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妾の顔を見た男は、みな狂う。ただ一人、婚約者を除いて  作者: 佐藤みさき
第一章 目隠し皇女のアナスタシア

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本当に?

 自室に戻り、姿見の前に立ってみる。

 顔の上半分を黒布に覆われた娘が、こちらを見返していた。これでは、妾(わらわ)の顔が分からぬ。

 次期皇帝の顔が誰にも分からぬというのは、それはそれで大問題な気がするのだが。


 まあいい。それより、だ。

 妾(わらわ)は、指先で目隠しの縁をなぞりながら、ユリウスのことを考えていた。


***


 妾(わらわ)がユリウスと初めて会ったのは、互いに6つの時である。

 魔導通信網(マギネート)を通じて送られた幻影肖像を見て、妾(わらわ)ははじめて『見目うるわしい男子』のなんたるかを知ったと思う。

 インクをひとしずく水に落としたような濃く深い青灰の黒髪と、乾いた森に沈む陽光のような琥(こ)珀(はく)色(いろ)の瞳と、朝霧の中に立つ彫像のような白い肌。

 謁(えっ)見(けん)の間にやってきた彼は、幻影肖像そのままの姿で、しかしどこか緊張した面持ちで、落ち着かなさげにソワソワとしていた。

 妾(わらわ)と視線が交わった瞬間、彼は目をまんまるに見開き、口を半開きにして、そのまま凍りついてしまった。緊張が限界を超えてしまったのだろう。妾(わらわ)も、儀礼式典に慣れぬうちはそうだった。無理もない。


 妾(わらわ)は玉座の隣席から飛び降り、彼の眼前に駆け寄った。はやくこの者と遊びたかったのだ。


「わらわの名は、アナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒ。皇帝マクシミリアンが一の皇女、……である。おあいできて、いや、あえてうれしい……く、思う。ユリウス、……どの」


 まちがえた。かんだ。恥ずかしい。

 だが動揺はしない。間違いは誰にでもある――それが妾(わらわ)の経験則だった。


「ぁ、……ぼく、いや、わたし、……も、うれし、うれしく、……ぅ……」


 ユリウスの顔がみるみる紅潮し、耳まで真っ赤に染まる。

 なんであろう、妾(わらわ)よりかみっかみで動揺する彼をみていると、心があたたかくなった。

 よいよい。わかるぞ、妾(わらわ)もよくそうなったものだ。こればかりは、場数を踏むしかない。


 それに、妾(わらわ)が今ほしいのは、正確なマナーではないのだ。


「ユリウス、おそとで一緒にあそぼう!」


***


「ウマすき? この子、リュシエール! わらわのウマ! 6才のおたんじょうびに父上からいただいたの、白くてキレイでしょ?」

「はい」

「ここ、バラ庭園! 迷路になっている! ここで鬼ごっこすると楽しいぞ。鬼ごっこはすき?」

「はい」

「おなかがすいたな。おやつ食べる? わらわザッハトルテが食べたい。ザッハトルテすき?」

「はい」


 こんな調子で、ユリウスは何を聞いても「はい」としか答えないものだから、妾(わらわ)は彼の気持ちがよく分からなかった。


 バルコニーに用意されたザッハトルテを、妾(わらわ)は幸せな気持ちで頬(ほお)張(ば)った。

 ユリウスも気に入ってくれただろうかと見ると、彼は、紅茶にもザッハトルテにも手をつけていなかった。読めない表情のまま、妾(わらわ)をじっと見つめている。


 ……空腹ではなかったのだろうか? それとも、本当はザッハトルテがきらいだった?


「ユリウス、」


 妾(わらわ)は、気になっていたことを尋ねることにした。


「わらわたち、大人になったらけっこんするらしい。わらわがおよめさんになるのって、どう思う?」

「え、……」


 ユリウスはそのまま絶句した。彼にはまだ知らされていなかったらしい。


「それ、は……」


 ぐるぐると目をあちこちに泳がせ、言葉を選ぶように逡(しゅん)巡(じゅん)して、彼は言った。


「……たいへん、うれし、光栄に、ぞんじます……」


 そうして、目をふせた。


 本当に?


 妾(わらわ)には、ユリウスの考えが分からなかった。思えば、彼の立場ではそう言うしかないのかもしれない。

 これは、せいりゃくけっこん、というやつなのだ。メイドたちが話しているのを盗み聞いたことがあった。

 たとえイヤだったとしても、皇女である妾(わらわ)が望むのであれば、臣下の家の出であるユリウスは従うしかないのだ。


 妾(わらわ)はそれ以上質問するのをやめ、ザッハトルテを頬(ほお)張(ば)ることに集中した。

 なんだか、味気なくなった気がした。


***


 それから10年。

 帝都から魔導馬車でも片道5日の距離にあるヴァイセンドルフ領で暮らす彼とは、そうしょっちゅう会うことはできなかった。

 その間、妾(わらわ)は手紙を送りつづけた。日々の出来事を分かち合い、互いへの理解を深めるために。少なくとも、妾(わらわ)はそうしようとした。

 妾(わらわ)が送りすぎるせいか、返事がくるのは5通に一度ほどだった。


 あるとき妾(わらわ)は、彼に一冊の本を貸した。侍女に教えてもらった恋愛小説で、劇にもなっている、市井で人気の作品だった。


「アナスタシア様がお好きなものを、私も好きになります」


 彼はそう言って微(ほほ)笑(え)み、本を受け取っていった。

 それから10日もたたないうちに、本は送り返されてきた。短い手紙とともに。


『とても面白かったです』


 ……本当に?


 証拠もなく疑うのはよくないとは思う。だが、妾(わらわ)は考えてしまった。

 彼が帰るのに5日。送り返された本が皇宮に届くのに5日。つまりユリウスは、自宅に着く前に、この本を送り返してきたのだ。

 馬車移動はヒマであろうし、移動しながら読破したのだろう。しかし何だか、本を楽しんだというより、さっさと片付けてしまわれたように感じた。


 ユリウスは、妾(わらわ)と心を通わせるつもりがないのかもしれない。

 うすうす気づいていたことだが、あらためて認識すると、もの悲しい気持ちになった。しかし、それならそれで、仕方ない。

 ユリウスとの結婚は妾(わらわ)の即位にあたって必要なものだし、彼自身も誠実な努力家だ。たとえ心を通わせるつもりはなくとも、この政略結婚を成功させたいという一点において、我々の意見は一致しているはず。

 それで十分、と割り切るしかない。


 愛なき政略結婚で結ばれた夫婦は、互いに愛人をもつことが多いという。ユリウスもいずれ、妾(わらわ)と結婚したうえで、愛する人を他に持つのかもしれない。

 もしそうなったとしても、彼が皇配をきちんと担ってくれる限り、妾(わらわ)は許そう。許さねばなるまい。

 そんな光景を想像するだけで、妾(わらわ)の胸はシクシクと痛んだ。


***


「彼も……妾(わらわ)を、好きになってくれたらいいのにな」


 姿見の前で、妾(わらわ)はぽつりとこぼした。

 ぽろぽろとあふれてきた涙が、頬(ほお)をつたう前に、黒い布地に吸い込まれていく。


 ……なるほど。これは、思ったより便利な代物かもしれん。

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