第4話 再生回数0回の動画
誰も住んでいない家にも、秋は来る。
廃校からの帰り道、直人は遠山トミの家の前で足を止めた。
庭の柿の木が、枝を重そうに垂らしていた。
実は熟しきっている。いくつかは地面へ落ち、
割れたところを鳥につつかれていた。
トミが生きていたころ、柿があれほど残っているのを見たことがなかった。
干し柿にする分。近所へ配る分。傷んだものは畑へ持っていく分。
トミは毎年、木が軽くなるまで採っていた。
人がいなくなっても、木はそれを知らない。
直人のスマートフォンが震えた。
キヨの動画は、再生回数が286,000回を超えていた。
止まっていたアカウントのフォロワーも、朝から4,000人近く増えている。
届いたメッセージには、似たような言葉が並んでいた。
『こんな場所で暮らしてみたいです』
『近くに借りられる古民家はありませんか』
『会社を辞めて、田舎で小さな店を開くのが夢です』
昨日までなら、嬉しかったかもしれない。
だが今は、黒木の言葉が先に浮かんだ。
来てみたい人と、ここで暮らす人は違います。
直人は柿の木の写真を撮りかけて、スマートフォンを下ろした。
この家を知らない人が見れば、実り豊かな古民家の庭に見える。
地面へ落ちた柿を、毎日誰が片づけるのかは写真に映らない。
実家へ戻り、父のパソコンを開いた。
映像の一覧には、遠山トミの名前もあった。
トミは昨年の冬に亡くなっている。
父は、映像を本人に見せ、消すか残すかを決めてもらえと言った。
けれど、本人がもういない場合のことは何も言わなかった。
直人は迷った末に、映像を再生した。
画面いっぱいに、柿の実が映った。
父はスマートフォンを上へ向けすぎたらしい。
しばらく枝と空しか映っていない。
『達郎、どこ撮ってんだ。あたしはこっちだ』
トミの声がして、画面が慌てて下がった。
縁側に座ったトミが、採った柿の皮をむいていた。
膝の上に浅い籠を載せ、包丁を持つ手だけを休みなく動かしている。
長くつながった皮が、足元へ細く垂れていた。
『今年も、ずいぶん採ったな』
『まだ半分。上の方にも残ってるよ』
『1人で食うのか』
『そんなに食べたら、お腹壊すべ』
トミは、何を当たり前のことを聞くのだというように笑った。
『干したら、悦子と正夫さ送るんだ』
『去年、もういらないって言われたんでないか』
『そう言われたね』
『じゃあ、やめればいいべ』
『でも、手が動くうちは作るよ。
作らないと、秋が終わった気しないもの』
トミはそれ以上説明せず、次の柿を手に取った。
父も追及しなかった。
包丁が皮をむく小さな音だけが、しばらく続いた。
父は、柿の木を見上げた。
『この木、悦子が生まれた年に植えたんだよな』
トミも包丁を動かしながら、枝の方へ目をやった。
『あの人がね。娘と一緒に大きくなるんだって、植えたの』
『トミさんがいなくなったら、この木はどうする』と父が尋ねた。
トミの手が、初めて止まった。
『切ってもらおうと思ってる』
『悦子は嫌がるんでないか』と、父が重ねて聞いた。
トミは少し考えてから、ゆっくり答えた。
『切る日は寂しいだろうね。でも、残したら毎年あの子が困るから』
トミは枝に残った柿を見上げた。
『採る人がいなければ、実は落ちるし、熊も来る。
雪で枝が折れたら、屋根も傷む。木は勝手に終わってくれないからね』
そう言って、また柿をむき始めた。
映像は、そのあとも5分ほど続いた。
父が高い枝の柿を採り、トミが下から、
そっちでない、隣だと何度も指図していた。
最後まで見ても、誰かに公開してほしいという話は出なかった。
直人はパソコンを閉じた。
トミがどうしたかったのかは、もう聞けない。勝手には公開できなかった。
だが、削除することもできなかった。
黒木から渡されたファイルを開く。
トミの欄には、仙台に住む娘、高橋悦子の連絡先が書かれていた。
電話をかけると、3度目の呼び出し音で女性が出た。
『はい、高橋です』
「佐久間直人です。釜野の達郎の息子です」
『直ちゃん? あらあ、何年ぶりだべ』
声が急に近くなった。
「悦子姉ちゃん、久しぶりです」
『お父さんのこと、聞いたよ。母ちゃんのときは、
達郎さんにあれだけしてもらったのに。葬式に行けなくて悪かったね』
悦子は今年58歳で、直人より20歳年上だった。
直人が小学生のころには、すでに結婚して仙台で暮らしていた。
盆になると自分の子どもたちを連れて釜野へ帰り、
トミの家の前で一緒に花火をさせてくれた。
