尋常ならざる努力と研鑽を
【Side: ユリウス】
アナスタシア様とお話ししたい一心で勉強したおかげか、私の言語能力は、教師役の使用人たちが目をむくほど目まぐるしい速度で成長した。
ようやく、アナスタシア様のお言葉を理解できるようになり、私も、伝えたいことを言葉にしてアナスタシア様に伝えられるようになった。
うれしかった。
ある日の皇宮で、アナスタシア様は私にお尋ねになった。
「剣術をがんばっているそうだな。ヴァイセンドルフ辺境伯は、数多くの武功をおさめた武人で、その訓練は苛烈できびしいと聞く。……つらくはないか?」
剣の訓練はしていた。だが【父上】は、私の訓練をしたことも、見たことすらない。
きっとこのことを、アナスタシア様に明かすべきではない。私は、意識的に笑顔をつくって誤魔化そうとした。
「いいえ。すべてはアナスタシア様にふさわしき夫となるため。そう思えば、よろこびはあれど、つらいなどと思うはずもございません」
これは本心だった。
「なぁ、そなたは何が好きだ? どんな遊びが好き?」
アナスタシア様と一緒でないときに、私は遊んだことがない。アナスタシア様と一緒なら何だって楽しいが、好きな遊びは、ない。
私が好きなのは、アナスタシア様。他には…何もない。
アナスタシア様といつでも一緒に出掛けられて、好きなものや楽しいものを共有できる、アナスタシア様の侍女殿や、ご友人たちがうらやましい。
「アナスタシア様がお好きなものを、私も好きになります」
何もない、よりはマシだと思ったのだが、この回答は彼女の期待に添わなかったようだった。
帰り際に、アナスタシア様がお好きな恋愛小説なるものを貸していただいた。
アナスタシア様をお待たせしないよう、揺れる馬車の中で無理やり読む。
速読して、おおまかに内容は理解できた。
なにが面白いのかは、まったく分からなかった。
私が空っぽな人間だから、この小説の良さを理解できないのかもしれない。
『とても面白かったです』とウソを書いて、それらしい読書感想を言及し、感謝を書き綴った手紙を、帰還途中の宿場町から本と共に送った。
文通では、いつもアナスタシア様をお待たせしてしまっていたから、とにかく急いで返事を差し上げたかった。
***
あるとき、アナスタシア様をお訪ねすると、約束の時間より少し早かったため、彼女は皇宮図書館で読書中だと言われた。
早く彼女に会いたくて、それに、アナスタシア様が読書に集中される姿を拝見したくて、私は、対応に来た皇宮使用人たちに図書館への案内を頼んだ。
図書館には人がそれなりに居たが、静かだった。
静かに調べ物か何かに励む文官らに混ざって、侍女を連れたアナスタシア様が、長机の席のひとつに座って、熱心に本を読んでいる。
いや、何かを探しているように見えた。白い手袋をはめて、真剣な眼差しを本のページに向けながら、彼女は、猛スピードでページを次々にめくっている。
離れたところから、時間まで黙って見ているつもりだった。しかし、アナスタシア様の手が本の巻末にたどり着き、近くに積んでいた次の本に手を伸ばそうと目をあげたとき、彼女に見つかってしまった。
笑顔で手招きされ、私は、いたずらを見つけられてしまったような気恥ずかしさを感じながら、彼女のもとに向かった。
隣に座るように促され、隣の席に腰を下ろす。
「はやいな」
「すみません。早くアナスタシア様にお会いしたくて、来てしまいました」
「そうか、ふふっ。あとこの一冊だけ読むから、少し待っていてくれ」
小声でそう会話し、私は頷いて応じた。
アナスタシア様が開こうとしている本には、それなりに厚みがあった。判じたいが大きいうえ、百科事典くらいの厚みがある。
タイトルを読もうとしたが、単語が難しくて理解できなかった。一体、なにについての本だろう。
本を開くと、アナスタシア様はまた、猛スピードでページをめくりはじめた。彼女の目は、すばやく全面を走査するように走り、小刻みに素早く動いている。
やはり、読んでいるというよりかは、なにか調べ物をするために目当てのキーワードを探しているように見える。
私が困惑していると、気配で伝わったのか、アナスタシア様は手を止め、私に声をかけてくれた。
「妾は、人よりも少しだけ、本を読むのが早いらしいのだ」
……少し?
おもわず、アナスタシア様づきの侍女殿に目を向ける。彼女は、私の困惑に同意するように頷いて応じた。
ぱっぱっぱっぱっ、とでも言い表すべき速度でアナスタシア様はページをめくる。
やがて、こんなに厚みのある、びっしりと文章の入った本の読了までとは到底思えない短時間で、アナスタシア様の手は巻末に辿り着いた。
「よし」
満足した、とばかりにアナスタシア様は本を閉じ、司書を呼んで、何冊も積み上げられた本の片付けを命じる。
「待たせたな。今日は何して遊ぶ?」
子供らしい、あどけない笑顔を浮かべ、アナスタシア様は私に尋ねた。
アナスタシア様の隣に相応しくあるために、私は本当に、本気で、尋常ならざる努力と研鑽を積まねばならないのだ。
そう、このときの私は焦り、冷や汗をかいた。




