と透子。
フルコースだな、と思う。
つまり、かなり面倒な話になる。
席につく。
第七部隊はまとまって後方右寄り。第六はその少し前。赤と青は中央寄り。黄と緑は左右に分かれている。
こういう並びだけでも、立場の違いが見えるのがちょっと嫌だ。
会議が始まる。
最初に口を開いたのは澪那だった。
「旧第十三市街外縁地下通路にて、記憶干渉を伴う人形型残滓を確認。さらにその先から、複数の兵骸種および不定型残滓の接近を確認し、先行調査を中断して撤退」
声は静かだ。
でも、その静けさのまま内容だけ重い。
透子が補足する。
「ただの徘徊じゃない。奥から押し出されてた。迎撃反応って見た方がいい」
「街が迎撃してくる、か」
朱里が低く言った。
その言葉は冗談ではなかった。
御門がモニターへ波形を並べる。
「人形型残滓の核反応は、祭祀種核片と同系統。さらに深部側で検出された反応群は、その上位層に属する可能性が高い」
「可能性ばっかりだな」
夕璃がぼそっと言う。
雫がすぐ横目で刺してきた。
「断定材料が足りないんだから仕方ないでしょ」
「言い方」
「事実」
ほんとにそこぶれないな。
綾瀬が前へ出た。
「現時点で重要なのは二点です。ひとつ、旧第十三市街深部に、敵性残滓の供給元に近いものがあること。もうひとつ、それが適合者の記憶層へ強い干渉を返していること」
教室の空気がさらに静かになる。
紫月は前を見たまま動かない。琥珀も珍しく黙っていた。
「特に」
綾瀬の視線がわずかに夕璃と詩乃へ向く。
「黒瀬さん、白峰さん。この二人は反応が強い」
詩乃の指先が、ほんの少しだけ動いた。
夕璃は目をそらさなかった。
「やっぱりか」
千晴が低く言う。
紅羽がすぐに聞く。
「どの程度ですか」
「白峰さんは旧市街深部での精神ノイズへの同調傾向。黒瀬さんは外部記憶残滓との接触率が高い」
接触率って何だよ、と思う。
言われていることはたぶん正しい。でも言葉にされると少し腹が立つ。
「つまり、連れていくほど危ない」
雫が言った。
静かな声だった。
「だから、次の作戦は人選を考え直した方がいい」
会議室の空気が少しだけ動く。
たぶん、この場にいる何人かはそう言うと思っていた。
でも、実際に言われるとやっぱり少し苛つく。
「それ、わたしと詩乃を外せって話?」
夕璃が聞く。
雫は迷わなかった。
「少なくとも、現段階では優先候補から外すべき」
「藍沢」
朱里が静かに制した。
でも雫は言葉を止めない。
「止めるなら今だよ。深部に入ってから壊れたら遅い」
「言い方ひど」
琥珀が思わずこぼした。
紅羽が椅子を引く音を立てた。
「それは違う」
まっすぐな声だった。
「危険だから外す、で済むなら第七部隊は最初から存在していない」
「存在していない方がよかったかもしれない、って話をしてるんじゃない」
雫も引かない。
「今必要なのは、行ける人間じゃなく、行っても壊れない人間」
「そんなものがいるなら、最初から苦労していない」
紅羽の返しも早かった。
やばいな、と夕璃は思う。
この二人、理屈はどっちもわかる。だからこそ、ぶつかると厄介だ。
紫月が口を開きかけた、その前に澪那が言う。
「私は連れていくべきだと思う」
会議室の視線がそっちへ向く。
澪那は静かに続けた。
「危険なのは事実。でも、深部側がこの二人へ反応しているなら、外したところで終わらない。むしろ、何が反応してるのかを見ないまま大規模侵入する方が危ない」
言ってることは冷たい。
でも、理屈としては通っている。
雫が目を細める。
「それは観察対象としての価値を優先してるだけ」
「否定しない」
澪那はあっさり言った。
「でも、それが結果的に全体の生存率を上げるなら、現場としては正しい」
雫の空気が一段冷えた。
夕璃は心の中で、やっぱりこの人たち相性最悪だな、と思う。
そこへ奏が静かに口を開く。
「どっちも正しいんじゃないかな」
全員の視線が少しだけやわらぐ。
