ちがう、こうじゃない
一通り挨拶をこなしたのち、妾は、今宵の夜会でやりたかったことの二つめに取りかかることにした。食事を楽しむこと、である。
念のため、蒼翼隊と侍女コルネリアが会場にいることを再確認する。見回せば、いくつかの箇所に散らばり、それぞれ壁際に控えているのが見て取れた。
よし。いつの間にかいなくなっていて、その間にトラブルが――ということも無さそうだ。
「ユリウス、食事にしようか」
「はい、アナスタシア様」
妾たちは、広間入り口付近のビュッフェテーブルに向かった。
スモークサーモン、ハムとチーズの盛り合わせ、野菜のマリネ、ミートボールのソース煮込み、アイスバインにローストチキン、ポテトグラタン、白パンに香草入りパン、デザートにはリンゴのタルトに蜂蜜ケーキ、季節の果物――。
エッセンバッハ公爵家が威信をかけて揃えた食材を、腕利きの料理人が調理したであろう料理の数々が、美しく盛り付けられ、湯気を立てている。どれも美味しそうだ。
妾たちは、取り皿を借り、口にしたいものを載せていった。
いつもはただ給仕を待つばかりだが、こうして自分で選んで載せるのは楽しい。ビュッフェとは良いものである。
「……アナスタシア様。いちど、お席のテーブルにお皿を置いて、二枚目のお皿をお使いになりませんか」
ふいにユリウスにそう言われ、はたと自分の皿を見やる。いつのまにか、載せた料理がこんもり小高い山になっていた。
「おお。少々盛りすぎたな……」
「ふふ、そうでございますね。しかし、安定しております。積み方がお上手ですね、アナスタシア様」
「はははっ、幼いころ遊んだ積み木を思い出すよ」
妾は幼い頃、積み木で城や家を形作るより、とにかく一番高く積み上げることに熱を注いだことがある。最初はすぐに崩していたが、繰り返すうち、部屋の天井に届く高さの塔を作れるようになった。「危のうございます」と乳母に窘められたが、「バランス感覚が優れておいでですね」と驚かれたものだ。
「せっかくの馳走、無駄にせぬよう運んでやらねばな」
「ええ」
そう話しつつ、混雑を過ぎたテーブル席のほうへ向かっていると、なにやら不穏な声が聞こえてきた。年若い令嬢が誰かを詰問する声だ。
声の方を見やると、四名の令嬢がビュッフェテーブルのそばにいた。声の主は、真っ赤で華やかなドレスをまとっている。対して詰問を受けている令嬢は、明るいライラック色の、装飾の少ないドレスだった。
「――まあ! 芝居小屋の歌ですって? このような場で平民の歌を口ずさむだなんて。場違いだとわかりませんの?」
「クラリッサ様のおっしゃるとおりですわ」
「やはり“なりあがり者の家”は品性が卑しいのかしら」
赤いドレスの令嬢が鋭く言うと、他の二人が追従する。ライラック色のドレスの令嬢は、取り皿を両手で持ったまま、つらそうにうつむいていた。
こ、これは……“いじめ”か! あの噂に聞く。はじめて見た。本当にあるのだな。
近くに他の人間はいない。声を荒らげてはいないので、異常に気づける範囲はそう広くないのだ。いじめている側の三人は妾たちに背を向けており、まだ気づいていない。
どうする、割って入るべきか。むろん入るべきだと思うが、皇女として相応しいやり方がとっさに出てこない。下手を打って後で妾が叱られるぶんには構わないが、ライラック色のドレスの彼女が不利益を被るやり方をしたくない。
妾はユリウスをちらと見やったが、彼は小さく肩をすくめるだけで、どうしろとは言ってこない。お好きにどうぞ、という様子だ。それもそうか。妾がどう動くかを決めるべき人間は、妾自身だ。
何もしないという選択はありえない。まずは近づいて――。
「それに、なんですの? そのお皿は。そんなに沢山お載せになるなんて、食べ物に困るほど貧しくていらっしゃるようで、卑しくって見苦しいですわ」
「えっ」
たしなめる言葉をかける前に、妾はおもわず声をあげてしまった。いじめていた令嬢たちが一斉に振り返り、目を瞠って青ざめる。
「こ、皇女殿下……これは……」
彼女たちの前には、帝国一高貴な姫君がいた。それも、ライラック色ドレスの令嬢の皿より、数倍ほど小高い料理の山を載せた取り皿を持って。
ちがう、こうじゃない。相応しい止め方は、絶対にこうじゃないのだが。
「……そうか。卑しくて、見苦しいか」
「ち、ちがいますわ、皇女殿下。けっして、」
「そうだな。ありがたいことに、皇室は食べ物に困っていない。…ちょっと今、妾が空腹だっただけで…」
「え、ええ! もちろん、存じておりますわ」
「だが、“見苦しい”のだろう? それは、申し訳ないことをしたな…?」
皮肉をちくちく効かせて言うと、令嬢たちはすっかり狼狽した様子で「ちがうんです」「その」「えっと」とまごついた。
すると、彼女たち越しに、くすくすと笑う声が響いた。見れば、ライラック色のドレスの令嬢が、うつむいていた顔をあげ、こちらを見ながら笑いをこらえている。
