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妾の顔を見た男は、みな狂う。ただ一人、婚約者を除いて  作者: 佐藤みさき
第一章 目隠し皇女のアナスタシア

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求婚状の山

「皇女殿下。アーベントロート宰相閣下が、謁(えっ)見(けん)をお求めです」

「アーベントロートが…? わかった、通せ」


 執務机から顔をあげ、マイリンク補佐官に返事する。


 無事――とはいえないが、兎(と)にも角(かく)にも社交界デビューを果たした妾(わらわ)は、母上たちが父上に代わってこなしてきた政務の一部を頂戴し、仕事を始めていた。

 政務に携わるにあたり、妾(わらわ)には、代々皇太子の執務室として使われてきた部屋と、男女両方の補佐官一名ずつを与えられた。マイリンク補佐官が男性で、ヴァルモンド補佐官が女性である。二人とも、新進気鋭の優秀な若手文官であり、とても頼りになる人物だ。

 そして、アーベントロートが用意した目隠しのおかげか、マイリンクに異常が生じる様子もない。彼と顔を合わせる前に、目隠しをするようになっていて良かった。

 初めてのことばかりで、まだ試行錯誤は続くが、これまで学んだことを活(い)かして実務の携われるのは、楽しい。


 ほどなくして、執務室の扉が開き、アーベントロートと彼の補佐官らが入ってきた。なにやら、ティーセットが載りそうな大きい銀盆に、大量の手紙を山と積んで運んでいる者がいる。

 アーベントロートは、相変わらず挨拶のひとつもなく、きびきびと机に歩み寄ると、背中に持っていたらしい新聞を妾(わらわ)に差し出した――いや、新聞ではない。タブロイド紙だ。それも、貴族のゴシップを扱う出版社の。


「こちらをご覧ください」


 早々に本題をぶつけられるのも妾(わらわ)には慣れたもので、言われるままにソレを広げて眺める。視界の端では、ヴァルモンド補佐官が苦々しい顔をアーベントロートに向けていた。


~~~~~

 ――帝都上層に衝撃走る――今世紀最大の夜会として注目を浴びた、皇女アナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒ殿下のデビュタンティン(社交界正式お披(ひ)露(ろ)目(め))にて、前(ぜん)代(だい)未(み)聞(もん)の『集団狂恋事件』が勃発したことが、宮廷筋の取材により明らかになった。

 長らく皇族のご英姿を間近に拝する機会のなかった社交界。ついに明かされた殿下のご尊顔は、『女神か天使かと見まごうほど』『この世の理を揺るがす美貌』とまで称され、多くの若き貴族男性らがその場で理性を失い、狂気的な恋慕に陥ったという。


 夜会の中盤、殿下のダンスパートナーの座を巡って、複数の男性が声を荒(あら)らげ、やがて殴り合いにまで発展。拳が飛び交い、血が流れ、悲鳴が響いた大広間。その混乱の最中、殿下ご自身が倒れ、後頭部を強打――殿下はその場を退かれる事態に。

 皇室広報局は「命に別状なし。後遺症なども確認されていない」と発表。


 この“集団狂恋事件”により、喧(けん)嘩(か)に加担した複数名の貴族子弟が、皇女に危害を及ぼした罪に問われ、即日拘束・貴族牢(ろう)に収監。被収監者の中には某名門侯爵家の次男、伯爵家の嫡男など、将来を嘱望された若者の名も並び、社交界に激震が走っている。

 事態はそれだけにとどまらない。収監を免れた貴族男性たちも、生家の反対を押し切って殿下への求婚状を次々に送付。現在、皇宮には日ごとに数十通以上の求婚状が届いており、関係筋によれば「職員の手が足りず、読み切れない」とのこと。

 さらに、当日出席していた貴族男性のうち、既に婚約者がいた者の一部で婚約破棄、あるいはその危機が発生中。涙する元婚約者たちの声も、我々のもとへ届いている。

~~~~~


「……『日ごとに数十通以上の求婚状』?」


 大げさな誇張はタブロイド紙の常だ、と大半を読み流したものの、気になったその箇所だけを声に出しつつ顔を上げる。

 すると、アーベントロートは、銀盆を持った補佐官に目で指示を送った。合図を受けた宰相補佐官は、どっさりと手紙の載った銀盆を、妾(わらわ)の執務机に置く。

 盆の上には、こんもりと山のような手紙がうずたかく積まれていた。数は百、いや二百に及ぶだろうか。


「これは…まさか、」

「ああ、お読みいただく必要はありません。殿下のお目を汚す価値は、どの一通にたりともございませんので」


 一通手にとろうとした妾(わらわ)に、アーベントロートはすかさずそのように制す。妾(わらわ)は、伸ばしかけた手をぴたりと止めた。


「…妾(わらわ)との結婚を求める、求婚状か?」

「さようです」

「なぜ? 妾(わらわ)には、ユリウスがいるのに」

「さあ。狂人どもの考えなど、臣には分かりかねます。

 これらは外信局で処理済みの――無論、一律で却下と回答されたものです。殿下にも、事態のご認識だけはしていただいたほうがよいと考え、こうしてお持ちいたしました。

 後ほど、まとめて火にくべておきます」


 妾(わらわ)は、手紙の山と、タブロイド紙との間で目線を行ったり来たりさせた。

 あの狂乱が、まだこれほどの影響を残しているとは……。


「婚約者のある者たちにまで、悪影響が及んでおるのか」

「諜(ちょう)報(ほう)部(ぶ)によれば、はい。どうやらそのようです」

「…妾(わらわ)のせいで…?」


 おもわず、目線を落としてしまう。

 もしも妾(わらわ)だったら。もしも、ユリウスとの関係が突然悪化したら、と思うと、胸が痛む。こんな思いを、なんの罪もない令嬢たちに味わわせているのか……。


「殿下のせいではございません」


 アーベントロートの鋭い声が否定し、妾(わらわ)は顔をあげた。


「あなたがこのような事態を欲しないことは、あなたをよく知る者なら誰もが存じております。

 あなたの顔を見ることによって、この現象は起きる。しかし決して、殿下のせいではございません。そのことは、お間違えなきよう」


 アーベントロートが、彼にしては感情のこもった強い口調でそう言い立てる。

 ……彼なりに、励ましてくれているのだろうか?


「わかった。だが、婚約がある、またはあった者たちで、この件で関係に問題が起きた者たちについては、できるだけの支援をしてやってくれ」

「御意」


 アーベントロートが胸に手をあて、うやうやしく頭を下げる。


「兎(と)も角(かく)これで、殿下が目隠しをして、公の場に出ることへの反発は減りましょう。たとえ先に目隠しをしていたとして、遅かれ早かれ同様の事態になったはずです」

「……そうだな」


 アーベントロートの言い分は正しい。

 もしも、デビュタンティンの夜会で事前にあの目隠しを妾(わらわ)がつけていたとして、参加した貴族たちは当然困惑しただろうし、皇族が、皇位継承者が顔を見せられないのか、という反発も当然起きただろう。

 そうなれば、外さざるを得ず……。つまり、どうしても一度は、外せば何が起こるかを客観的に、誰もが理解する状況を作らねばならなかったのだ。


 はぁ、と大きく溜(た)め息(いき)をひとつつく。


「まったく、なんと厄介なことか……」


 妾(わらわ)は、この奇妙な目隠しを絶対に人前――一部を除いた男性の前――では外すまい、と改めて心に誓った。

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