奏の声は、こういうときだけ本当に便利だ。
「危ないから外したい気持ちもわかるし、反応があるから見たいのもわかる。でも、その話ってたぶん“行くか行かないか”だけで決めるとズレるよね」
「じゃあどうする」
千晴が聞く。
奏は少しだけ考えるようにしてから答えた。
「行くなら、壊れる前提で組む」
その言い方に、会議室が静かになる。
「壊れないでほしい、じゃなくて、揺れたとき誰が止めるか、誰が引くか、どこで撤退するかを先に決める」
それは、たしかにそうだ。
理想論じゃなく、現実の組み方だ。
千晴もうなずく。
「私もそちら寄りだ。危険だから使わない、では戦力が足りない。だが危険を見ないふりして使うのは最悪だ」
「壊れる前提で組む、か」
朱里がつぶやいた。
「嫌な言い方だけど、必要だね」
紅羽は黙ったまま前を見ている。
夕璃には、その横顔が少しだけ苦しそうに見えた。
紅羽はたぶん、そこをいちばん嫌がる。仲間を最初から“壊れるかもしれないもの”として数えることを。
でも、目をそらせない。
御門がそこで話を切り替えた。
「では次の段階へ進める」
モニターの地図が変わる。
旧第十三市街地下の中心部、そのさらに奥。
円形の大きな反応域が表示される。
「ここが現時点の最深部反応点。仮称、記憶流出点」
その名前だけで気分が悪い。
「ここを確認しない限り、旧第十三市街由来の敵性流出は止まらない可能性が高い」
つまり、行くしかない。
全員それをわかってしまった。
霧島が結論を落とす。
「明日、合同大規模任務を組む」
短い。
でも十分すぎた。
「赤は正面制圧、黄は避難導線確保、緑は後方支援、青は観測制圧、藍は先導封鎖、第七は内部不測対応」
役割が並ぶ。
その中で第七だけが、やっぱり一番曖昧で、一番危ない。
不測対応。
ようするに、何が来るかわからない場所へ入るってことだ。
「異論は」
霧島が見渡す。
雫が一瞬だけ口を開きかけて、閉じた。
たぶん言いたいことはまだある。でも、この流れの中では押し切れないと判断したんだろう。
代わりに、夕璃の方を見た。
その目だけでだいたいわかる。
無茶するな、壊れるな、次はほんとに止める。
言葉にしたらたぶんそういう意味だ。
会議が終わる。
椅子の音が重なる。
部隊ごとに散っていく流れの中で、紅羽が立ち上がるより少し早く、夕璃へ低く言った。
「あとで話す」
「やな予告だな」
「必要な話だ」
その返しで、たぶん重いやつだなとわかる。
会議室の外へ出ると、廊下の空気は少しだけ軽かった。少しだけだ。焼け石に水みたいなものだけど。
そこへ、朱里が赤虹隊を離れてこっちへ来た。
「一条」
「天童先輩」
紅羽の声が少しだけ硬い。
朱里はその顔を見て、小さく笑った。
「そんなに構えなくていいよ」
「……はい」
「今の話、きついね」
朱里の言い方はやわらかい。
でも、軽く流しているわけじゃないのがわかる。
「けど、あなたなら大丈夫」
紅羽の表情がほんの少しだけ揺れた。
「大丈夫、というのは」
「理想を捨てないでいられるってこと」
朱里はまっすぐ言った。
「ただし、形は変えないとだめかもね」
その言葉が、たぶん紅羽には一番効く。
夕璃は横で聞きながら、ちょっとだけずるいなと思った。きれいすぎる。言うべきことだけをちょうどいい温度で置いていく。
「黒瀬さんも」
朱里がこっちを見る。
「無茶するなら、ちゃんと戻る前提でしてね」
「前提で無茶するなって意味に聞こえる」
「半分くらいは」
「便利だな、それ」
まただ。
でも少しだけ、空気はやわらいだ。
朱里が去ったあと、紅羽は少しだけ黙ったまま歩いた。
夕璃は横目でそれを見る。
「なんか言われた?」
「聞いていただろ」
「内容じゃなくて、どう刺さったかの話」
紅羽は少しだけ眉を寄せる。
「面倒くさい聞き方をするな」
「お互いさま」
数秒だけ沈黙して、それから紅羽が言った。
「……形は変えろ、だと」
「うん」
