またくるよな?
【Side: ユリウス】
私は【父上】とは別に、侍従用の馬車に世話係と共に乗せられ、生まれて初めてヴァイセンドルフの家と領から出た。流れていく景色は初めて見るものばかりで、じっと車窓の外を眺めていた。
皇宮という未知の場所に連れて行かれ、皇室の人々という未知の存在に会うらしいことに、不安はあった。それでも、本邸の使用人たちが言うには「名誉なこと」――つまり、いいことであるそうなので、それほど心配していなかった。
それよりも、帝都のタウンハウスに着くまでは【父上】と関わらなくて良いが、皇宮に登城する際、最低限《謁見の間》だけは【父上】と二人で入らなければならない、ということが一番心配だった。
【父上】は可能なかぎり私と関わりたくない様子だったし、それは私とて同じである。
【父上】は、少なくとも私から見て、よくわからない理由でしょっちゅう癇癪を起こす危険な存在だった。なにがそこまで不満だったのか、成長した今でも分からない。しいていえば、私の存在そのものが気に食わなかったのだろう。
せめて侍従がついてきてくれれば、彼を宥めてくれるので安心なのだが。
そんな不安を抱えたまま、タウンハウスに到着後、一晩の休息をとったのち、皇宮に登城した。今度は【父上】と同じ馬車に乗せられてしまい、生きた心地がしなかったのを覚えている。一言もしゃべらず、微動だにせず、ただただ早く時間が過ぎることを願っていた。
《謁見の間》の前で侍従と別れ、【父上】に手を引かれて入る。真っ赤な絨毯を見つめ、【父上】の歩幅に合わせて早足になりつつ、引きずられるようにして、無人の玉座前に辿り着く。
教わった通り、跪いて頭を垂れ、皇后陛下と皇女殿下のご入来を待つ。皇后陛下と思しき大人の女性の声が、【父上】と挨拶を交わす。頭を上げる許しが聞こえ、私は目線を上げた。
そこには、天使が座っていた。
皇后陛下の隣、少し小さな椅子に腰掛けた少女は、人とは思えないほど美しく、神々しい存在だった。荘厳な《謁見の間》に差す光を受け、きらきらと光り輝く黄金の髪を揺らし、どこまでも深い湖のように青い瞳で、楽しげに私を見つめている。
時が止まったように、私の思考は停止した。
彼女が、ふわりと椅子から舞い降り、私の前でドレスの裾をつまみ、優雅に一礼する。背中に白い翼が生えていないことに気づき、どうして羽根がないのだろうと不思議に思った。
彼女が口を開き、言葉をつむぐ。鈴が転がるような、美しい声が響いた。
【父上】に促され、私はようやく挨拶を受けたことに気づき、あわてて挨拶を返そうとした。練習したのに、とてもひどいものになってしまい、私は羞恥心で顔が熱くなる感覚を覚えた。【父上】を逆上させるかもしれない、という不安も同時にこみ上げる。
しかし、彼が怒り出す前に、天使が私を連れ出してくれた。
***
天使は、庭園を案内してくれた。白い馬や赤い花を指さし、私に何事かを教えてくれる。
言葉じたいが覚え始めであることに加え、天使の美しさに気を取られるあまり、彼女の言葉をほとんど理解できなかった。ただ、屋敷で教わった通り「はい」とだけ答えた。
しばらく過ごしたのち、彼女と共に庭のテーブルに着くよう促された。お茶と、黒い食べ物――とても甘い匂いがするので多分お菓子が、皇宮のメイドたちによって準備される。
おいしそうな匂いを嗅いで、私は空腹を感じた。だが、【父上】にきつく言われた通り、一切手をつけずにいた。さきほどの私の失敗で既に腹を立てているだろうし、今以上に彼が怒る理由をつくりたくない。
天使が、きれいな所作でお菓子にナイフを入れ、ぱくりと食べた。彼女は、光り輝くような笑顔をうかべ、お菓子のおいしさを楽しんでいた。
出されたお菓子をあげるのは失礼だろうか、と考えた。こんなに喜んでくれるなら、私に出されたものも彼女に食べてほしい。
悩んでいると、彼女が話しかけてきた。彼女の美貌にようやく頭が慣れてきたのか、彼女の言わんとすることを理解できるようになってきていた。
『けっこん』『およめさん』……。
私は驚愕した。こんなにも美しい天使が、私と結婚する?
私は、つたない言葉で「大変光栄に存じます」と応じた。
***
【父上】と合流し、タウンハウスに帰る時間になったとき、天使――美しき皇女殿下、アナスタシア様は、かなしそうな顔で見送りに来てくれた。
「ユリウス、またくるよな? ぜったい、またきてね」
頷きたかったが、私がまたここに来られるかを決めるのは【父上】だ。彼の方を見上げると、【父上】はむすっとした様子で黙っていた。しかし、思っていたより怒っていなかった。
私は、教わった通り「はい」とアナスタシア様に答えた。何を言われてもそう応じておけと、ヴァイセンドルフの屋敷で教わっていた。ブンブンと腕を大きく振る彼女に、私も小さく手を振り返す。
帰りの馬車でまた【父上】と一緒になり、きっと怒られると思っていたのだが、意外にも彼は静かなままだった。
そうして何事もなく、私たちは見合いを終えて領に帰還した。
私とアナスタシア様が正式に許婚となったことは、領に着いてすぐに届いた手紙で通達された。




