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妾の顔を見た男は、みな狂う。ただ一人、婚約者を除いて  作者: 佐藤みさき
第二章 看板娘のアンナ・シュタルク

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魔法暴走

 言い切る前に、ユリウスが急に立ち上がった。勢いで椅子が後ろに倒され、ガタンと音を立てる。

 直後、ユリウスが力強くテーブルに両手を打ち下ろした。ダァン! と天板が大きな音を立て、衝撃で茶菓子も皿もティーカップも吹き飛び、ぐちゃぐちゃに倒れ、いくつか床に落ちる。


「わっ!」


 妾(わらわ)はおどろき、飛(と)び退(の)くように同じく立った。壁際に立つ騎士や使用人たちの動揺が聞こえる。だが、対応に困り、妾(わらわ)の命令を待っていた。

 テーブルに両手をついたユリウスは、顔を下に向けていた。黒に近い青灰色の髪が流れてかかっている。その表情は、今の位置では見えない。


「……どうして……」


 衝動的な行動に反し、ユリウスの声は静かなままだった。


「……私は、……私、だって……」

「ユリウス……」


 妾(わらわ)は、ユリウスの肩に触れようと歩み寄った。どうにか、落ち着かせたかった。そのときだった。

 ユリウスが、両手で顔を覆い、よろり、と後ろに一歩、二歩と下がる。


「ああ、……あぁあ、ああああぁあああぁああーーーー!!」


 聞いたことのない金切り声をあげ、ユリウスが叫んだ。それと同時に、正面から突風が飛んでくる。

 パキン! と、防御結界魔法の自動展開音が響いた。


「わああっ!」

「キャアア!」「うわああーー!」


 おどろいた妾(わらわ)の声とともに、部屋にいる人間たちの悲鳴が響き渡る。

 パリィィン!! と、壁一面のガラス窓とステンドグラスが割れて吹き飛ばされる轟(ごう)音(おん)、それに、室内で重い物がぶつかったり倒れたりする音もつづく。

 防御結界ごしに届いた風――とっさに閉じた目を恐る恐る開いてみると、実際には食器もテーブルも一切合切ふきとばす程の強風を弱めたもの――は、真冬の風よりも冷たかった。

 みるみるうちに、残っていた薔薇(ばら)の鉢や、壁に追いやられたテーブルや、床のカーペットが、白い粉――雪に覆われていく。


 吹雪は、ユリウスを中心として、彼の四方八方に吹きすさんでいた。

 ――固有魔法の、暴走だ。


「魔法暴走だ、総員退避しろ! 退避ーー!!」


 妾(わらわ)は、声をかぎりに叫んだ。

 後ろを見れば、みな防御結界に守られたらしく、倒れた者や怪(け)我(が)をしたらしい者はいないようだった。妾(わらわ)の命令を聞き、メイドたちと騎士たちが急いで扉に向かった。


「だめ、扉が……!」


 メイドの一人が悲痛な声をあげる。蝶(ちょう)番(つがい)が歪(ゆが)みでもしたのか、扉が開かないらしい。


「離れて!」


 ユリエッタが言い、メイドに代わって扉の前に駆け寄ると、両手を扉の面にあてた。彼女の魔導具ブレスレットの宝石が、魔法の発動に応じてチカッと輝く。


「えーい!」


 バキ! と、音を立てて蝶(ちょう)番(つがい)が外れ、扉自体も真っ二つになり、外に押しやられた。


「行って!」


 ユリエッタの声に応じてメイドたちと騎士たちが走り、部屋を出て行った。

 残ったユリエッタとマルグリットは、妾(わらわ)に振り返る。


「姫様もお早く!」「姫様!」

「妾(わらわ)はユリウスのそばに残る! 魔導師隊を呼んできてくれ!」

「そんな!」「だめです、姫様!」


 そのとき、ウー……ウー……と不協和音の警報が鳴り響きだした。


『魔法暴走警報。これは訓練ではありません。皇宮南棟三階にて、魔法暴走が発生しました。規則に従い、ただちに避難してください――』


 妾(わらわ)は、ユリウスのほうに目を向けた。彼は床に崩れるように座り込み、目を見開いたまま、焦点のあわない目で何(ど)処(こ)かを見据えている。恐怖の表情で顔をゆがめていた。

 吹雪は、弱まる気配を見せない。


「ユリウス!」


 妾(わらわ)は、ユリウスの元に駆け寄った。近づくほど風は強まり、防御結界外にはみ出したドレスの裾が引っ張られる。

 呼びかけながら近づき、ようやく彼のもとに辿(たど)り着(つ)く。周囲は、みるみる雪で覆われていく。名前を呼びながら隣に屈(かが)んで、彼の肩に手を触れる。氷そのもののように冷たく、おもわず手を離す。しかしすぐに、彼の肩を両手で包んだ。


「ユリウス、聞こえるか!?」


 返事はない。彼の視線が妾(わらわ)に向くこともない。彼の唇が動いている。なにかを呟(つぶや)いているようだ。妾(わらわ)は彼の顔に耳を近づけ、言葉を拾おうとする。


「……さむい……」

「だろうな! ユリウス、魔法を止めてくれ!」


 妾(わらわ)は声を張って呼びかける。しかし、ユリウスに聞こえた様子はない。


「……たすけて……だれか……」

「ユリウス、妾(わらわ)はここにいるぞ!」

「……ここから出して……」

「《薔薇(ばら)窓の間》から? かまわないが、まずは吹雪を止めてくれんと……」

「姫様! 今は離れましょう!」


 後ろで待つユリエッタが悲痛な声で呼びかけてくる。侍従たる彼女たちが、妾(わらわ)を置いて避難できないのは道理。しかし、ユリウスを置いていくわけには――特に、あんな会話をした後で――!

 どうすべきかと悩んでいるうちに、ドカドカと重い足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。やってきたのは、皇宮魔導師隊の一団であった。見慣れた紋章のついたローブ型の軍服を見て、妾(わらわ)たちはホッと息を吐く。


「皇女殿下、どうしてまだここに……!? とにかく、お下がりください!」

「ずっと呼びかけているのだが、聞こえていない様子なのだ。まるで、ここではない場所に心だけが飛んでいってしまったように」


 妾(わらわ)が伝えると、隊員は頷(うなず)いた。


「一度、眠っていただきます」


 魔導師隊員たちがユリウスを囲み、彼に魔導具の杖(つえ)を向ける。妾(わらわ)は、ちくりと胸が痛む感覚を呑(の)み込(こ)みつつ、おもわず両手を祈るように組んで、ユリウスの様子を見守った。


「三、二、一……眠れ!」


 魔導師たちの杖(つえ)から紫の光が迸(ほとばし)り、ユリウスの体を包んだ。すると、吹雪が弱まりはじめる。

 ぐらり、と、ユリウスの体が傾いた。


「ユリウス!」


 妾(わらわ)は急いで彼に寄り、床に落ちる前に彼の体を抱きとめた。彼のうわごとは止(や)み、すう……すう……と規則的な寝息が聞こえる。


「……ユリウス……」


 お茶会の開始前に比べ、《薔薇(ばら)窓の間》は見るも無惨な有様となってしまった。


 とりあえず事態の収束に安(あん)堵(ど)しつつも、妾(わらわ)はユリウスを抱き支えたまま、様々な懸念事項に思いを巡らせ、溜(た)め息(いき)をついた。

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