第5話「訓練の日々」
最初の一週間は、毎朝同じように始まった。
夜明け前に起きる。洗面を済ませて中庭に出る。イグニスがすでにいる。いつから起きているのか、遥には分からなかった。
「来たか」
それだけ言って、木剣を投げてよこす。
素振り。フォーム確認。走り込み。また素振り。昼まで続く。昼飯を食ったら午後も続く。
初日に「こうやって動く意味は」と聞いたら「黙れ」と返ってきた。
二日目に「この動作の目的は」と聞いたら「考えながらやれ」と返ってきた。
三日目から、聞くのをやめた。
---
イグニスの指導は、最小限だった。
フォームが崩れると「違う」。直っていると無言。正しい動き方を言葉で説明することはほとんどない。見ていれば分かる、と思っているのか、言葉を使うことを単純に嫌っているのか。
どちらかは分からなかったが、どちらでもよかった。
遥は観察した。イグニス自身の動き方を。短刀を使うときの体の使い方を。重心の位置。力の抜き方。最小の動作で最大の効果を出す、徹底して無駄のない動き。
言葉で教えてもらえないなら、体で覚えるしかない。
古鍛冶場の聖痕者が各自の訓練をしている中で、遥は毎日その場にいた。
---
五日目の昼過ぎ、セラフィーナが裏口から顔を出した。
「遥さん、昨日より動き方が変わりましたね」
「そうですか」
「なんか……滑らかというか。言葉では難しいですけど」
セラが少し首をかしげた。「イグニスさんの訓練、厳しくないですか?」
「厳しいです」
「でも、嫌って感じじゃない気がしますね」
遥は少し考えた。「聞けばちゃんと教えてくれるので」
「……え、教えてくれますか?」
「ちゃんとした質問なら」
セラが「すごい」と言った。本心から驚いた声だった。
遥には理由が分からなかったが、そのままにしておいた。
---
六日目の夕方。
訓練を終えて木剣を戻しに倉庫に行くと、誰もいない奥の棚の近くで声が聞こえた。
「あの転移者、続くと思う?」
「どうだろ。イグニスさんに鍛えてもらえてるだけで、そこそこじゃないの」
「でも基礎がないんでしょ。どこかで壁に当たる気がするんだよな」
聖痕院の若い聖痕者たちだ。声に悪意はない。普通の感想として話している。
遥は木剣を棚に戻して、出ていった。
その瞬間、声が止まった。
遥は振り返らなかった。
---
七日目の朝。
中庭に出ると、訓練のメニューが変わっていた。
素振りと走り込みだけだったのが——短刀を使った基礎動作が加わっていた。木製の模擬刀を一本、的に向けた打ち込みの練習。
イグニスは「やれ」とだけ言った。理由は言わなかった。
遥は言われた通りにやった。
メニューが変わった理由は分からなかった。でも「足手まとい」と言っていた人間が、七日後には武器の基礎動作を教えている。
それだけのことだが、それだけだとも思わなかった。
---
夜、部屋に戻ると声が聞こえた。
いつものだ。遠くで誰かが歌っているような、低い声。でも今夜は少しだけはっきりしていた。
聞き取ろうとすると消える。無視していると、また戻ってくる。
【——扉。扉。扉が——】
遥は目を閉じた。声は続いた。少し間を置いて、また続いた。
怖くはない。ただ、何かが確実に近づいている感じがした。
それが何なのか、まだ分からなかった。




