魔法暴走
言い切る前に、ユリウスが急に立ち上がった。勢いで椅子が後ろに倒され、ガタンと音を立てる。
直後、ユリウスが力強くテーブルに両手を打ち下ろした。ダァン! と天板が大きな音を立て、衝撃で茶菓子も皿もティーカップも吹き飛び、ぐちゃぐちゃに倒れ、いくつか床に落ちる。
「わっ!」
妾はおどろき、飛び退くように同じく立った。壁際に立つ騎士や使用人たちの動揺が聞こえる。だが、対応に困り、妾の命令を待っていた。
テーブルに両手をついたユリウスは、顔を下に向けていた。黒に近い青灰色の髪が流れてかかっている。その表情は、今の位置では見えない。
「……どうして……」
衝動的な行動に反し、ユリウスの声は静かなままだった。
「……私は、……私、だって……」
「ユリウス……」
妾は、ユリウスの肩に触れようと歩み寄った。どうにか、落ち着かせたかった。そのときだった。
ユリウスが、両手で顔を覆い、よろり、と後ろに一歩、二歩と下がる。
「ああ、……あぁあ、ああああぁあああぁああーーーー!!」
聞いたことのない金切り声をあげ、ユリウスが叫んだ。それと同時に、正面から突風が飛んでくる。
パキン! と、防御結界魔法の自動展開音が響いた。
「わああっ!」
「キャアア!」「うわああーー!」
おどろいた妾の声とともに、部屋にいる人間たちの悲鳴が響き渡る。
パリィィン!! と、壁一面のガラス窓とステンドグラスが割れて吹き飛ばされる轟音、それに、室内で重い物がぶつかったり倒れたりする音もつづく。
防御結界ごしに届いた風――とっさに閉じた目を恐る恐る開いてみると、実際には食器もテーブルも一切合切ふきとばす程の強風を弱めたもの――は、真冬の風よりも冷たかった。
みるみるうちに、残っていた薔薇の鉢や、壁に追いやられたテーブルや、床のカーペットが、白い粉――雪に覆われていく。
吹雪は、ユリウスを中心として、彼の四方八方に吹きすさんでいた。
――固有魔法の、暴走だ。
「魔法暴走だ、総員退避しろ! 退避ーー!!」
妾は、声をかぎりに叫んだ。
後ろを見れば、みな防御結界に守られたらしく、倒れた者や怪我をしたらしい者はいないようだった。妾の命令を聞き、メイドたちと騎士たちが急いで扉に向かった。
「だめ、扉が……!」
メイドの一人が悲痛な声をあげる。蝶番が歪みでもしたのか、扉が開かないらしい。
「離れて!」
ユリエッタが言い、メイドに代わって扉の前に駆け寄ると、両手を扉の面にあてた。彼女の魔導具ブレスレットの宝石が、魔法の発動に応じてチカッと輝く。
「えーい!」
バキ! と、音を立てて蝶番が外れ、扉自体も真っ二つになり、外に押しやられた。
「行って!」
ユリエッタの声に応じてメイドたちと騎士たちが走り、部屋を出て行った。
残ったユリエッタとマルグリットは、妾に振り返る。
「姫様もお早く!」「姫様!」
「妾はユリウスのそばに残る! 魔導師隊を呼んできてくれ!」
「そんな!」「だめです、姫様!」
そのとき、ウー……ウー……と不協和音の警報が鳴り響きだした。
『魔法暴走警報。これは訓練ではありません。皇宮南棟三階にて、魔法暴走が発生しました。規則に従い、ただちに避難してください――』
妾は、ユリウスのほうに目を向けた。彼は床に崩れるように座り込み、目を見開いたまま、焦点のあわない目で何処かを見据えている。恐怖の表情で顔をゆがめていた。
吹雪は、弱まる気配を見せない。
「ユリウス!」
妾は、ユリウスの元に駆け寄った。近づくほど風は強まり、防御結界外にはみ出したドレスの裾が引っ張られる。
呼びかけながら近づき、ようやく彼のもとに辿り着く。周囲は、みるみる雪で覆われていく。名前を呼びながら隣に屈んで、彼の肩に手を触れる。氷そのもののように冷たく、おもわず手を離す。しかしすぐに、彼の肩を両手で包んだ。
「ユリウス、聞こえるか!?」
返事はない。彼の視線が妾に向くこともない。彼の唇が動いている。なにかを呟いているようだ。妾は彼の顔に耳を近づけ、言葉を拾おうとする。
「……さむい……」
「だろうな! ユリウス、魔法を止めてくれ!」
妾は声を張って呼びかける。しかし、ユリウスに聞こえた様子はない。
「……たすけて……だれか……」
「ユリウス、妾はここにいるぞ!」
「……ここから出して……」
「《薔薇窓の間》から? かまわないが、まずは吹雪を止めてくれんと……」
「姫様! 今は離れましょう!」
後ろで待つユリエッタが悲痛な声で呼びかけてくる。侍従たる彼女たちが、妾を置いて避難できないのは道理。しかし、ユリウスを置いていくわけには――特に、あんな会話をした後で――!
どうすべきかと悩んでいるうちに、ドカドカと重い足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。やってきたのは、皇宮魔導師隊の一団であった。見慣れた紋章のついたローブ型の軍服を見て、妾たちはホッと息を吐く。
「皇女殿下、どうしてまだここに……!? とにかく、お下がりください!」
「ずっと呼びかけているのだが、聞こえていない様子なのだ。まるで、ここではない場所に心だけが飛んでいってしまったように」
妾が伝えると、隊員は頷いた。
「一度、眠っていただきます」
魔導師隊員たちがユリウスを囲み、彼に魔導具の杖を向ける。妾は、ちくりと胸が痛む感覚を呑み込みつつ、おもわず両手を祈るように組んで、ユリウスの様子を見守った。
「三、二、一……眠れ!」
魔導師たちの杖から紫の光が迸り、ユリウスの体を包んだ。すると、吹雪が弱まりはじめる。
ぐらり、と、ユリウスの体が傾いた。
「ユリウス!」
妾は急いで彼に寄り、床に落ちる前に彼の体を抱きとめた。彼のうわごとは止み、すう……すう……と規則的な寝息が聞こえる。
「……ユリウス……」
お茶会の開始前に比べ、《薔薇窓の間》は見るも無惨な有様となってしまった。
とりあえず事態の収束に安堵しつつも、妾はユリウスを抱き支えたまま、様々な懸念事項に思いを巡らせ、溜め息をついた。




