「静かな人ほど怖いことを言う」
中央講義棟の第一教室は、朝から空気が重かった。
別に誰かが怒っているわけじゃない。騒いでいるわけでもない。ただ、集まっているメンツがそうさせていた。
赤、青、藍、紫。
一度並んだ顔ぶれだけど、今回は前より少しだけ温度が低い。旧第十三市街関連、と通知に書かれていた時点で、たぶん全員が嫌な想像をしている。
「うわ……」
教室に入った瞬間、琥珀が小さく声を漏らした。
「いると思ったけど、ほんとにいた」
「誰が」
夕璃が聞く。
「第六の人たち」
「そこか」
「だってやなんだもん」
前方の窓際寄りに藍虹隊がいた。
宵待澪那、霞ヶ関透子、雨宮繭、墨染遥。静か。とにかく静か。誰も無駄に喋っていないのに、こっちを見た瞬間だけ気配がちょっと重くなる。
その少し後ろに青虹隊。
氷室凪、藍沢雫、真白レイ、七瀬澄玲。
こっちは静かというより冷たい。
温度が低いままちゃんとまとまっている。ああいうのを見てると、第七部隊はほんとに“まとまり方が雑”なんだなと思う。
「黒瀬」
紅羽が低く呼ぶ。
「ぼーっとするな」
「してない」
「してる」
「してない」
「してる」
「今の紅羽先輩、めっちゃ普通にめんどくさい」
琥珀が言った。
紅羽がすぐに睨む。
「九条」
「すみません」
反射で謝るの早いな、と思う。
「でも、ちょっとわかる」
詩乃がやわらかく言った。
「夕璃ちゃん、今日ずっとどっか遠いよね」
「そう?」
「そう」
紫月までうなずいた。
夕璃は息を吐いた。
「そんな見られてる?」
「見てるから」
紫月が静かに返す。
そう言われると弱い。
教室の後ろ寄り、いつものように少し端の席へつく。第七部隊がまとまって座ると、それだけでなんとなく周りが一列ぶん空くの、そろそろ笑えない。
琥珀が前方を見てぼそっと言う。
「雫先輩、今日なんか機嫌悪そうじゃない?」
「いつもあんなもんだろ」
夕璃が言う。
「いや、もうちょい温度あった気がする」
「それは気のせい」
「ほんとかなあ」
たぶん、琥珀の方が正しい。
雫の顔はいつも通り整っているけど、目元だけ少しだけ固い。昨日の後送で、夕璃の波形乱れも共有されているはずだ。機嫌がいい理由はない。
そのとき、教室前方の扉が開いた。
綾瀬冬子と御門朔、それから戦術教導官が数人。今日は霧島じゃないらしい。代わりに前へ出たのは、記録解析寄りの教官だった。
夕璃は少しだけ拍子抜けする。
「霧島じゃないんだ」
「いたらたぶん最初に“眠そうな顔するな”って言われる」
紅羽が言う。
「それはありそう」
琥珀が即答した。
講義が始まる。
内容は旧第十三市街のこれまでの調査記録、敵性反応の分類、解析結果の追補だった。
説明そのものはわかりやすい。
けど、わかりやすい分だけ嫌だった。
旧第十三市街の地下深部には、通常の骸獣発生点とは別の“記憶流出層”がある可能性が高い。
祭祀種の核片、人形型残滓、兵骸種の統制変化、それぞれが別系統ではなく、もっと深いところで一本に繋がっている。
教室の空気が少しずつ重くなる。
御門が前へ出た。
嫌な予感しかしない流れだ。
「現段階では仮説に過ぎない」
そう前置きしてから、御門はモニターへいくつかの波形を並べる。
「だが、旧第十三市街深部の反応と、英骸記憶の接続波形には、いくつか無視できない近似がある」
その言い方が、すでに嫌だった。
近似。
無視できない。
要するに、近いんだろ。
「詳しく言うと」
透子が小声でつぶやく。
「気持ち悪い話ってことだね」
その小声が聞こえたのか、聞こえてないのか、御門は気にせず続けた。
「適合者が扱う英骸記憶と、旧第十三市街深部で検出される一部の敵性残滓は、層構造の上で近接している可能性がある」
教室の空気が、はっきり冷えた。
琥珀が「え」と声に出しかけて、紅羽に肘で止められる。
夕璃も黙ったままモニターを見る。
だろうな、と思う自分と、やめろよ、と思う自分が半分ずついた。
