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終わりの世界で輝く・・・彼女たちの残滓  作者: きなこもち
第2章

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プロローグ 「笑う前の顔」



 夜の封鎖区画は、昼より静かで、昼より気持ち悪い。


 灯りの落ちた商店街。割れた看板。ひっくり返った自転車。誰もいない横断歩道。たまに吹く風だけが、店先の旗をかさ、と鳴らしていく。


 その真ん中を、詩乃は走っていた。


 いや、走るというより、滑っていた、の方が近いかもしれない。足音を立てずに、影から影へ。手には短刀が二本。細くて軽い。けど、切れ味だけはちゃんと重い。


 前方、路地の角。


 人型残滓が一体。


 兵骸種より小さい。人の形に近い。でも近いだけで、人ではない。顔のある場所がぬるっと黒く抜けていて、指先だけがやたら長い。


 気持ち悪いな、と思う。


 でも、それだけだ。


 怖くはない。


 詩乃は足を止めなかった。


 残滓がこちらへ気づくより先に、死角へ入る。右。半歩。息を止める。相手が首を動かす、その瞬間に背中へ回る。


 斬る。


 短刀が一閃。


 細い首が、音もなく落ちた。


 残滓の身体がゆっくり崩れる。血は出ない。代わりに、黒い粒みたいなものがさらさらと散る。


 詩乃はそれを見下ろした。


 まだ終わりじゃない。


 奥にもう二体。


 曲がったアーケードの下、ひび割れたタイルの上を、人型残滓がゆっくり歩いてくる。二体とも、頭の向きが微妙に揃っていた。見ている場所が同じだ。


 詩乃がいる場所じゃない。


 もう少し右。


「……見えてないんだ」


 小さくつぶやく。


 だったら、楽だ。


 詩乃は一歩下がって、古びた自販機の陰へ体を沈めた。視線を切る。呼吸を薄くする。存在感を自分で少しだけ削る。


 すると、二体の残滓が迷ったみたいに立ち止まった。


 そこだ。


 詩乃は床を蹴った。


 左の一体へ先に入る。喉元。浅く斬る。振り向く前に反対側へ抜ける。すれ違いざまにもう一体の膝裏を切る。体勢が落ちる。最初の一体がこちらへ腕を伸ばす。遅い。


 詩乃はくるりと半回転して、二本の刃を同時に振るった。


 ひとつは首。


 ひとつは心臓の位置。


 両方入る。


 二体の動きが同時に止まる。


 崩れる。


 黒い残滓が夜風に混ざって、すぐ見えなくなる。


「……うん」


 詩乃はそこでようやく息を吐いた。


 終わった。


 任務完了。


 小規模残滓反応の掃討。でも、こういう地味な夜の任務の方が、いやなものは見えやすい。


 静かだから。


 終わったはずなのに、詩乃は少しだけ、その場に立っていた。


 倒した残滓の消え跡を見ている。


 黒い粒が風で流れていく。


 なんでもない。いつものこと。何度も見てきた光景だ。


 なのに、今日だけは少しだけ違った。


 胸の奥に、変な熱が残っている。


 怖くはない。


 気持ち悪くもない。


 むしろ逆だった。


「……あ」


 詩乃は自分の口元に触れた。


 指先が、少しだけ止まる。


 笑っていた。


 ほんの少し。ほんの少しだけだったと思う。けど、たしかに、今、最後の二体を落とした瞬間、口元がゆるんだ。


 楽しかった。


 その言葉が頭に浮かんだ瞬間、ぞわっと背中が冷えた。


「……うそ」


 声が小さく揺れる。


 楽しかった?


 今のが?


 殺すことが?


 違う。違うはずだ。敵を倒しただけ。任務を終えただけ。役に立っただけ。そういう話だ。そういう話であってほしい。


 でも、指先はまだ、自分の口元に残っている。


 上がっていた形を、ちゃんと覚えている。


 詩乃はゆっくり手を下ろした。


 笑ってない。


 今は、もう。


 でも、さっきは。


 そのとき、背後から声がした。


「詩乃」


 びくっとするほどではない。けど、心臓がひとつだけ変な打ち方をした。


 振り返る。


 路地の入口に夕璃が立っていた。街灯の届かない半端な影の中で、いつもの眠そうな目をこっちへ向けている。手には長刀。抜いたまま。たぶん、こっちの戦闘が終わるのを見ていたんだろう。


「終わったなら戻るぞ」


 声はいつも通りだった。


 低くて、ちょっとだるそうで、でも完全には気を抜いていない声。


 詩乃はそこで、ようやく自分の顔を作り直せた気がした。


 ふわっと笑う。


 いつものやつ。


「うん、今行く」


 夕璃はそれ以上何も言わない。


 詩乃の方へ歩いてくるだけだ。無理に中身を見ようともしないし、見て見ぬふりをするでもない。その距離感が、夕璃らしい。


「残りは?」


 詩乃が聞く。


「そっちは終わってる。琥珀が一体追いかけ回して、紅羽に怒られてた」


 ちょっとだけ、詩乃は笑いそうになる。


「いつものだね」


「いつものだな」


 夕璃が短く返した。


 そのやり取りの間にも、胸の奥の変な熱はまだ残っている。


 静かに。


 嫌な感じで。


 夕璃が崩れた自販機の横を通って、残滓の消え跡を一瞥する。


「今日、妙に静かだったな」


「そうだね」


「逆にやだ」


「わかる」


 会話は軽い。


 軽いけど、どこかに薄い不穏が残っている。たぶん夕璃も感じてる。詩乃も感じてる。けど、まだ言葉にするほどじゃない。そういう夜だった。


 二人で路地を戻る。


 風が吹く。遠くで、金網が揺れる音。封鎖区画の夜の匂い。乾いたコンクリと、古い雨と、少しだけ錆の匂い。


 出口が見えてくる。


 そこへ向かう途中で、詩乃はもう一度だけ、自分の口元を意識した。


 今は普通だ。


 笑っていない。


 いつもの顔だ。


 なのに、その“笑う前の顔”が、頭のどこかに残って離れない。


 そのとき。


 ほんのすぐ耳のそばで、誰かが笑った気がした。


 女の声。


 やわらかいのに、妙に冷たい。


「その顔の方が、向いてるのに」


 詩乃の足が止まる。


 夕璃が半歩先で振り返る。


「……詩乃?」


 詩乃は周囲を見る。


 右。左。屋上。路地の奥。誰もいない。気配もない。風の音しかない。


「どうした」


 夕璃の声が少しだけ低くなる。


 詩乃は数秒だけ黙って、それから笑った。


 今度はちゃんと、作った笑い方で。


「ううん」


 首を振る。


「なんでもない」


 夕璃は少しだけ目を細めた。


 たぶん、信じていない。


 でもそれ以上は聞かない。


「ならいい。戻るぞ」


「うん」


 詩乃はそう返して、歩き出した。


 なんでもない。


 なんでもないはずだ。


 ただの聞き間違い。戦場のあとに耳が拾う、変な残響。そういうのは珍しくない。珍しくない……はず。


 それなのに、さっきの声は、妙にはっきり残っていた。


 その顔の方が、向いてるのに。


 やめてよ、と思う。


 誰に向かってかもわからないまま、詩乃は心の中でだけそうつぶやいた。


 夜の封鎖区画は静かだった。


 でも、その静けさの奥で、何かがこちらを見ていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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