第6話 ここには来なくていい
「釜野には、来なくていいです」
テレビカメラの前でキヨがそう言った瞬間、取材に来た全員の動きが止まった。
マイクを向けていた女性アナウンサーは、笑顔のまま次の言葉を失った。
少し離れた場所で、番組ディレクターが頭を抱えている。
直人だけは、なぜか少し笑いそうになった。
*
取材の依頼が届いたのは、その3日前だった。
県内のテレビ局が、
夕方の地域情報番組でキヨの動画を紹介したいという。
企画の詳細を尋ねると、
ディレクターの岩田から電話で話したいと返事があった。
直人は番号と、翌朝なら出られる時間を伝えた。
翌朝、約束した時間に岩田から電話がかかってきた。
『動画、50万回を超えてますよね。
人口26人の限界集落に戻ってきた息子さんが、配信で故郷を再生する。
すごく分かりやすい企画になると思うんです』
「俺は、戻ると決めたわけではありません」
『今は釜野にいらっしゃるんですよね』
「父の葬儀と、相続した土地の整理のためです。仕事も家族も東京にあります」
電話の向こうで、紙をめくる音がした。
『では、故郷を再生するため、東京との二拠点生活を始めたという形では?』
「始めていません」
岩田は少し黙った。
『まだ検討中、ということですね』
「検討するとも決めてません」
『なるほど』
何も「なるほど」ではない声だった。
番組が欲しがっている話は分かる。
都会で働いていた会社員が、亡き父の故郷を継ぐ。
老人の知恵を動画で発信し、消えかけた集落に人を呼び戻す。
だが、今の直人にあるのは、売れるかどうかも分からない山と、
父が人々を撮った映像の残るパソコンだけだった。
「それでも取材しますか」
『はい。正直に言えば、最初は50万回という数字に引かれました』
岩田の声から、先ほどまでの営業めいた明るさが消えた。
『でも、動画についたコメントを読んだら、
釜野へ行きたいという人より、自分も故郷へ帰れないと書いている人の方が多かったんです。
実家を処分した人、親が亡くなって帰る理由を失った人。県内には、同じ人が大勢います』
直人は黙って続きを待った。
『地域番組は、移住者が来たとか、祭りが復活したとか、
分かりやすく明るい話を取り上げがちです。
でも、戻れない人と、残っている人がどうつながるかは、
ほとんど取材してきませんでした』
「だから、釜野を?」
『はい。佐久間さんがまだ答えを決めていないなら、
それも含めて撮らせてください。
特に、キヨさんがどう考えているのか、ご本人の言葉で聞きたいです』
筋書きを断られても、岩田は電話を切ろうとしなかった。
「本人に聞きます。出ないと言ったら、動画だけの紹介もお断りします」
『分かりました』
日程や撮影範囲を聞き、出演承諾書を送ってもらった。
見逃し配信や、公式SNSでの再編集にも使うとある。
直人はそれを印刷し、キヨの家へ持っていった。
「テレビで1回流れて終わりではないんだ。
放送のあと、インターネットにも残るかもしれない」
「この前の動画と同じか」
「似てるけど、今度は向こうが編集する。俺が全部決められるわけじゃない」
「変な顔にするのか」
「顔の問題?」
「大事だべ」
キヨは承諾書より先に、自分の頬を手でなでた。
「知らない人がまた家へ来る可能性もある。嫌なら断っていい」
「あの2人みたいなのが来たら、直坊が帰せばいい」
「俺、ずっとここにいるわけじゃないよ」
口にしてから、直人は妙な気持ちになった。
キヨは何も言わず、もう一度、承諾書へ目を落とした。
「テレビに出れば、亮介みたいに釜野を出た人が、また見つけるかもしれない」
「そうだな」
「なら、出る」
直人も、釜野が動画で救われ始めたという誤解だけが広がるより、
何も決まっていない現実を自分の口で話したかった。
「地区名が出れば気づく人もいるけど、また調べて来る人もいる。
それでもいい?」
「釜野は出していい。けど、うちまで来る道は見せないでくれ」
直人は番組側と、家や山への道順を映さず、
無断訪問を控える案内も入れると約束した。
ほかの住民を撮るときも、1人ずつ確かめてもらう。
岩田から廃校も撮りたいと言われ、直人は市役所地域振興課の黒木誠司へ相談した。
「テレビですか」
「やっぱり難しい?」
「いえ。管財の担当に聞いてみます。正式な申請は必要ですが、
校庭と外観だけなら許可できるかもしれません」
あの学校の最後の卒業生は、意外なほど話に乗り気だった。
「随分、協力的だな」
「映ったからといって、取り壊しが変わるわけではありません。
でも、最後の姿を見に来られない卒業生は多いですから」
黒木の調整で、校庭と外観だけの撮影が認められた。当日も立ち会うという。
*
取材当日の朝、キヨは普段より明るい紫色のカーディガンを着ていた。
唇には、少しだけ赤い口紅を引いている。
「直坊、曲がってないか」
「少し右が長い」
「早く言え」
