「借り物で十分だ」
朝は、だいぶ雑に来た。
寝た感じがしないまま目が覚めて、最悪だなと思った瞬間、端末が鳴ったからだ。
午前五時四十八分。
人の尊厳にやさしくない時間だった。
「……うそでしょ」
寝起きの声がひどい。
端末を引き寄せる。画面には短い通知。
【第七部隊、〇六三〇、中央戦術棟第三会議室へ】
差出人は霧島蓮司。
嫌な予感しかしない。
夕璃は顔を覆ってから、ゆっくり起き上がった。頭は重い。体もだるい。夢は見た気がするけど、内容はもう薄い。そこだけは救いだった。
窓の外はまだ暗い。紫棟の廊下も静かで、昨日の朝みたいな琥珀の声は聞こえない。
たぶん全員、寝不足だ。
少なくともまともなやつから先に。
制服を引っかけて部屋を出る。
共有スペースへ向かうと、そこにはもう紅羽がいた。壁にもたれて、端末で通知を見ている。目の下が少しだけ薄い。
「おはよう」
夕璃が言う。
「遅い」
紅羽が返した。
「まだ集合四十分前だけど」
「起きるのが遅い」
「朝から厳しいな」
「眠いからだ」
正直でよろしい。
少しだけ笑いそうになったところで、反対側の廊下から琥珀がふらふら歩いてきた。髪がいつも以上に跳ねていて、片目がまだ開ききっていない。
「……おはよ……」
「生きてる?」
夕璃が聞く。
「ぎり……」
「ぎりって何」
「三割くらい……」
「少ないな」
琥珀はそのままソファに倒れ込んだ。朝からわかりやすく人権が死んでる。
そこへ、紫月が来る。
顔色は昨日よりましだった。でも完全ではない。さすがに一晩で全部戻るわけはないか。
「おはよう」
声はいつも通りやわらかい。
「紫月先輩、もう平気?」
琥珀が半分寝たまま聞く。
「平気、とは言わないけど、動けるよ」
「その返し、昨日の夕璃ちゃんと同じだね」
詩乃が後ろから言った。
全員がそっちを見る。
詩乃は普通に起きていた。朝に強いのか、寝てないのか、たまにわからない。たぶん後者寄りだと思う。
「おはよう」
「おはよう」
「おはよ……」
「死にそうな声だね、琥珀ちゃん」
「詩乃先輩も人のこと言えないと思う……」
「わたしは元気だよ」
「こわ」
琥珀が言った。わかる。
五人そろう。
昨日までならこのまま朝のぐだぐだ会話で少しだけ空気がゆるんだんだろうけど、今日はそうならなかった。
誰もが通知の意味を考えている。
正式稼働日二日目の朝に、こんな時間の呼び出し。まともな内容のわけがない。
「行くか」
夕璃が言う。
全員がうなずいた。
中央戦術棟第三会議室には、霧島だけじゃなく、綾瀬冬子と御門朔もいた。
見た瞬間に嫌になった。
「うわ、最悪のメンツ」
夕璃がぼそっと言う。
「聞こえてるよ」
御門が即座に返した。
「聞かせてるので」
「図太いな」
「よく言われます」
そのまま席に着く。
紅羽が夕璃を横目で見る。
「お前、たまにそういうとこだけ無駄に強いな」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
「便利だな、それ」
霧島が咳払いした。
「漫才は後だ。状況が動いた」
モニターに地図が映る。
東側外縁、そのさらに外。封鎖区画。旧第十三市街。
夕璃の目が止まる。
気のせいじゃなく、少しだけ呼吸が浅くなった。
「……なんでそこ」
声が勝手に出た。
霧島がこっちを見る。
「昨日、D区画で回収した祭祀種の核片。あれの波形が、旧第十三市街の深部反応と一致した」
部屋の空気が落ちる。
紅羽が眉を寄せた。
「一致、とは」
答えたのは御門だった。
「同系統どころではない。連結元の可能性が高い」
「つまり?」
琥珀が聞く。
「昨日の祭祀種は、旧第十三市街の何かから切り離された欠片かもしれないってこと」
紫月が静かに言った。
「そういうことだ」
綾瀬がうなずく。
詩乃が目を細める。
「嫌な感じ」
「同意見だ」
夕璃も言う。
旧第十三市街。
「今日、行くんですか」
紅羽の問いはまっすぐだった。
霧島が短く答える。
「行く」
「ただし総力戦じゃない。先行調査だ。大きく動く前に目を入れる」
モニターに赤いルートが引かれる。
旧第十三市街の外縁から、地下商業区画へ向かう細い侵入路。