「ふふっ、…ふふふっ、……すみません、決して殿下を笑っているわけでは、くふふっ…!」
振り返った令嬢たちの表情が険しくなる。それも、妾が軽く鼻を鳴らして注意をこちらに向けるまでのことだったが。
「そなたたち、食事をせぬのか? だったら、社交に勤しんできたらどうかね」
三人が取り皿を持っていないのを見て、妾は顎で社交エリアを示しながら言った。
「は、……はい! そうします! 大変失礼いたしました!」
三人はあわてた様子でカーテシーをして、そそくさと立ち去っていった。
……思っていた形とは違ったが、少なくとも、ライラック色のドレスの令嬢に不利益を被らせない方法で中断させられたと思う。よし。
「ありがとうございます、皇女殿下」
去っていく令嬢らから視線を戻すと、ライラック色のドレスの令嬢が片手でドレスの裾を持ち、深々と膝を折って頭を下げていた。
「よい。おもわぬ流れ弾に対処しただけだ」
「ふふふっ…! そうでしたね」
「面をあげよ。そなた、名は?」
顔を上げた令嬢は、赤みがかった明るい栗色の髪に翡翠色の瞳、頬には化粧で隠れた薄いそばかすのある少女だった。歳は妾たちと同じくらいに見える。浮かべた笑顔は、貴族的なものではなく、素直で愛嬌を感じさせるものであった。
「ローゼンタール子爵家のイザベラと申します。帝国の暁星たる皇女殿下に拝謁たまわりましたこと、恐悦至極に存じます。アーデルシュタイン侯爵閣下におかれましても、お目にかかれましたこと光栄に存じます」
「うむ。皇女アナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒである」
「アーデルシュタイン侯ユリウス・カスパール・フォン・ヴァイセンドルフです」
すでに身分を知られてはいるが、あらためて自己紹介を交わす。この手続きを通して初めて、我々は晴れて“知り合い”になるからだ。
「一人か?」
「はい」
「座席は決まっているか?」
「いいえ」
「そうか。よければ、食事を共にしないか?」
妾が誘うと、イザベラは目をまるくした。
「よろしいのですか?」
「もちろん。……あ。ユリウス、かまわないだろうか?」
確認をとっていないことに思い至り、隣のユリウスに目をむけつつ尋ねる。さいわい、ユリウスは微笑んで頷いてくれた。
「アナスタシア様のお望みのままに」
「そうか。では、ローゼンタール子爵令嬢。ついて参れ」
「はい!」
イザベラを引き連れ、妾たちは、割り当てられた奥まった席のテーブルに向かった。給仕らがすぐに椅子を引き、飲み物のグラスを運んでくる。毒味役も手早く確認を済ませた。
「では、いただこう」
妾は銀のナイフとフォークを取り上げ、山と盛った料理を最上部からそっと崩し、口に運んだ。想像した通り美味であった。ユリウスとイザベラも、続いて食事を始める。
しばらく食べ進めたのち、イザベラが会話を始めた。
「皇女殿下、お上手でいらっしゃいますね。その、所作がおきれいなだけではなくて……“お山”が崩れないよう、うまく召し上がるのが」
「うむ。積み木は得意でな」
「まあ! うふふ」
そう言ってから、イザベラは何かを思い出したように小さく吹き出しかけ、あわてて口元を手の甲で覆った。
「申し訳ありません。その、けっして、殿下や侯爵閣下を笑っているのではなくて。あの方々は、お料理を取る量をずいぶん気にされていましたけれど、殿下は――こんなに、素敵なダイヤモンドを沢山お召しの高貴なお方は、そんなことちっとも気にしていらっしゃらないじゃないのって、そう思ったら――ふふふっ!」
聞いていると、妾は少々気恥ずかしくなってきた。エッセンバッハ公爵家という場に、親族の家として馴染みがあるのでつい油断していたものの、料理の盛りすぎはマナーがよくない。
「うむ、まあ……予期せぬ流れ弾を受けて驚いた。だが、手本にはしてくれるなよ。いちどきに皿に載せすぎるのは本来よくない。こぼしてしまったら、用意してくれた者たちに失礼でもあるしな」
「たしかに、そうでございますわね。ですがわたくし、沢山お料理を持っていらした殿下を拝見して、おそれながら、殿下のことが大好きになりましたの」
妾は、やや複雑な気持ちになり、あいまいに微笑みながら軽く肩をすくめた。悪意は感じられず、たしかに好意的な様子ではあるので、結果的には良いのだろうか。
「それに、殿下と侯爵閣下のファーストダンス、とっ…ても、素晴らしかったです! なんて高度で華やかなダンスなのでしょうと、感激しておりました。それに、あのお歌…! 小夜啼鳥のようと謳われた殿下のお声で、ダンス中とは思えないほど美しく歌い上げられて…! わたくし、演劇が大好きでして、先日も――」
――そうしてイザベラは、最初の緊張をすっかり忘れた様子で語るようになり、妾もその話題に大いにのって、二人の会話は盛り上がっていった。
ユリウスは、ただ黙々と食事をとりながら、その様子を眺めていた。