キヨは軽トラックの助手席の鏡をのぞき込み、指先で口紅を直した。
テレビ局から来たのは、
岩田と女性アナウンサー、カメラ担当、音声担当の4人だった。
黒木も、市役所の作業着を着て撮影に立ち会った。
岩田は40代半ばで、電話で想像したより痩せていた。
何度も頭を下げながら、撮影する場所と質問の内容を説明した。
「まず佐久間さんが東京から戻ってきた場面として、
軽トラックでこちらへ上がってくるところを撮りたいんですが」
「今朝からここにいますけど」
「映像上のイメージです。向こうから一度、走ってきていただければ」
直人は軽トラックを見た。
「俺が帰ってきたのは半月ほど前です。再現だと分かる形なら構いません」
岩田は少し困った顔をしたあと、撮影を諦めた。
代わりに、父のパソコンを開く手元を撮った。
連絡先の載った聞き取り資料は、閉じておいた。
校庭では、女性アナウンサーが錆びた鉄棒と、草に囲まれた校舎を背に話した。
「廃校となった小学校も、来年には取り壊される予定です。
佐久間さんは、この学校を残したいですか」
「残せるなら、残したいです」
岩田がカメラの脇で小さくうなずいた。
「でも、俺はそう言うだけです。
修理する金も、雪下ろしを続ける時間も出すと決めていません」
岩田のうなずきが止まった。
「残したいと言うことと、残す責任を負うことは別だと、ここへ来て分かりました」
女性アナウンサーは少し間を置き、次の質問へ移った。
「では、釜野地区をこれからどうしたいですか」
「まだ、分かりません」
これでは番組にならないだろうと、直人にも分かった。
それでも、父が用意した筋書きさえなかったのに、
テレビのための答えを作る気にはなれなかった。
最後に、キヨの撮影が始まった。
きのこを採る場所は映せないため、
家から少し離れた道端で、籠の中身を見せながら話すことになった。
背後には山だけが映り、家や道順は分からない。
「83歳の今も、1人で山へ入られるんですね」
「昔ほどは歩けないけどね。山に入れば、若い人よりは採れるよ」
「動画が50万回も再生されたと聞いて、どう思いましたか」
「そんなに暇な人がいるんだなと思った」
音声担当が笑いをこらえ、肩を揺らした。
女性アナウンサーも笑ってから、質問を続けた。
「動画をきっかけに、釜野へ行ってみたいという人も増えています。
皆さんに来てほしいですか」
キヨはすぐには答えなかった。
籠の中にあるきのこの向きを、1つだけ直した。
「釜野には、来なくていいです」
女性アナウンサーの笑顔が止まった。
岩田がカメラの横で頭を抱えた。
「来てほしくない、ということですか」
「知らない人に急に家さ来られたら、困るもの」
「では、動画を見た方へ伝えたいことはありますか」
キヨはカメラを見た。
「ここさ来る代わりに、自分のじいさんやばあさんの顔を見に行ってやってください」
岩田が顔を上げた。
「電話でもいい。声を忘れないうちに、話してやればいい。
いなくなってから会いたくなっても、遅いからね」
誰も、すぐには次の言葉を出せなかった。
風が吹き、キヨの腰の籠が小さく揺れた。
岩田はカメラ担当へ目を向けた。
「今のところ、もう一度お願いします」
「同じことは言えね」
「そうですよね」
岩田は諦めたように笑った。
*
取材から2日後、番組が放送された。
直人はキヨの家で、仕事帰りの黒木と3人でテレビを見た。
番組の見出しは、当初聞かされていた
「限界集落を救うUターン会社員」ではなくなっていた。
『50万回再生の先に――動画がつないだ、帰れない人の故郷』
放送された直人は、何を聞かれても「分からない」と答えていた。
「直坊、ずいぶん頼りなく映ってるな」
「実際、分からないんだから仕方ないだろ」
「そこだけは、正直でいいと思います」
黒木が真顔で言った。
「褒めてないよな、それ」
キヨの口紅は、画面で見るとまだ少し右側が長かった。
だが、最後の言葉はほとんど切られずに放送された。
『ここさ来る代わりに、自分のじいさんやばあさんの顔を見に行ってやってください』
番組終了後、テレビ局の公式アカウントが、その部分を短い動画として公開した。
翌朝には、再生回数が1,000,000回を超えていた。
『3年ぶりに祖母へ電話しました』
『今週末、実家に帰ります』
『声を忘れないうちに、という言葉で泣きました』
直人のアカウントにも、同じような報告が何百件も届いた。
人を釜野へ呼ぶための言葉ではなかった。
それでも、キヨの言葉は、見知らぬ人たちをそれぞれの故郷へ帰していた。
直人がコメントを読んでいると、美咲からメッセージが届いた。
『見逃し配信で番組見たよ。キヨさん、すごくよかった』
その下に、娘の灯から届いた音声が添付されていた。
『パパ。キヨばあちゃんは、会えるうちに会った方がいいって言ってたよ』
明るい声が、そこで少しだけ小さくなった。
『パパは、いつ帰ってくるの?』