「参加は第六と第七。藍虹が先導、紫虹が内部対応」
「最悪の組み合わせ来たなあ」
夕璃が言う。
「言い方」
紅羽が即突っ込む。
「でも、わりとそう」
詩乃がさらっと乗る。
「わたし、藍の人たち、ちょっと苦手だし」
「同感だ」
紅羽も言った。
「考え方が近いようで違いすぎる」
その表現はわかりやすい。
第六部隊は第七部隊よりもっと割り切っている。似た匂いがあるからこそ、食い合わせが悪い。
綾瀬が端末を閉じる。
「なお、皇さんは待機」
紫月が顔を上げた。
「え」
「昨日の過負荷が抜けきってない。旧第十三市街のような汚染区画へ入れる状態じゃない」
「でも」
「だめ」
綾瀬の言い方はきっぱりしていた。
「ここは交渉の余地なし」
紫月が少しだけ言葉に詰まる。
その顔を見ると、ちょっと胸が重い。紫月は支える側にいるのが普通になりすぎていて、自分が下がる側になるのをかなり嫌う。
「代わりに第四部隊から補助を一名つける」
霧島が言った。
「春風奏のところから、薬師寺実乃里。後方補助と解毒寄りだ」
「奏さんとこの」
紫月が小さく息を吐く。
完全に納得した顔ではない。でも、少しだけ引いた。
たぶん奏の名前が出たのが効いたんだろう。
「じゃあ、第七は四人?」
琥珀が聞く。
「補助込みで五」
霧島が言う。
「紫月は後方待機。状況次第じゃ途中で呼ぶ可能性はあるが、基本はなし」
夕璃は紫月を見た。
言いたいことは山ほどある顔だ。でも、無理にでも飲み込もうとしてる。
「……わかった」
やっと出た声は小さかった。
夕璃は少しだけ迷ってから口を開く。
「紫月」
「うん」
「今回は、待ってて」
その言葉が正しいかどうか、言ったあともわからない。
でも紫月は、少しだけ目を丸くしたあと、笑った。
「それ、隊長の命令?」
「半分くらいは」
「便利だね、それ」
笑ったけど、少しだけ寂しそうだった。
そこへ霧島がさらに追い打ちをかける。
「黒瀬、お前も本来なら待機寄りだ」
「うわ」
夕璃が素で言った。
「でも行かせる」
「もっとやばいだろ、それ」
「やばいよ」
霧島はあっさり言った。
「だが、昨日の祭祀種核片への反応と、お前の波形の乱れが妙に噛み合ってる。旧第十三市街で何か拾えるなら、お前が一番近い可能性がある」
近い。
その言い方が、あんまり気持ちよくない。
御門が口を開く。
「黒瀬夕璃を中心に調査を回したい」
「言い方」
夕璃が顔をしかめる。
「人を機材みたいに言うなよ」
「機材より危ういから言ってる」
御門は平然としていた。
綾瀬がすぐに切る。
「御門監、その言い方はやめて」
「事実だが」
「やめて」
二回目はちょっと強かった。
御門が肩をすくめる。
珍しく綾瀬がはっきり嫌な顔をしているのを見ると、少しだけ安心する。たぶん、この人がいるうちはまだ全部が実験室にはならない。
霧島が机を叩いた。
「話を戻す。出発は一時間後。先行調査、接触優先、撤退判断は藍虹隊長・宵待澪那と黒瀬の現場判断。深追いするな」
「最後だけ絶対守れないやつ入ってる」
夕璃が言う。
「守れ」
紅羽が即答。
「お前が言うと重いんだよ」
「重くて結構だ」
詩乃が小さく笑った。
「紅羽先輩、今日ちょっと機嫌わるいね」
「昨日からだ」
琥珀が言う。
「知ってる」
「知ってるなら少しは黙れ」
「はい」
珍しく即従った。
そこへ会議室の扉がノックされる。
開いて入ってきたのは、宵待澪那だった。
第六部隊隊長。
静かだな、と思う。入ってきた瞬間に空気が変わるのに、音は増えない。そういう人。
「おはようございます」
声まで静かだった。
「時間、もらっていいですか」
「短くな」
霧島が言う。
澪那はうなずいて、第七部隊へ視線を向ける。正確には、詩乃と夕璃に少し長く視線が止まった。
「今回、旧第十三市街の侵入は第六が先導します。第七は内部対応。目的は殲滅じゃなく確認です」
言葉がきれいだ。きれいだけど、温度がない。
「だから、見つけても飛び込まないで」
琥珀が小さく「無理では」とつぶやく。
夕璃も心の中で同意した。
澪那は続ける。
「特に黒瀬さん。白峰さん」
「名指しだ」
夕璃が言う。
「必要なので」
澪那は動じない。
