第9話「才女の目的」
正午を過ぎたころ、霊眼学院から客が来た。
昨日の研究員とは別人だった。
赤みがかった茶髪を高い位置で束ね、銀縁の眼鏡をかけている。白衣の上から薄い外套を羽織り、手には革張りの書類鞄。年齢は遥と同じくらいか、一、二歳上か。顔立ちは整っているが、無表情が邪魔をしている。
受付で名前を告げるときも、中に通されるときも、表情が変わらない。感情がないわけではなく——感情を外に出す理由がない、というような顔だった。
「リーセ・アーベントです。霊眼学院の上級研究員です。お時間をいただきありがとうございます」
形式通りの挨拶。過不足なし。
「霧島遥です」
「知っています。では、本題に入っていいですか」
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リーセは書類鞄から小さな木箱を取り出した。中に、半透明の結晶が入っている。
「覚醒度の計測器です。各陣営の聖痕者が使う標準型の啓示結晶——対象者が手で包むと、覚醒度に応じて発光します。光の色と強さで数値を読む。数秒で終わります」
「分かりました」
遥は結晶を受け取り、手で包んだ。
一瞬の沈黙があった。
結晶が、白く光った。
次の瞬間——部屋全体が光に満たされた。
目を開けていられない。遥が目を細めた。傍らにいたセラフィーナが「あっ」と声を上げた。廊下にいた聖痕者が二人、扉の隙間から覗いた。
光が収まった。
リーセが結晶を受け取った。無言で確認する。光は消えていた。数値を示すはずの色も、何も残っていない。
「……計測域外です」
「どういう意味ですか?」
「この器具の計測範囲を超えています。数値が出ません」
リーセは結晶を箱に戻した。「通常の聖痕者が最大値でも、光は橙色です。純白の光が出た例は、学院の記録に一件しかない」
「その一件は?」
「大啓示夜の記録に残っているだけです。現存しない」
遥は何も言わなかった。リーセも続けなかった。
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「次に、もう一つ確認させてください」
書類鞄から薄い羊皮紙を取り出した。細かい文字がびっしり書かれている。
「読んでいただけますか」
遥は受け取って、目を走らせた。
「……これ、方言ですか。ヴェイルハルムの公用語じゃないですが、語尾の変化が似ていて——」
リーセの眉が、わずかに動いた。
「読めるんですか」
「はい。大体は」
「それは大啓示夜より四十年前の文書です。現代語との乖離が大きく、学院でも完全な解読ができていません」
遥は文書を返した。「内容は、地下施設の管理記録のようです。施設名と、出入りした人物の記録と、それから——日付ごとに何かの計測値が書かれています。何の数値かは分かりませんでしたが」
「施設名を教えてください」
「『常夜の廻廊』と書いてあります」
リーセがすぐに手帳を取り出して書き留めた。その手が、わずかに速かった。
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「共同研究を提案したい」
リーセが言った。感情はない。でも迷いもない。
「あなたの言語能力は、学院が長年求めていたものです。こちらから提供できるのは、閲覧制限のある古文書へのアクセス権と、大啓示夜に関する研究データの一部。対価として、翻訳と解読への協力をお願いしたい」
「一部、というのは」
「全部は提供できません」
「なぜですか?」
「学院長の指示で、一部の記録は非公開です」
遥はリーセを見た。リーセは視線を逸らさなかった。
「……条件を聞かせてください」
横で、セラフィーナが小声で遥に言った。「……遥さん、この方、ちょっと——人間不信じゃないですか?」
「そういう話し方をする人もいると思います」
「でも、全部が取引みたいで……」
リーセが二人をちらりと見た。「聞こえています」
セラフィーナが背筋を伸ばした。顔が少し赤くなった。「ち——違います! その、眼鏡が似合う方は……知性的で! 良いと思いまして!」
遥は何も言わないことにした。
リーセは一瞬だけセラフィーナを見て、それから視線を遥に戻した。「条件の確認を続けましょう」
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細かい条件を確認して、リーセが帰り際に言った。
「一つだけ、追加で伝えておきます」
「どうぞ」
「大啓示夜について本当に知りたいなら——学院に来ることを勧めます。ここで話せる内容には、限りがある」
それだけ言って、振り返らずに出ていった。
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遥はその背中を見送った。
全部が取引として提示された。感情もなく、迷いもなく。それがこの人の話し方なのだと、一時間で分かった。
でも——帰り際の一言だけが、少し違った。
あれは取引の言葉ではなかった。
彼女は何かを知っている。そして——言えないことがある。
その二つは、別のことだ。




