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妾の顔を見た男は、みな狂う。ただ一人、婚約者を除いて  作者: 佐藤みさき
第一章 目隠し皇女のアナスタシア

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謎の目隠し

「侍女殿らは退室させてください」


 挨拶もなしに、その男は開口一番そう言った。


 彼は、帝国宰相ヴォルフラム・ヨアヒム・フォン・アーベントロート。

 床から天井まである大窓から差し込む日光の中に立っていながら、彼のいる場所だけ黒く塗りつぶしたかのように暗い。長身痩(そう)躯(く)の人影と、対照的にギラギラと光る鋭い灰色の眼光が特徴的な男だ。


 見慣れた妾(わらわ)はなんとも思わぬが、付き添ってきたレオノーラとユリエッタは、いまだに小さく息を呑(の)む。そなたらも流石(さすが)に、そろそろ慣れてくれてもいいと思うのだが。


「なにを……!」

「まあ、待て」


 妾(わらわ)は手を上げ、レオノーラの不満を制した。


「内密の話があるのであろうよ。妾(わらわ)のために、席を外してくれるか?」

「……ッ……承知、いたしました。ですが、扉のすぐ傍(そば)で待機しています」


 二人が後ろ髪をひかれる様子で出て行き、扉が閉まる。

 妾(わらわ)はソファに腰掛け、アーベントロートにも向かいに座るよう促した。


「それで?」


 軽く顎をあげつつ尋ねると、アーベントロートは首を左右に振った。


「先日の殿下の生誕祭にて暴れた者どもからは、既知の薬物が使われた形跡、および、洗脳魔法の類いが使用された痕跡は見られませんでした」

「むう……そうか。厄介だな」


 妾(わらわ)は、口元に指を当てつつ、小首をかしげた。


「未知の薬品、あるいは魔法の可能性があるわけか」

「その可能性もございますね」

「そなたは違うと?」

「違う、とまでは申しません。ですが、なんらかの反体制勢力が仕掛けたもの、という殿下のお考えは、可能性が低いと見ています」

「ほう? ならば、なんだというのだ」


 そう尋ねると、アーベントロートは、ローテーブルの上に置いてあった小箱に手を伸ばし、妾(わらわ)の側に押して寄(よ)越(こ)した。


「……これは?」

「まずは、お開けください」


 言われるままに蓋(ふた)を持ち上げる。

 中には、黒い布でできた、額から頬(ほお)骨(ぼね)までを覆う、飾り気のない目隠しが入っていた。目の穴すら開いていない。


「……なんだ、これは」

「それをお着けください」

「なぜ?」

「着けていただけましたら、説明いたします」


 怪訝(けげん)に思いつつも、まあこやつがそう言うならばと、妾(わらわ)は謎の目隠しを顔につけてみた。


 表から見たときは視界が遮られるように思ったが、実際つけてみると、意外にも布の隙間が多く、向こう側がよく見える。さらに、魔導具でもあるらしく、後頭部で留め具を合わせて完全に装着すると、糸が透過し、視界をまったく遮らなくなった。

 通気をよくする術も入っているようで、まるで着けていないかのような装着感である。


「視界はいかがです」

「良好だ。表からは目隠しのように見えたのに、裏からは周りがよく見える」

「ようございました。殿下には今後、お父上かアーデルシュタイン侯以外の男性が同席する場において、それを欠かさず装着していただきたい」

「は?」


 予想だにしないことを言われ、妾(わらわ)は困惑した。

 こんなものを身につけていては、妾(わらわ)の顔が、周囲の者に全く分からないではないか。


「なんの冗談だ?」

「残念ながら、冗談ではございません。殿下」


 この男が冗談を言うところなど、妾(わらわ)は一度も見たことがない。

 背筋が、うすら寒くなった。


「……どういうことだ」


 アーベントロートは、ようやく説明を始めた。


「まず、一昨日のような出来事は、初めてのことではございません。殿下の周囲に居た男たち――護衛騎士や文官、皇宮使用人などになりますが――歳(とし)の頃が殿下に近しい者ほど多く、夜会で暴れた者たちと同様の狂乱に陥った事例が多々ありました」

「なんだと……?」

「彼らにつきましては、殿下のお目につくまえに対処可能でした。原因不明とはいえ、殿下の周囲に男性を置かぬよう、采配することは容易でしたので」


 言われて、気づく。

 いつのころからか、そういえば、護衛騎士にしろ文官にしろ使用人にしろ、一切の男性を見かけなくなっていた。騎士は女性に、官(かん)吏(り)は女官のみに。男である執事や従僕とも、会わなくなっていた。

 ともに庭を駆け回っていた庭師の男児たちなども、とんと見かけなくなった。妾(わらわ)はそれを、家庭教師の授業や自習や茶会が増えて、遊べる時間が減ったせいだと思っていたのだ。

 父上とユリウスを除けば、枢密会議の大臣や長官――中でもこの男くらいとしか、直接会話することがなくなっていた気がする。


「……気づかなかった」

「まあ、知らずともよろしいことです」


 アーベントロートは、どうでも良いとばかりにしれっと言い放つ。そして、報告を続けた。


「狂乱に陥った者たちを調査したところ、共通点として『殿下の美貌を褒(ほ)め称(たた)えて熱狂していること』『殿下のお顔を直接見たことがあること』があると分かりました。

 一方で、幻像や絵画を介した場合、どれほど鮮明にお顔が判別できる状態であっても、同様の狂気は現れませんでした」


 妾(わらわ)は、目隠しを撫(な)でた。視界は遮られておらず、布越しに触れる手のひらがよく見える。

 鏡がないので分からないが、表から見れば、妾(わらわ)の顔の上半分はすっかり覆い隠されているのだろう。


「以上のことから、こう仮定いたしました――殿下の顔を直接視認した男性は、狂気に呑(の)まれうる、と」


 しん、と《静(せい)謐(ひつ)の間》が静まりかえる。


「……はは。なんだそれは。そんなわけがあるか」

「お認めになられたくない気持ちは、理解いたします」

「そんな……、そう、それにだ。おかしいではないか。ユリウスは、彼は狂っておらぬぞ」


 妾(わらわ)の顔なら、ユリウスは何度も見ている。幼い頃から、それこそ数え切れぬほど。一昨日の夜とて、目の前で見ていたはずだ。

 なのに彼は、狂うどころか、妾(わらわ)を抱えて医務室まで走ってくれた。


 アーベントロートは、しばし黙った。


「……そうですな」

「だろう?」

「だとしても、例外が一名いるだけのことです」


 ぴしゃりと切って捨てられた。まあ、そうか。


 ユリウスは幼(おさな)馴(な)染(じ)みだ。妾(わらわ)の顔など見飽きておろうし、そもそもあやつは、昔から妾(わらわ)に対して過剰なくらい誠実な男である。狂う道理がない。

 妾(わらわ)はそう結論づけて、それ以上考えるのをやめた。


 辞して部屋を出ようとしたとき、背中に声がかかった。


「殿下」

「うん?」

「アーデルシュタイン侯につきましては、こちらでも調べております」

「ユリウスをか? 彼の何を調べる?」

「なぜ彼が例外であるのか、を。…念のため」

「ふうん…? わかった」


 呼びかけられて振り返ったが、アーベントロートは窓のほうを向いていて、その表情は見えなかった。

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