謎の目隠し
「侍女殿らは退室させてください」
挨拶もなしに、その男は開口一番そう言った。
彼は、帝国宰相ヴォルフラム・ヨアヒム・フォン・アーベントロート。
床から天井まである大窓から差し込む日光の中に立っていながら、彼のいる場所だけ黒く塗りつぶしたかのように暗い。長身痩躯の人影と、対照的にギラギラと光る鋭い灰色の眼光が特徴的な男だ。
見慣れた妾はなんとも思わぬが、付き添ってきたレオノーラとユリエッタは、いまだに小さく息を呑む。そなたらも流石に、そろそろ慣れてくれてもいいと思うのだが。
「なにを……!」
「まあ、待て」
妾は手を上げ、レオノーラの不満を制した。
「内密の話があるのであろうよ。妾のために、席を外してくれるか?」
「……ッ……承知、いたしました。ですが、扉のすぐ傍で待機しています」
二人が後ろ髪をひかれる様子で出て行き、扉が閉まる。
妾はソファに腰掛け、アーベントロートにも向かいに座るよう促した。
「それで?」
軽く顎をあげつつ尋ねると、アーベントロートは首を左右に振った。
「先日の殿下の生誕祭にて暴れた者どもからは、既知の薬物が使われた形跡、および、洗脳魔法の類いが使用された痕跡は見られませんでした」
「むう……そうか。厄介だな」
妾は、口元に指を当てつつ、小首をかしげた。
「未知の薬品、あるいは魔法の可能性があるわけか」
「その可能性もございますね」
「そなたは違うと?」
「違う、とまでは申しません。ですが、なんらかの反体制勢力が仕掛けたもの、という殿下のお考えは、可能性が低いと見ています」
「ほう? ならば、なんだというのだ」
そう尋ねると、アーベントロートは、ローテーブルの上に置いてあった小箱に手を伸ばし、妾の側に押して寄越した。
「……これは?」
「まずは、お開けください」
言われるままに蓋を持ち上げる。
中には、黒い布でできた、額から頬骨までを覆う、飾り気のない目隠しが入っていた。目の穴すら開いていない。
「……なんだ、これは」
「それをお着けください」
「なぜ?」
「着けていただけましたら、説明いたします」
怪訝に思いつつも、まあこやつがそう言うならばと、妾は謎の目隠しを顔につけてみた。
表から見たときは視界が遮られるように思ったが、実際つけてみると、意外にも布の隙間が多く、向こう側がよく見える。さらに、魔導具でもあるらしく、後頭部で留め具を合わせて完全に装着すると、糸が透過し、視界をまったく遮らなくなった。
通気をよくする術も入っているようで、まるで着けていないかのような装着感である。
「視界はいかがです」
「良好だ。表からは目隠しのように見えたのに、裏からは周りがよく見える」
「ようございました。殿下には今後、お父上かアーデルシュタイン侯以外の男性が同席する場において、それを欠かさず装着していただきたい」
「は?」
予想だにしないことを言われ、妾は困惑した。
こんなものを身につけていては、妾の顔が、周囲の者に全く分からないではないか。
「なんの冗談だ?」
「残念ながら、冗談ではございません。殿下」
この男が冗談を言うところなど、妾は一度も見たことがない。
背筋が、うすら寒くなった。
「……どういうことだ」
アーベントロートは、ようやく説明を始めた。
「まず、一昨日のような出来事は、初めてのことではございません。殿下の周囲に居た男たち――護衛騎士や文官、皇宮使用人などになりますが――歳の頃が殿下に近しい者ほど多く、夜会で暴れた者たちと同様の狂乱に陥った事例が多々ありました」
「なんだと……?」
「彼らにつきましては、殿下のお目につくまえに対処可能でした。原因不明とはいえ、殿下の周囲に男性を置かぬよう、采配することは容易でしたので」
言われて、気づく。
いつのころからか、そういえば、護衛騎士にしろ文官にしろ使用人にしろ、一切の男性を見かけなくなっていた。騎士は女性に、官吏は女官のみに。男である執事や従僕とも、会わなくなっていた。
ともに庭を駆け回っていた庭師の男児たちなども、とんと見かけなくなった。妾はそれを、家庭教師の授業や自習や茶会が増えて、遊べる時間が減ったせいだと思っていたのだ。
父上とユリウスを除けば、枢密会議の大臣や長官――中でもこの男くらいとしか、直接会話することがなくなっていた気がする。
「……気づかなかった」
「まあ、知らずともよろしいことです」
アーベントロートは、どうでも良いとばかりにしれっと言い放つ。そして、報告を続けた。
「狂乱に陥った者たちを調査したところ、共通点として『殿下の美貌を褒め称えて熱狂していること』『殿下のお顔を直接見たことがあること』があると分かりました。
一方で、幻像や絵画を介した場合、どれほど鮮明にお顔が判別できる状態であっても、同様の狂気は現れませんでした」
妾は、目隠しを撫でた。視界は遮られておらず、布越しに触れる手のひらがよく見える。
鏡がないので分からないが、表から見れば、妾の顔の上半分はすっかり覆い隠されているのだろう。
「以上のことから、こう仮定いたしました――殿下の顔を直接視認した男性は、狂気に呑まれうる、と」
しん、と《静謐の間》が静まりかえる。
「……はは。なんだそれは。そんなわけがあるか」
「お認めになられたくない気持ちは、理解いたします」
「そんな……、そう、それにだ。おかしいではないか。ユリウスは、彼は狂っておらぬぞ」
妾の顔なら、ユリウスは何度も見ている。幼い頃から、それこそ数え切れぬほど。一昨日の夜とて、目の前で見ていたはずだ。
なのに彼は、狂うどころか、妾を抱えて医務室まで走ってくれた。
アーベントロートは、しばし黙った。
「……そうですな」
「だろう?」
「だとしても、例外が一名いるだけのことです」
ぴしゃりと切って捨てられた。まあ、そうか。
ユリウスは幼馴染みだ。妾の顔など見飽きておろうし、そもそもあやつは、昔から妾に対して過剰なくらい誠実な男である。狂う道理がない。
妾はそう結論づけて、それ以上考えるのをやめた。
辞して部屋を出ようとしたとき、背中に声がかかった。
「殿下」
「うん?」
「アーデルシュタイン侯につきましては、こちらでも調べております」
「ユリウスをか? 彼の何を調べる?」
「なぜ彼が例外であるのか、を。…念のため」
「ふうん…? わかった」
呼びかけられて振り返ったが、アーベントロートは窓のほうを向いていて、その表情は見えなかった。