「理想を捨てるな、でもそのままでは届かない、とも言われた気がする」
「まあ、そうだろうな」
「腹が立つ」
「図星だから?」
紅羽が睨んできた。
でも否定はしなかった。
それが答えみたいなものだ。
そのとき、前方の角で雫が一人立っていた。
待ってる。
嫌な予感がもう一回くる。
「黒瀬」
「はい来た」
「来た、じゃない」
雫は真顔だった。
「少しだけ時間ある?」
「今日みんなその言い方するな」
「質問に答えて」
「あるけど」
「じゃあ来て」
断りにくいやつだ。
夕璃は紅羽を見る。紅羽は小さくうなずく。
「行ってこい」
「素直」
「必要だからだ」
雫について、廊下の端まで行く。
人通りの少ない窓際。午後の光が少し斜めに入っていて、変に静かだった。
雫はそこでようやく振り返る。
「さっきの話」
「大規模任務のやつ?」
「それもだけど、その前」
雫の目はまっすぐだった。
「講義中の映像。あれ、あなたにも見えてたんでしょ」
「……見えてた」
「やっぱり」
雫は少しだけ息を吐いた。
「わたしの方でも解析かけた。あの人影、普通の映り込みじゃない」
「そこまでわかるの」
「断定はできない。でも、ノイズじゃなくて、波形側に寄ってる」
つまり、機械のバグではなく、あっち側の異常だ。
最悪だな、と思う。
「で?」
夕璃が聞く。
「で、今の作戦に行く気?」
「行くよ」
「即答」
「だって行くしかないだろ」
「そうやってすぐ決めるのが危ないって言ってるの」
雫の声が少しだけ強くなる。
珍しい。感情が前に出ている。
「黒瀬。旧第十三市街があなたに反応してるなら、なおさら慎重になるべき」
「慎重にして止まるならするよ」
「そういう話じゃない」
「じゃあ何」
夕璃も少しだけ語気が強くなる。
「外から見て危ないからやめろって言われても、こっちにはこっちの」
「外から見てるからわかることもある!」
雫が言い切った。
一瞬、廊下の空気が張る。
夕璃は黙る。
雫もすぐには続けなかった。
でも、その目だけは逸らさない。
「……わたしは」
少しだけ間を置いて、雫が言う。
「昔から、あなたがそうやって“ぎりぎり平気な顔”をするたびに、ほんとは平気じゃないの知ってる」
その言い方は、ずるい。
データとか波形とかじゃなく、昔から知ってる側の言葉だ。
「今さら、見逃せない」
夕璃は視線をそらした。
窓の外を見る。明るい。平和そうだ。中身はそうでもないのに。
「……雫」
「なに」
「そういう言い方、反則だろ」
雫は少しだけ目を細めた。
「知ってる」
「強いな」
「強く言わないと聞かないでしょ」
前にも同じことを言われた気がする。
そして、たぶん今もその通りだ。
夕璃はゆっくり息を吐いた。
「行くのは変えない」
「だろうね」
「でも、単独では動かない」
「ほんとに?」
「半分くらいは」
「最悪」
雫が言った。
でもそのあと、ほんの少しだけ口元がゆるんだ。
「せめて七割くらい守って」
「努力はする」
「それは守らない返事」
「じゃあ、七割」
「微妙」
そこまで言って、雫は少しだけ真顔に戻る。
「黒瀬」
「なに」
「次に波形が大きく乱れたら、ほんとに止めるから」
「うん」
「今度は冗談じゃないよ」
「わかってる」
短いやり取りだった。
でも、前より少しだけちゃんと届いた気がした。
雫が青虹隊の方へ戻っていく。
夕璃はその背中を見送りながら、壁へ軽く頭を預けたい気分になった。
疲れる。
ほんとに。
でも、それで終わりじゃない。
窓ガラスに、自分の顔がうっすら映っている。
その隣に、また長い髪の女の影が立っていた気がした。
夕璃はすぐ振り向く。
誰もいない。
「……くそ」
小さく吐き捨てる。
講義で見た影。夢の影。旧第十三市街の影。
全部が少しずつ近づいてきている。
その感覚だけが、今日ずっと消えなかった。
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