詩乃は前を見たまま、動かない。
紫月だけが、ほんの少しだけ視線を伏せていた。
「それって」
青虹隊のどこかから声が上がる。
「敵と味方の力が、別物じゃないってことですか」
真正面から行くな、と思う。
でも今の質問は、たぶん全員が頭の中でしていた。
御門は一拍だけ黙ってから答える。
「現時点では、そう断定はしない」
その返しで安心できるやつがいるなら見てみたい。
「ただし」
やっぱり続いた。
「完全に無関係と考える根拠も、今のところ薄い」
教室の後ろで、誰かが小さく息をのむ。
夕璃は奥歯を噛んだ。
最悪だ。
最悪だけど、ずっと薄く感じていた気持ち悪さに形がついた感じもある。だから余計に嫌だった。
「……やだなあ」
琥珀が本当に小さくつぶやく。
「わかる」
夕璃も同じくらい小さく返した。
綾瀬が前へ出る。
「不必要に恐れる必要はありません」
その言い方は、医療側としてはたぶん正しい。
「ですが、今後は記憶干渉系敵性反応への警戒を一段引き上げます。特に旧第十三市街関連任務に参加する適合者は、戦闘後の波形記録と簡易問診を義務化します」
そのタイミングで、綾瀬の視線がほんの一瞬だけ夕璃へ向いた。
気のせいじゃない。
こっちはたぶん、もう“特に”の中にちゃんと入っている。
講義はそこから、敵性反応の実例へ移った。
地下の監視映像。祭祀種の核片。人形型残滓の短い動画。どれも気分のよくなるものではない。
でもその中で、夕璃は一つだけ引っかかる映像を見つけた。
旧第十三市街地下の崩れた通路。三秒くらいの短い記録。画面の奥、角を曲がる直前に、一瞬だけ長い髪の人影が映っている。
「……」
息が止まりかける。
いる。
映ってる。
気のせいじゃなかった。
「夕璃ちゃん?」
紫月の小さな声で、夕璃ははっとした。
「なに」
「今、顔」
「なんでもない」
反射でそう返した。
でも、詩乃が横で静かにこっちを見ていた。
わかる。
見透かされてる感じがする。
講義が終わったのは、一時間後だった。
重い話を軽く締められる人は、たぶんこの学園にはいない。
ざわつく教室の中、部隊ごとに立ち上がって移動が始まる。
第七部隊も立ち上がる。
そのタイミングで、藍虹隊の宵待澪那がこちらへ歩いてきた。
嫌な予感しかしない。
「黒瀬さん、白峰さん」
名指しだ。
「このあと、少し時間もらえる?」
「内容による」
夕璃が即答すると、澪那は少しだけ目を細めた。
「合同再調査の事前確認」
「ほんとに?」
「半分くらいは」
「便利だな、それ」
思わず言ったら、透子が後ろで少しだけ笑った。
澪那は動じない。
「今夜、旧第十三市街の外縁再調査が入る」
紅羽がすぐ反応する。
「今夜?」
「そう」
澪那は紅羽へも視線を向けた。
「第六と第七。規模は小さい」
「聞いてない」
「今言ったから」
その返しがずるい。
しかも正しいから困る。
夕璃は少しだけ眉を寄せる。
「なんで詩乃とわたしに先に言う」
「反応の相性がいいから」
綺麗に最悪なことを言うな、この人。
「黒瀬さんは波形の件。白峰さんは、旧第十三市街で妙に落ち着くから」
詩乃の指先がほんの少しだけ止まった。
「見てたんだ」
「見てるよ」
澪那は静かに言う。
「見えてしまう人は、見てないと危ないから」
その言葉は、親切みたいな顔をしているくせに、かなり嫌だった。
「断れる?」
夕璃が聞く。
「断れると思う?」
澪那が聞き返す。
「思わない」
「なら、そういうこと」
きれいに逃げ道がない。
紅羽が一歩前へ出る。
「第七部隊に関する話なら、私も聞く」
「もちろん」
澪那はあっさりうなずいた。
「一条さんも来て。九条さんと皇さんは今回は待機で」
「また!?」
琥珀が声を上げる。
「なんで!?」
「機密寄りだから」
透子が横から言った。
「大人数で動く話じゃないの」
「やだー」
「九条」
紅羽が低く言う。
琥珀はふくれた顔のまま黙った。
その反応を見て、紫月がそっと言う。
