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異世界転移した俺の覚醒度が測定不能だった  作者: 明日の今日
第二幕「覚醒度の代償」
23/25

第23話「帳簿の赤い数字」

 セラが珍しく静かだった。


 朝から古鍛冶場ふるかじばの食堂で何かを書いていた。小さな帳面に数字を並べていた。


「なんですか、それ」


 遥が聞くと、セラが顔を上げた。


血施院けっせいいんの帳簿の写しです。定期業務で確認できる分だけ」


「何を調べているんですか?」


「投与量と回復率を照合しています。ずっと気になっていたので」


 セラが数字が並んだ帳面を差し出した。


 縦に月ごとの聖脈剤せいみゃくざいの投与量。横に患者数と——そして、回復率。


 投与量が増えている。患者数も増えている。


 でも、回復率だけが——下がっている。


「これ、どのくらいの期間のデータですか?」


「二年分です。去年からずっと写し取っていました」


「去年から」


「……なんとなく、おかしいなと思って」


---


 午後、セラが血施院へ向かうと言った。


 遥は「一緒に行きます」と言った。


 セラが少し迷った顔をした。


「帳簿の確認業務です。遥さんには面白くないと思いますが」


「構いません」


「でも——」


「行きます」


「……分かりました」


---


 血施院は聖区せいくの外れにある。


 白い壁の建物で、入口には常に数人の待合客がいる。


 遥が入った瞬間、何度か来た時と同じ感覚があった。


 目が虚ろな患者が多い。話している人間がいない。それぞれが椅子に座って、ただ待っている。


 誰もここにいたくないはずなのに、毎週来ている。


 習慣と——それ以上の何かで。


---


 セラが帳簿室へ向かった。遥は廊下で待った。


 三十分ほどで戻ってきたセラは、帳面に何かを書き写していた。眉がわずかに寄っていた。


「何かありましたか」


「……ちょっと待ってください」


 セラが帳面をめくった。数字を確認して、また戻る。


「遥さん、ここを見てください」


 特定の週の投与量が急増していた。月ごとではなく、週単位で見ると——三ヶ月ごとに同じ周期で数値が上がっている。


「定期的に増やしているんですか」


「そうなんです。でも——どの帳簿にも理由が書いていないんです。季節性のものでもなく、患者数の増加でもなく」


「他に何か」


「補助帳簿に、一行だけ記述がありました。『強化調合V3』という文字です。意味が分からなくて、詳細を調べようと記録室に入ろうとしたんですが——」


「鍵がかかっていた」


「はい。主任司祭に聞いたら『立入禁止の区域です』と言われました。帳簿業務の確認のために入ると言ったら——『その記録は別管理で、補助作業員には公開されていません』と」


---


 血施院を出た後、セラが「もう一度だけ見てもいいですか」と言って、帳面の数字を改めて確認し始めた。


 遥は隣で待った。


 しばらくして、セラが「……あれっ」と言った。


「どうしましたか」


「この列、さっきから足し方がおかしいな——あ」


 帳面を逆さにしていた。


「……縦と横が逆でした。ごめんなさい、今のは間違いです」


「どちらにしても、投与量の増加と回復率の低下は変わりませんよ」


「そうなんですよね。……それが一番問題なんですよね」


 セラが帳面を正しい向きに直した。少しだけ顔が赤かった。


---


 市民区しみんくの路地に入ってから、遥が言った。


「強化調合V3というのは、何だと思いますか」


 セラが少し考えた。


聖脈剤せいみゃくざいの調合方法には、いくつかのバリエーションがあります。V3というのは——たぶん第三世代の改良版だと思います」


「改良の方向は」


「効果を高める方向か——持続時間を延ばす方向か、どちらかだと思います」


 遥はもう一つの可能性を考えた。


 投与量が増えている。回復率が下がっている。特定の周期で強化調合を使っている。


「依存性を高める方向に改良することは——できますか」


 セラが足を止めた。


 振り返ると、セラの顔から笑顔が消えていた。


「……どういう意味ですか」


「患者が通い続けるように、次の投与を求め続けるように——意図的に設計することは、技術的に可能かどうかだけを聞いています」


 セラが長い間、黙っていた。


「……できます。聖脈剤の調合に精通していれば」


「教会には、精通している人間がいますか」


「います。叔父様が——」


 セラが言葉を止めた。


「……叔父様が、調合研究の第一人者です」


---


 市民区の路地は静かだった。


 向こうから修道服の集団が歩いてくる。清浄姉妹会せいじょうしまいかいの姉妹たちだ。誰も顔を上げない。


 遥は何も言わなかった。


 セラが考えていた。


「……証拠が必要です」


「帳簿のコピーはありますか?」


「写してきました」


「大切にしてください」


 セラが遥を見た。


 いつも笑顔のセラが——今は違う顔をしていた。


「遥さんは——これが、意図的だと思いますか」


 答えを急がせるのは良くない。でも、正直に言うことが失礼だとも思えなかった。


「確認が必要です。でも——データは一致しています」


 セラが前を向いた。


「……叔父様に、直接聞きます」


---


 帰り道、遥はセラの横顔を見た。


 普段の猪突猛進とは違う表情だった。


 信じたくないものを前にして——それでも確かめようとする顔だ。


聖脈せいみゃくが変わった。変えられた。誰かが——ゆっくりと、気づかないように——】


 声が短く入ってきた。


 遥は空を見なかった。

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