直人が打ち上げ花火に近づきすぎたとき、襟をつかんで引き戻したのも悦子だった。
「父さんのパソコンに、トミさんの映像が残ってました」
電話の向こうが静かになった。
『母ちゃん、映ってるの?』
「柿をむいてます。去年の秋に撮ったみたいです」
少し間があってから、悦子は言った。
『明後日、そっちへ行くから、見せてもらっていい?』
「もちろんです」
『ちょうど、柿の木を切ってもらうことにしてたの』
*
2日後の朝、悦子は銀色の軽自動車で釜野へ来た。
トミの家の前には、市街地から来た造園業者のトラックも停まっていた。
車から降りた悦子の短い髪には、白いものが混じっていた。
それでも、「直ちゃん」と呼んで笑った顔には、
花火の前でしゃがんでいた昔の面影が残っていた。
「ずっと延ばしてたんだけどね」
悦子は柿の木を見上げた。
「母ちゃんがいたころから、達郎さんが高いところの実を採ってくれてたの。
今年は誰にも頼まずに済むように、切ろうって決めたんだけど」
悦子は言葉を切り、直人を見た。
「その達郎さんまで、いなくなるとは思わなかった」
業者が準備をしている間、2人はトミの家に入った。
悦子が雨戸を開けると、久しぶりに入った光の中で細かな埃が舞った。
居間の壁には、去年のカレンダーが掛かったままだった。
柱時計は止まり、座布団は4枚、きちんと重ねられている。
直人は父のパソコンを食卓に置き、映像を再生した。
悦子は笑いながら見始めた。
「母ちゃん、干し柿ばっかり送ってくるから、もういらないって何度も言ったの。
柿より宅配便の方が高いんだから」
画面の中で、トミが言った。
『でも、手が動くうちは作るよ。作らないと、秋が終わった気しないもの』
悦子は笑ったまま、口を閉じた。
やがて、柿の木を切ってもらうという場面になった。
『切る日は寂しいだろうね。でも、残したら毎年あの子が困るから』
悦子は画面から目を離し、窓の外の木を見た。
「同じこと、私にも言った」
「そうだったんですか」
「うん。それでも、次の秋が来るまで決められなかった」
映像が終わっても、悦子はしばらく動かなかった。
「この映像、インターネットには出さないでくれる?」
「分かりました」
「母ちゃん、知らない人に見られるために話してないと思うから」
直人はうなずいた。
「正夫のメールアドレスはあとで送るから、私と弟に送ってくれる?」
「今日中に送ります」
「母ちゃんが動いてるところ、もう一度見られると思わなかった」
外で機械の音がした。
業者は屋根を傷つけないよう、上の枝から少しずつ切り始めた。
枝から離れた柿が、地面へ落ちる。
悦子はその中から傷のない実を拾い、持ってきた紙袋へ入れた。
「持って帰るんですか?」
「5つだけ。これなら食べきれるから」
太い幹は、何度かに分けて切られた。
最後の1本が低い音を立てて地面へ横たわると、
柿の木に隠れていた空が急に広くなった。
悦子は、切り株の前にしゃがんだ。
年輪へ触れたあと、業者に薄く切った幹を1枚だけもらえないかと頼んだ。
「切るって決めたくせにね」
照れたように笑い、丸い木片を紙袋へ入れた。
残りの枝と幹は、業者のトラックに積まれた。
昼前には、庭から柿の木がなくなった。
*
夕方、直人は実家から美咲へ電話をかけた。
画面に映ったのは、美咲の顔ではなく、居間の天井だった。
『もしもし。見えてる?』
「天井はよく見えてる」
『また反対?』
画面が回り、ようやく美咲の顔が映った。
直人は、トミの映像と柿の木のことを話した。
「あの動画は投稿しないことになった」
『じゃあ、お義父さんに頼まれたことはできなかったの?』
「いや。トミさんの娘さんと息子さんには見てもらえる」
『なら、できたんじゃない?』
「再生回数には出ないけどな」
『見せたかった人が見たなら、0回じゃないでしょ』
美咲はそう言ってから、画面の向こうで何かを探し始めた。
『あれ、灯の連絡帳どこに置いたっけ』
「冷蔵庫の上」
『なんで分かるの?』
「いつも、そこに置くから」
電話を切ったあと、直人は映像をクラウドストレージへ保存した。
悦子と正夫だけが見られるように設定し、2人へリンクを送った。
数字には残らない動画だった。
それでも、父から頼まれた人々の映像のうち、
2本目を届けられた気がした。
そのとき、キヨの動画に新しいコメントがついた。
『この人、釜野のキヨさんですよね。子どものころ、お世話になりました』
初めて、コメント欄に釜野の名前が書かれていた。




