悲報、妾、やらかす
本作品は自作「目隠し皇女は、許嫁の愛が重すぎることにまだ気づいていない。アナスタシア皇女伝」 (n8004kr) のリライト版です。
悲報、妾、やらかす。
そんな流行り言葉で現実逃避を試みたところで、目の前の光景はなにひとつ変わらなかった。
磨き上げられた白大理石の床の上で、めかしこんだ貴族の令息どもが、顔を真っ赤にして殴り合っている。
「きさま、よくも!」
「おまえこそどけぇ! 殿下と踊るのはおれだっ!」
「なんだと!」
ここは《暁光の間》。皇宮で最も格式たかき大広間であり、歴代皇族の戴冠式も結婚式もここで執り行われてきた、帝国の威厳そのもののような場所である。
その床の上で今、燕尾服の男どもが、胸ぐらをつかみあって転げ回っていた。
なんだ、これは。これが――貴族だと? ありえない。まるで――そう、音に聞く、貧困層の哀れなゴロツキのようではないか。
なにかが、おかしい。
***
我が名はアナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒ。グランツェルリヒ帝国第26代皇帝マクシミリアンが唯一の子にして、次期皇帝を継ぐ正統の皇女である。
そして本日、16歳の誕生日をもって、社交界にお披露目されたばかりの新人でもある。
――その、新人の門出を飾る夜会が、これだ。
事の起こりは、ダンスであった。
妾の婚約者とのファーストダンスを終えたあと、初対面の令息たちが、我先にと妾を誘いにきたのである。
令嬢に比べ、令息らはロマンスよりも実益を求める傾向があるという。妾とのつながりは即ち皇室とのつながり。ましてや妾は現在の筆頭皇位継承者だ。まあ、そういうことであろうと理解していた。
誘われれば断りづらく、妾は律儀に踊った。踊った。踊った。踊っ――いや、きっっっつ。
なにせこのドレスは重い。皇室に代々受け継がれてきた由緒正しき逸品だが、スカートを膨らませるために最高級の生地をふんだんに使っており、鍛錬用の重しかと疑うほどの重量がある。大おば上様、よくこれで一晩を乗り切られたな。
半分にも満たぬところで、妾は白旗を上げた。
「今宵はこれまで。妾は疲れた。後は、他のデビュタンティンと楽しむように」
当然、まだ踊れていない者たちから不満の声があがる。ここまでは想定内だ。
想定外だったのは、その声が、みるみるうちに獣じみていったことである。
「そんな!」「どうか、あと1曲だけ!」「ええい散れ、格下ども!」「皇女殿下、どうか私と」「いや私めと」「私と!」「おい、押すな!」
ギラギラと目を光らせた男たちが、手を伸ばしながら妾に迫る。後ろに下がろうにも、背後にも人垣ができていた。
いささか不敬が過ぎるのではないか、と眉を寄せたところで、妾が声をあげるのと、事件が勃発するのとは、ほぼ同時であった。
「――衛兵!」
「どけぇ!!」
怒号とともに、男の一人が別の男を突き飛ばす。その勢いに巻き込まれ、数名が弾かれる。
そして、周囲は一気に混戦状態へと陥った。
***
――そして、冒頭に戻る。
「皆様がた! 殿下からお離れください!」
騎士たちの声が響くが、彼らの乱闘は止まらない。
ふいに、一人が妾に向かって勢いよく突き飛ばされた。
「うわっ!」
ぶつかられ、身体が後ろに傾く。
受け身――くっコルセットが邪魔だ! 魔法――魔導具を身につけていない! せめて、ブレスレットだけでも着けてきておけば……!
後悔先に立たず、であった。
妾はなすすべなく後ろに倒れ込み、そして――ゴツン! と、柱に勢いよく頭蓋骨がぶつかる音が響いた。
意識が、一瞬とぶ。
「いったあぁ!!」
痛みに涙がにじむのを感じつつ、妾は悲鳴をあげた。その場に崩れ落ち、後頭部を押さえて踞る。
「っ!! 彼らを捕らえろ! 殿下を救出せよ!」
高位貴族を前に対処を迷っていた護衛たちが、その命令でようやく動いた。
暁光の間は、あっというまに阿鼻叫喚の巷と化す。妾を見ていた女官たちが悲鳴をあげ、令嬢や夫人たちもそれに続いた。
「はなせ! おれをどこの家の者と心得る!」「ええい、離さんか!」「姫ーーっ!!」「やめろーっ! 私は殿下と踊りたてまつるのだー!」
一人また一人と引き剥がされながらも、男たちは、まだそのようなことを叫んでいる。
やはり、なにか様子がおかしい。
そして、頭が痛い。ずきずき、じんじんと痛む。相当強く打ったのかもしれない。
まったく、本当にどうして、こんなことに……。
「アナスタシア様っ!!」
聞き馴染んだ声が響き、足音がして、駆け寄ってくる気配があった。
直後、この重い重いドレスごと、ふわりと身体が優しく持ち上げられる。
暖かく力強い胸に、妾は縋るように抱きつき、彼の首に手を回した。
「うう……ユリウス、頭を打った……」
「すぐに医務室へお連れします」
「頼む……」
我が婚約者、アーデルシュタイン侯ユリウス・カスパール・フォン・ヴァイセンドルフ。幼き頃に定められた許婚である。
「痛い……いたいよ、ユリウス……」
なぜだか、ひどく気が弱ってしまって、人目もはばからず声を震わせ、そのように泣き言を吐いてしまう。
「すぐです、アナスタシア様。すぐに医者に診させます。いましばらく、ご辛抱ください……!」
ユリウスの、妾を抱く力が強くなった。
***
診察の結果は、緊急を要する状態ではない、とのことであった。
念のため24時間の安静を言い渡され、妾は、ユリウスに部屋まで運んでもらうこととなった。
彼のあとから、侍女たちとメイドたちが、なにか嬉しそうな笑みを浮かべてついてくる。
「アナスタシア様」
「うん?」
「一言、お命じくだされば……こたびの一件でアナスタシア様を傷つけた連中を、一人残らず始末して、奴らの首を盆に並べて献上いたします」
にこり、と笑顔を浮かべながらユリウスが言う。
ずいぶんと物騒な冗談を言う、と思いつつ、妾はくすくす笑った。
なぜだか、背後の侍女たちやメイドや女官らの空気が、ひんやりと凍った気がする。
「ははっ! 妾はサロメではないぞ。それに、もしも極刑となれば、そなたが手を汚すまでもあるまいよ。いささか気がかりな点もあるのだ、調べがつくまでは生かしておいてくれ」
「さようでございますか……。アナスタシア様のおおせのままに」
ユリウスは、残念そうに目を伏せた。
そうして妾は部屋まで運ばれ、重いドレスもコルセットもアクセサリーも取り外され、湯につかり、ゆったりとしたネグリジェをまとって寝台に入った。
枕に頭を沈めながら、ふと、思い返す。
……冗談だよな?
誰に問いかけるでもなく、妾はしばし、思いを巡らせた。