「あなたたちは、見えてしまうものに引っ張られやすい」
詩乃の指先が少しだけ動いた。
「心当たりがある顔だね」
澪那が静かに言う。
詩乃は笑わなかった。
「あなたに言われるの、あんまり気分よくないです」
「そうだろうね」
澪那は否定しない。
「でも、だから言う」
その空気を見ながら、夕璃は少しだけ息を吐いた。
この人、やっぱり苦手だ。
正しいことを言うくせに、相手が一番嫌がる場所にきれいに置いてくる。
「以上です」
澪那は言って、最後にもう一度だけ夕璃を見る。
「旧第十三市街は、待ってくれない」
その言い方は妙だった。
まるでそこが、生きているみたいに聞こえる。
そしてそれは、たぶん半分くらいは本当なんだろう。
会議はそこで終わった。
一時間後の出発まで、短い準備時間。
第七部隊はひとまず紫棟へ戻ることになった。武装と必要物資の再確認、それから紫月を置いていくための時間。
置いていく、という言い方が正しいかはわからない。でも、そう感じてしまう。
紫棟へ戻る道すがら、誰もあまり喋らなかった。
静かなまま共有スペースへ入る。
そこで最初に口を開いたのは、紫月だった。
「ごめんね」
全員が止まる。
その一言は、たぶんこの場でいちばん聞きたくなかった。
「なんで謝るんだよ」
琥珀がすぐ言った。
「だって、わたしが行けないと」
「だからって謝るな」
今度は紅羽だった。
かなり強い言い方だった。紫月が少しだけ目を見開くくらいには。
「お前は昨日、限界までやった。そこを謝られると、こっちが困る」
紅羽はそこで少し息を吐く。
「下がる判断も任務だ」
たぶん昨日の千晴の言葉が、まだ紅羽の中でちゃんと残っている。
紫月は少しだけ黙って、それから苦く笑った。
「……うん」
「あと、待ってるのもちゃんと大事」
夕璃が言う。
自分でも、そういうことを言う柄じゃないとは思う。でも今は言わないとだめな気がした。
「帰る場所ないと困るし」
紫月は夕璃を見て、それからほんの少しだけやわらかく笑った。
「それ、ちょっとずるい」
「便利だから使った」
「ひどいなあ」
「でもほんと」
詩乃が静かに足した。
「紫月先輩いないと、帰っても誰もあったかいお茶出してくれないし」
「そこ?」
「そこも」
琥珀がぶんぶんうなずく。
「あと、寝る前に“まだ起きてるの”って怒ってくれる人いなくなるし」
「そこは怒られてる自覚あったんだ」
夕璃が言う。
「あるよ!」
「へえ」
「へえじゃない!」
少しだけ空気がゆるむ。
紫月もちゃんと笑った。
その笑い方が戻ってるのを見ると、少しだけ安心する。
「じゃあ、準備しよっか」
紫月が言う。
「必要なもの、わたしも確認するから」
「休めって言われたばっかだろ」
夕璃が返す。
「動かないと落ち着かないの」
その気持ちはわかる。
すごく。
結局、準備はいつも通り少しだけ騒がしかった。
琥珀は予備ゼリーを五本持とうとして紅羽に三本まで減らされ、詩乃はいつの間にか余計な小型刃物を増やしていて夕璃に二本没収され、紅羽は必要以上に医療パックを入れようとして琥珀に「重くなるって!」と止められた。
夕璃は夕璃で、予備端子を一つ多く入れていたのを紫月に見つかった。
「これ、使う気でしょ」
「予備だよ」
「予備を二つも持つ?」
「持つときは持つ」
「だめ」
「なんで」
「なんで、じゃないの」
紫月の言い方はやわらかいのに、そこは引かなかった。
「今日は無理に切り替え数を増やさないって約束して」
約束、か。
そういう言葉で来られると、夕璃はちょっと弱い。
「……努力はする」
「約束」
「重いな」
「重くするよ」
その押しに、夕璃は少しだけ目をそらしてから、しぶしぶうなずく。
「……わかった」
「うん」
紫月はそれでようやく満足したみたいだった。
出発時間が近づく。
最後に紫棟の玄関で、第七部隊は立ち止まった。
紫月は見送り側だ。
昨日の出撃のときとは逆。
それがちょっとだけ落ち着かない。
「薬師寺さん、途中で合流だよね」
紫月が確認する。
「らしい」
紅羽が答える。
「緑の補助なら、信頼はできる」
「奏さんのとこだしね」
琥珀が言った。
「あとでちゃんと報告してね」
「たぶん、まず琥珀ちゃんがいちばん喋ると思う」
