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妾の顔を見た男は、みな狂う。ただ一人、婚約者を除いて  作者: 佐藤みさき
第二章 看板娘のアンナ・シュタルク

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ちがう、こうじゃない

 一通り挨拶をこなしたのち、妾(わらわ)は、今(こ)宵(よい)の夜会でやりたかったことの二つめに取りかかることにした。食事を楽しむこと、である。


 念のため、蒼(そう)翼(よく)隊(たい)と侍女コルネリアが会場にいることを再確認する。見回せば、いくつかの箇所に散らばり、それぞれ壁際に控えているのが見て取れた。

 よし。いつの間にかいなくなっていて、その間にトラブルが――ということも無さそうだ。


「ユリウス、食事にしようか」

「はい、アナスタシア様」


 妾(わらわ)たちは、広間入り口付近のビュッフェテーブルに向かった。

 スモークサーモン、ハムとチーズの盛り合わせ、野菜のマリネ、ミートボールのソース煮込み、アイスバインにローストチキン、ポテトグラタン、白パンに香草入りパン、デザートにはリンゴのタルトに蜂蜜ケーキ、季節の果物――。

 エッセンバッハ公爵家が威信をかけて揃(そろ)えた食材を、腕利きの料理人が調理したであろう料理の数々が、美しく盛り付けられ、湯気を立てている。どれも美(お)味(い)しそうだ。

 妾(わらわ)たちは、取り皿を借り、口にしたいものを載せていった。

 いつもはただ給仕を待つばかりだが、こうして自分で選んで載せるのは楽しい。ビュッフェとは良いものである。


「……アナスタシア様。いちど、お席のテーブルにお皿を置いて、二枚目のお皿をお使いになりませんか」


 ふいにユリウスにそう言われ、はたと自分の皿を見やる。いつのまにか、載せた料理がこんもり小高い山になっていた。


「おお。少々盛りすぎたな……」

「ふふ、そうでございますね。しかし、安定しております。積み方がお上手ですね、アナスタシア様」

「はははっ、幼いころ遊んだ積み木を思い出すよ」


 妾(わらわ)は幼い頃、積み木で城や家を形作るより、とにかく一番高く積み上げることに熱を注いだことがある。最初はすぐに崩していたが、繰り返すうち、部屋の天井に届く高さの塔を作れるようになった。「危のうございます」と乳母に窘(たしな)められたが、「バランス感覚が優れておいでですね」と驚かれたものだ。


「せっかくの馳(ち)走(そう)、無駄にせぬよう運んでやらねばな」

「ええ」


 そう話しつつ、混雑を過ぎたテーブル席のほうへ向かっていると、なにやら不穏な声が聞こえてきた。年若い令嬢が誰かを詰問する声だ。

 声の方を見やると、四名の令嬢がビュッフェテーブルのそばにいた。声の主は、真っ赤で華やかなドレスをまとっている。対して詰問を受けている令嬢は、明るいライラック色の、装飾の少ないドレスだった。


「――まあ! 芝居小屋の歌ですって? このような場で平民の歌を口ずさむだなんて。場違いだとわかりませんの?」

「クラリッサ様のおっしゃるとおりですわ」

「やはり“なりあがり者の家”は品性が卑しいのかしら」


 赤いドレスの令嬢が鋭く言うと、他の二人が追従する。ライラック色のドレスの令嬢は、取り皿を両手で持ったまま、つらそうにうつむいていた。

 こ、これは……“いじめ”か! あの噂(うわさ)に聞く。はじめて見た。本当にあるのだな。

 近くに他の人間はいない。声を荒(あら)らげてはいないので、異常に気づける範囲はそう広くないのだ。いじめている側の三人は妾(わらわ)たちに背を向けており、まだ気づいていない。

 どうする、割って入るべきか。むろん入るべきだと思うが、皇女として相(ふ)応(さわ)しいやり方がとっさに出てこない。下手を打って後で妾(わらわ)が叱られるぶんには構わないが、ライラック色のドレスの彼女が不利益を被(こうむ)るやり方をしたくない。

 妾(わらわ)はユリウスをちらと見やったが、彼は小さく肩をすくめるだけで、どうしろとは言ってこない。お好きにどうぞ、という様子だ。それもそうか。妾(わらわ)がどう動くかを決めるべき人間は、妾(わらわ)自身だ。

