求婚状の山
「皇女殿下。アーベントロート宰相閣下が、謁見をお求めです」
「アーベントロートが…? わかった、通せ」
執務机から顔をあげ、マイリンク補佐官に返事する。
無事――とはいえないが、兎にも角にも社交界デビューを果たした妾は、母上たちが父上に代わってこなしてきた政務の一部を頂戴し、仕事を始めていた。
政務に携わるにあたり、妾には、代々皇太子の執務室として使われてきた部屋と、男女両方の補佐官一名ずつを与えられた。マイリンク補佐官が男性で、ヴァルモンド補佐官が女性である。二人とも、新進気鋭の優秀な若手文官であり、とても頼りになる人物だ。
そして、アーベントロートが用意した目隠しのおかげか、マイリンクに異常が生じる様子もない。彼と顔を合わせる前に、目隠しをするようになっていて良かった。
初めてのことばかりで、まだ試行錯誤は続くが、これまで学んだことを活かして実務の携われるのは、楽しい。
ほどなくして、執務室の扉が開き、アーベントロートと彼の補佐官らが入ってきた。なにやら、ティーセットが載りそうな大きい銀盆に、大量の手紙を山と積んで運んでいる者がいる。
アーベントロートは、相変わらず挨拶のひとつもなく、きびきびと机に歩み寄ると、背中に持っていたらしい新聞を妾に差し出した――いや、新聞ではない。タブロイド紙だ。それも、貴族のゴシップを扱う出版社の。
「こちらをご覧ください」
早々に本題をぶつけられるのも妾には慣れたもので、言われるままにソレを広げて眺める。視界の端では、ヴァルモンド補佐官が苦々しい顔をアーベントロートに向けていた。
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――帝都上層に衝撃走る――今世紀最大の夜会として注目を浴びた、皇女アナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒ殿下のデビュタンティン(社交界正式お披露目)にて、前代未聞の『集団狂恋事件』が勃発したことが、宮廷筋の取材により明らかになった。
長らく皇族のご英姿を間近に拝する機会のなかった社交界。ついに明かされた殿下のご尊顔は、『女神か天使かと見まごうほど』『この世の理を揺るがす美貌』とまで称され、多くの若き貴族男性らがその場で理性を失い、狂気的な恋慕に陥ったという。
夜会の中盤、殿下のダンスパートナーの座を巡って、複数の男性が声を荒らげ、やがて殴り合いにまで発展。拳が飛び交い、血が流れ、悲鳴が響いた大広間。その混乱の最中、殿下ご自身が倒れ、後頭部を強打――殿下はその場を退かれる事態に。
皇室広報局は「命に別状なし。後遺症なども確認されていない」と発表。
この“集団狂恋事件”により、喧嘩に加担した複数名の貴族子弟が、皇女に危害を及ぼした罪に問われ、即日拘束・貴族牢に収監。被収監者の中には某名門侯爵家の次男、伯爵家の嫡男など、将来を嘱望された若者の名も並び、社交界に激震が走っている。
事態はそれだけにとどまらない。収監を免れた貴族男性たちも、生家の反対を押し切って殿下への求婚状を次々に送付。現在、皇宮には日ごとに数十通以上の求婚状が届いており、関係筋によれば「職員の手が足りず、読み切れない」とのこと。
さらに、当日出席していた貴族男性のうち、既に婚約者がいた者の一部で婚約破棄、あるいはその危機が発生中。涙する元婚約者たちの声も、我々のもとへ届いている。
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「……『日ごとに数十通以上の求婚状』?」
大げさな誇張はタブロイド紙の常だ、と大半を読み流したものの、気になったその箇所だけを声に出しつつ顔を上げる。
すると、アーベントロートは、銀盆を持った補佐官に目で指示を送った。合図を受けた宰相補佐官は、どっさりと手紙の載った銀盆を、妾の執務机に置く。
盆の上には、こんもりと山のような手紙がうずたかく積まれていた。数は百、いや二百に及ぶだろうか。
「これは…まさか、」
「ああ、お読みいただく必要はありません。殿下のお目を汚す価値は、どの一通にたりともございませんので」
一通手にとろうとした妾に、アーベントロートはすかさずそのように制す。妾は、伸ばしかけた手をぴたりと止めた。
「…妾との結婚を求める、求婚状か?」
「さようです」
「なぜ? 妾には、ユリウスがいるのに」
「さあ。狂人どもの考えなど、臣には分かりかねます。
これらは外信局で処理済みの――無論、一律で却下と回答されたものです。殿下にも、事態のご認識だけはしていただいたほうがよいと考え、こうしてお持ちいたしました。
後ほど、まとめて火にくべておきます」
妾は、手紙の山と、タブロイド紙との間で目線を行ったり来たりさせた。
あの狂乱が、まだこれほどの影響を残しているとは……。
「婚約者のある者たちにまで、悪影響が及んでおるのか」
「諜報部によれば、はい。どうやらそのようです」
「…妾のせいで…?」
おもわず、目線を落としてしまう。
もしも妾だったら。もしも、ユリウスとの関係が突然悪化したら、と思うと、胸が痛む。こんな思いを、なんの罪もない令嬢たちに味わわせているのか……。
「殿下のせいではございません」
アーベントロートの鋭い声が否定し、妾は顔をあげた。
「あなたがこのような事態を欲しないことは、あなたをよく知る者なら誰もが存じております。
あなたの顔を見ることによって、この現象は起きる。しかし決して、殿下のせいではございません。そのことは、お間違えなきよう」
アーベントロートが、彼にしては感情のこもった強い口調でそう言い立てる。
……彼なりに、励ましてくれているのだろうか?
「わかった。だが、婚約がある、またはあった者たちで、この件で関係に問題が起きた者たちについては、できるだけの支援をしてやってくれ」
「御意」
アーベントロートが胸に手をあて、うやうやしく頭を下げる。
「兎も角これで、殿下が目隠しをして、公の場に出ることへの反発は減りましょう。たとえ先に目隠しをしていたとして、遅かれ早かれ同様の事態になったはずです」
「……そうだな」
アーベントロートの言い分は正しい。
もしも、デビュタンティンの夜会で事前にあの目隠しを妾がつけていたとして、参加した貴族たちは当然困惑しただろうし、皇族が、皇位継承者が顔を見せられないのか、という反発も当然起きただろう。
そうなれば、外さざるを得ず……。つまり、どうしても一度は、外せば何が起こるかを客観的に、誰もが理解する状況を作らねばならなかったのだ。
はぁ、と大きく溜め息をひとつつく。
「まったく、なんと厄介なことか……」
妾は、この奇妙な目隠しを絶対に人前――一部を除いた男性の前――では外すまい、と改めて心に誓った。