詩乃がさらっと言う。
「え、なんで?」
「そういうタイプだから」
「否定できない」
夕璃も言う。
琥珀がむっとする。
「みんなひどくない?」
「ひどくない」
「ひどい!」
そのやり取りのあと、少しだけ沈黙が来た。
今度は誰もすぐに喋らない。
出発前のやつだ。
少しだけ重くて、でも何か言わないと切れないやつ。
紫月が先に口を開く。
「……行ってらっしゃい」
静かな声だった。
「ちゃんと帰ってきてね」
「おう」
琥珀が元気よく返す。
「もちろんです」
紅羽も。
「わかってる」
詩乃はいつも通りやわらかく。
夕璃は一拍だけ遅れて言う。
「行ってくる」
紫月は小さくうなずいた。
その顔を見て、夕璃は少しだけ、ほんの少しだけ、昨夜の紅羽の言葉を思い出す。
帰る場所がある。
それは、たぶん強い。
発進ゲートへ向かう道は、昨日と同じはずなのに少し違って見えた。
今日は日中だ。空が明るい。そのぶん、外壁の向こうにあるものもはっきり見える。見えすぎる。
旧第十三市街への出撃ルート。
気分のいい言葉じゃない。
途中で第四部隊の薬師寺実乃里が合流した。明るい顔をしているけど、ちゃんと緊張もしてるのがわかる。
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
紅羽が返す。
実乃里は紫月から預かってきたらしい補助薬や浄化パッチを配りながら言った。
「奏さんから、無茶する人多いから気をつけてって言われました」
「誰のことだろうな」
夕璃が言う。
実乃里はにこっとした。
「第七のみなさん全員って言ってました」
「ひどい」
琥珀が言う。
「でも合ってるかも」
詩乃が言う。
「白峰先輩も入ってる!?」
「入ってるんじゃないかなあ」
そして発進ゲート前。
今日は第六部隊もいる。
宵待澪那、霞ヶ関透子、雨宮繭、墨染遥。
静かだ。第七と並ぶと余計に静かさが際立つ。
透子だけはちょっと口元が軽そうだけど、それでもうるさくはない。
「おはよう、問題児さんたち」
透子が言う。
「朝から感じわる」
夕璃が即返す。
「褒め言葉?」
「ぜんぜん」
澪那が間に入る。
「やめて。出発前に無駄な摩擦いらない」
その言い方もいちいちきれいだな、と夕璃は思う。
でも今回は正しい。
旧第十三市街の外縁ゲートが開く。
その向こうは、昨日までの居住区とは空気が違った。
静かだ。
死んでいる街の静けさ。
風は吹いているのに、人の音が何もない。
ビルの骨だけ残った影。割れた道路。止まったままの信号。崩れた高架。遠くでカラスみたいなものが飛んでいる。でも鳴き声はしない。
嫌な場所だ。
そして夕璃は、その景色を見た瞬間、胸の奥のざわつきが昨日よりはっきり強くなるのを感じた。
頭じゃない。
もっと深いところが、この街を知っているみたいにざわつく。
「……気持ちわる」
思わず口に出た。
すぐ隣で、雫の声がした。
「同感」
青虹隊の高所支援ルートから一時的に下りてきていたらしい。観測器を連れて、外縁の足場からこちらを見ている。
夕璃はそっちを見る。
「そっちも来るんだ」
「入りはしない。外から観測だけ」
「安全圏だな」
「そう見える?」
雫の声は落ち着いていた。でも目だけが少し硬い。
「旧第十三市街に安全圏なんてないよ」
その言葉は、たぶん本音だった。
発進直前の短い沈黙。
霧島が最後に言う。
「第六、第七。確認しろ。目的は調査、深追い禁止、接触したら記録優先、撤退判断を遅らせるな」
夕璃は前を見る。
壊れた街。
その奥。
自分の知らないはずなのに、少しだけ懐かしいみたいな嫌な感覚。
風が吹く。
その風の中で、ほんの一瞬だけ、またあの女の人の気配がした。
今度は声じゃない。
ただ、前へ行けと言われた気がした。
「……ほんと、最悪」
夕璃が小さくつぶやく。
「何が?」
琥珀が聞く。
「今日の空気」
「わかる」
紅羽が短く言った。
澪那が手を上げる。
「行くよ」
第六と第七が、壊れた街へ踏み込む。
旧第十三市街。
死んだ街は、静かだった。
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