 何もしないという選択はありえない。まずは近づいて――。


「それに、なんですの? そのお皿は。そんなに沢山お載せになるなんて、食べ物に困るほど貧しくていらっしゃるようで、卑しくって見苦しいですわ」

「えっ」


 たしなめる言葉をかける前に、妾(わらわ)はおもわず声をあげてしまった。いじめていた令嬢たちが一斉に振り返り、目を瞠(みは)って青ざめる。


「こ、皇女殿下……これは……」


 彼女たちの前には、帝国一高貴な姫君がいた。それも、ライラック色ドレスの令嬢の皿より、数倍ほど小高い料理の山を載せた取り皿を持って。

 ちがう、こうじゃない。相(ふ)応(さわ)しい止め方は、絶対にこうじゃないのだが。


「……そうか。卑しくて、見苦しいか」

「ち、ちがいますわ、皇女殿下。けっして、」

「そうだな。ありがたいことに、皇室は食べ物に困っていない。…ちょっと今、妾(わらわ)が空腹だっただけで…」

「え、ええ! もちろん、存じておりますわ」

「だが、“見苦しい”のだろう? それは、申し訳ないことをしたな…?」


 皮肉をちくちく効かせて言うと、令嬢たちはすっかり狼(ろう)狽(ばい)した様子で「ちがうんです」「その」「えっと」とまごついた。

 すると、彼女たち越しに、くすくすと笑う声が響いた。見れば、ライラック色のドレスの令嬢が、うつむいていた顔をあげ、こちらを見ながら笑いをこらえている。


「ふふっ、…ふふふっ、……すみません、決して殿下を笑っているわけでは、くふふっ…!」


 振り返った令嬢たちの表情が険しくなる。それも、妾(わらわ)が軽く鼻を鳴らして注意をこちらに向けるまでのことだったが。


「そなたたち、食事をせぬのか? だったら、社交に勤(いそ)しんできたらどうかね」


 三人が取り皿を持っていないのを見て、妾(わらわ)は顎で社交エリアを示しながら言った。


「は、……はい! そうします! 大変失礼いたしました!」


 三人はあわてた様子でカーテシーをして、そそくさと立ち去っていった。

 ……思っていた形とは違ったが、少なくとも、ライラック色のドレスの令嬢に不利益を被(こうむ)らせない方法で中断させられたと思う。よし。


「ありがとうございます、皇女殿下」


 去っていく令嬢らから視線を戻すと、ライラック色のドレスの令嬢が片手でドレスの裾を持ち、深々と膝を折って頭を下げていた。


「よい。おもわぬ流れ弾に対処しただけだ」

「ふふふっ…! そうでしたね」

「面をあげよ。そなた、名は?」


 顔を上げた令嬢は、赤みがかった明るい栗(くり)色(いろ)の髪に翡(ひ)翠(すい)色の瞳、頬(ほお)には化粧で隠れた薄いそばかすのある少女だった。歳(とし)は妾(わらわ)たちと同じくらいに見える。浮かべた笑顔は、貴族的なものではなく、素直で愛(あい)嬌(きょう)を感じさせるものであった。


「ローゼンタール子爵家のイザベラと申します。帝国の暁星たる皇女殿下に拝(はい)謁(えつ)たまわりましたこと、恐悦至(し)極(ごく)に存じます。アーデルシュタイン侯爵閣下におかれましても、お目にかかれましたこと光栄に存じます」

「うむ。皇女アナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒである」

「アーデルシュタイン侯ユリウス・カスパール・フォン・ヴァイセンドルフです」


 すでに身分を知られてはいるが、あらためて自己紹介を交わす。この手続きを通して初めて、我々は晴れて“知り合い”になるからだ。


「一人か?」

「はい」

「座席は決まっているか?」

「いいえ」

「そうか。よければ、食事を共にしないか?」


 妾(わらわ)が誘うと、イザベラは目をまるくした。


「よろしいのですか?」

「もちろん。……あ。ユリウス、かまわないだろうか?」


 確認をとっていないことに思い至り、隣のユリウスに目をむけつつ尋ねる。さいわい、ユリウスは微(ほほ)笑(え)んで頷(うなず)いてくれた。


「アナスタシア様のお望みのままに」

「そうか。では、ローゼンタール子爵令嬢。ついて参れ」

「はい!」


 イザベラを引き連れ、妾(わらわ)たちは、割り当てられた奥まった席のテーブルに向かった。給仕らがすぐに椅子を引き、飲み物のグラスを運んでくる。毒味役も手早く確認を済ませた。


「では、いただこう」


 妾(わらわ)は銀のナイフとフォークを取り上げ、山と盛った料理を最上部からそっと崩し、口に運んだ。想像した通り美味であった。ユリウスとイザベラも、続いて食事を始める。


 しばらく食べ進めたのち、イザベラが会話を始めた。


「皇女殿下、お上手でいらっしゃいますね。その、所作がおきれいなだけではなくて……“お山”が崩れないよう、うまく召し上がるのが」

「うむ。積み木は得意でな」

「まあ! うふふ」


 そう言ってから、イザベラは何かを思い出したように小さく吹き出しかけ、あわてて口元を手の甲で覆った。


「申し訳ありません。その、けっして、殿下や侯爵閣下を笑っているのではなくて。あの方々は、お料理を取る量をずいぶん気にされていましたけれど、殿下は――こんなに、素敵なダイヤモンドを沢山お召しの高貴なお方は、そんなことちっとも気にしていらっしゃらないじゃないのって、そう思ったら――ふふふっ!」


 聞いていると、妾(わらわ)は少々気恥ずかしくなってきた。エッセンバッハ公爵家という場に、親族の家として馴(な)染(じ)みがあるのでつい油断していたものの、料理の盛りすぎはマナーがよくない。


「うむ、まあ……予期せぬ流れ弾を受けて驚いた。だが、手本にはしてくれるなよ。いちどきに皿に載せすぎるのは本来よくない。こぼしてしまったら、用意してくれた者たちに失礼でもあるしな」

「たしかに、そうでございますわね。ですがわたくし、沢山お料理を持っていらした殿下を拝見して、おそれながら、殿下のことが大好きになりましたの」


 妾(わらわ)は、やや複雑な気持ちになり、あいまいに微(ほほ)笑(え)みながら軽く肩をすくめた。悪意は感じられず、たしかに好意的な様子ではあるので、結果的には良いのだろうか。


「それに、殿下と侯爵閣下のファーストダンス、とっ…ても、素晴らしかったです! なんて高度で華やかなダンスなのでしょうと、感激しておりました。それに、あのお歌…! 小夜啼鳥(ナイチンゲール)のようと謳(うた)われた殿下のお声で、ダンス中とは思えないほど美しく歌い上げられて…! わたくし、演劇が大好きでして、先日も――」


 ――そうしてイザベラは、最初の緊張をすっかり忘れた様子で語るようになり、妾(わらわ)もその話題に大いにのって、二人の会話は盛り上がっていった。

 ユリウスは、ただ黙々と食事をとりながら、その様子を眺めていた。

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