「じゃあ、終わったらちゃんと話してね」
「たぶん重いやつだよ」
夕璃が言う。
「それでも」
紫月は小さく笑う。
「知らないまま待つ方がやだし」
それはたしかにそうだ。
澪那は最後に詩乃を見る。
「今夜までに、ちゃんと休んでおいて」
詩乃はにこっと笑った。
「善処します」
「それ、しない返事だよね」
透子がさらっと言う。
「するかもしれないよ」
「しない顔してる」
「透子さん、失礼だなあ」
でも、そのやり取りの奥で、夕璃は詩乃の目が少しだけ乾いているのを見ていた。
講義中から、詩乃は静かだった。
静かすぎるくらいに。
教室を出る。
廊下へ出た瞬間、青虹隊の列の中から雫がこっちへ来た。
まっすぐ。
「黒瀬」
「なに」
「さっきの映像、見たでしょ」
いきなり核心を刺してくるな。
夕璃は一瞬だけ止まる。
「どれ」
「誤魔化さないで」
雫の声は低い。怒ってるわけじゃない。でも、かなり真面目な顔だ。
「あの地下通路の記録。見た瞬間に反応してた」
見られてた。最悪。
「……人影がいた」
夕璃は小さく言う。
「女のやつに似てた」
雫の目がわずかに細くなる。
「やっぱり」
「やっぱりって何」
「こっちでも引っかかってた」
雫は端末を軽く持ち上げる。
「人影が映ってるフレームだけ、ノイズの乗り方が変だった。機器側の異常かと思ってたけど」
「そうじゃなさそう?」
「あなたの反応見る限りは」
言い方が完全に検査対象だな、と思う。
「感じわる」
「今はそっち優先しないで」
雫は一歩近づいて、声を落とした。
「今夜、第六と行くんでしょ」
「聞いてたのか」
「見ればわかる」
その言い方、どこかで聞いたなと思う。
「行くなら、絶対に単独で動かないで」
「藍沢副隊長に命令される筋合いある?」
「あるかも」
「強いな」
「強く言わないと聞かないでしょ」
それは否定しにくい。
雫は少しだけ視線を伏せて、それからまた夕璃を見る。
「黒瀬」
「なに」
「次に波形が大きく乱れたら、ほんとに止めるから」
前にも似たようなことを言われた。
でも今日は、言い方が少し違う。
ただの警告じゃない。覚悟を決めた側の言葉だ。
夕璃は少しだけ笑いそうになった。
「怖」
「怖がって」
「やだね」
「知ってる」
短い会話。
でも、その短さの中に昔からの空気が少しだけ混ざる。
雫はそれ以上言わずに戻っていった。
夕璃はその背中を見送って、壁にもたれそうになるのをこらえる。
疲れるな、と思う。
講義も、旧第十三市街も、雫も、全部。
「夕璃ちゃん」
詩乃が横へ来た。
「なに」
「今夜の件、ちょっとやだね」
その言い方は軽い。
でも中身は軽くなかった。
「珍しく普通の感想」
「失礼だなあ」
詩乃はやわらかく笑う。
でも、その笑い方が少しだけ薄い。
「旧第十三市街、やっぱり落ち着く?」
夕璃が聞くと、詩乃は少しだけ黙った。
「……落ち着く、って言うと変かな」
「じゃあ何」
「音が合う感じ」
その表現は、かなり嫌だった。
「自分の中の変なところと、あの街の変なところが、ちょっとだけ噛み合う」
詩乃は廊下の窓の外を見る。
「たぶん、そういう感じ」
夕璃は何も言えなかった。
ここで否定しても薄い。大丈夫だよって言うほど、軽い話でもない。
だから、代わりに言う。
「今夜、勝手に先行くなよ」
詩乃は一瞬だけ目を丸くして、それから少しだけ笑った。
「それ、心配してる?」
「隊長だからな」
「便利な言い方」
「最近みんなそれ言うな」
詩乃は少しだけ肩をすくめた。
「じゃあ、約束はしないけど、できるだけがんばる」
「約束しろよ」
「難しいこと言うなあ」
そう言いながら、詩乃は先に歩き出す。
その後ろ姿を見ながら、夕璃は少しだけ嫌な予感が濃くなるのを感じていた。
静かなやつほど、怖いことをさらっと言う。
それはたぶん、詩乃にも当てはまる。
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