第10話「無限架の午後」
昨日は忘れてしまったので、
今日は二話です。
霊眼学院の大図書館——無限架は、名前通りだった。
壁一面が棚で埋まっている。一階から上が見えない。螺旋状の階段が複数あり、上の階へ続いている。足を踏み入れた瞬間、紙と革と、微かに古い薬品のような匂いがした。声が自然と小さくなる空間だ。
リーセが先を歩いていた。遥を一度も振り返らずに、迷いなく目的の場所へ向かっている。
「広いですね」
「すぐに慣れる」
それだけ言って、棚の列を曲がった。
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作業台は、三階の奥にあった。
窓から外が見える。遥が今まで見ていた市民区とは違う角度だ。学院区の石造りの建物が整然と並んでいるのが見える。
テーブルの上に、すでに羊皮紙の束が積まれていた。
「これを読んでほしい」
リーセが一枚目を差し出した。
遥は受け取って目を通した。古代語だが、今まで見た碑文とは語彙が違う。行政文書に近い文体だ。
「……施設の入退記録と、何かの数値記録です。日付ごとに、計測値が並んでいます」
「この単語は」
リーセが特定の語を指した。
「これは……場所を表す言葉だと思います。『下の間』に近い意味の古語かと。でも文脈からすると、地層か何かの深度を指しているかもしれない」
リーセが手帳に何かを書いた。「続けてくれ」
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二時間が経った。
遥は五枚目を読んでいた。一枚ずつ内容を説明するたびに、リーセが短い言葉で反応した。「なるほど」「それは既知だ」「その解釈は初めて見る」。感情はないが、話す量は少しずつ増えていた。
六枚目を受け取ったとき、遥は気づいた。
「これ——先ほどの三枚目に出てきた施設名と同じ語が使われています。でも別の略称が添えてある。同じ場所を指しているなら、常夜の廻廊には別称があったことになりますが」
リーセの手が止まった。
顔を上げた。眼鏡の奥で、目が遥を見た。いつもの「研究対象を見る目」とは、少し違う角度だった気がした。
「……確認できるか」
「三枚目と照合すれば分かります」
「やってくれ」
遥は三枚目を引き出して並べた。語の変化を追って、二つの文書の記述が同じ施設を指しているか確認した。
「同じ場所です。ただ、三枚目が公式文書で、六枚目は内部の非公式記録のようです。別称の方が実際に使われていた名称かもしれない」
リーセは少しの間、二枚の文書を見比べていた。
「……一年間探していた」
呟くような声だった。遥に向けた言葉ではなかったかもしれない。
遥は何も言わなかった。
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午後遅く、作業が一区切りした。
リーセが積んでいた羊皮紙をまとめた。遥は作業台を片付けた。
帰ろうとしたとき、迷子になった。
螺旋階段が複数あり、どれで降りたかを覚えていなかった。
「……どこですか、ここ」
棚と棚の間の通路だ。似たような棚が四方にある。
しばらくして、足音がした。
「どこに行っていた」
リーセだった。特に表情はない。でも来た、ということは、気づいて来たということだ。
「迷いました」
「案内図は入口にある」
「入るときに見ていなかったです」
「……」
リーセがため息をつくでも笑うでもなく、「こっちだ」と歩き始めた。遥はついていった。
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出口まで戻ったところで、リーセが言った。
「また来てくれ」
「分かりました」
「次は四枚目から続きを頼む」
それだけだった。
遥は無限架の扉を出た。
感情はなかったが、「来てくれ」という言葉は取引の言葉ではなかった。単純な依頼だった。
それが前回との違いだと、遥は思った。
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帰り道、学院区の石畳を歩きながら、遥は今日のことを少し整理した。
リーセは研究に対して正直だ。使えると思えばそう言う。使えないと思えばそう言う。感情で評価を変えない。
今日、遥は「使えた」。
多少は、良い印象を与えられたのかもしれないと、そう思うことにした。




