表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転移した俺の覚醒度が測定不能だった  作者: 明日の今日
第二幕「覚醒度の代償」
20/25

第20話「扉はまだ閉じていない」

 遥は食器を洗っていた。


 誰かがやらないと誰もやらないので、悪夢夜の翌朝というのはこういう状態になる。残骸のように積み上がった皿。セラが大量に作った朝食の痕跡。全員が食べて、全員が寝落ちしていった食堂に、自分一人が残った。


「こういうのは誰かがやる仕組みですか」


 井戸水で食器を洗いながら聞くと、背後からイグニスの声が返ってきた。


「黙って洗え」


 遥は洗った。


---


 水を切って皿を棚に戻したとき、声がした。


「遥」


 ガルドールだ。


 振り返ると、老人が食堂の入口に立っていた。いつからそこにいたのか、分からない。


「小部屋へ来い。話をする」


---


 廊下に出たとき、もう一人が来た。


 リーセ・アーベントだ。


 観測器具の入った革袋を肩にかけ、眼鏡を押し上げながら廊下を歩いてくる。急いでいるわけでも、緊張しているわけでもない。ただ、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。


 遥を見て、それからガルドールを見て。


 一呼吸おいた。


「……私も話がある。院長も同席か」


「構わない」


 ガルドールが答えた。


 リーセの目が少し動いた。意外だったのかもしれない。遥も少し意外だった。


---


 三人で小部屋に入った。


 机と椅子が二つ。ランタンが一つ。


 ガルドールが壁に背を預けて腕を組む。リーセは机に革袋を置き、立ったままで遥を見た。


 沈黙。


「どちらが先ですか」


 遥が聞くと、ガルドールが視線だけで応えた。


「彼女が先だ」


 リーセが軽く目を細めた。肯定とも驚きとも取れない表情だった。


---


「学院には、公開していない記録がある」


 リーセが話し始めた。


 革袋から取り出したのは、薄い冊子だった。和紙に似た紙に細かい文字がびっしりと書かれている。インクの色が二色ある。黒と、赤。


「百五十年前の大啓示夜だいけいじやの後、学院は二十年かけて独自調査を行った。その報告書だ。当時の学院長が最高機密に指定した」


「なぜ非公開に」


「……記録の内容が、不都合だったから」


 リーセが冊子を机の上に置いた。


 遥は近づいて表紙を見た。


 古代文字で何かが書かれている。全言語理解の力が働いた。


 ——扉の残響に関する観測記録。第七次調査——。


「扉が、まだ閉じていない」


 声に出ると、リーセがわずかに息を吐いた。


「そうだ。大啓示夜だいけいじやから百五十年が経った今も、とびらは完全には閉じていない。学院長エリュシア・ヴォルテンは二十年前にそれを確認し、公開を禁じた」


「理由は」


「分からない。命令だった。私は五年前に記録の存在を知った。内容を理解したのは三年前だ」


---


 遥は冊子の最初のページを開いた。


 図が描かれている。同心円状の図形。中心に点が一つ。その点から細い線が複数、外側へ伸びている。線の先には、それぞれ別の記号。


「この図は」


とびらの断面図だ。大啓示夜だいけいじやの時点では中心が開いていた。現在は——」


 リーせが指で中心の点を示した。


「ほぼ閉じている。しかし、完全ではない」


「どのくらい漏れていますか」


「月相の悪夢夜に観測できる程度の微量だ。しかし——」


 彼女が一瞬、止まった。


「微量でも、百五十年漏れ続けている」


---


 沈黙が落ちた。


 遥は図を見続けた。


 微量でも、百五十年。


 市民区の堕聖体だせいたいが増えているのも、覚醒度インサイトが高い者が生まれやすくなっているのも、月相の悪夢夜の規模が少しずつ大きくなっているのも——全部この「漏れ」の蓄積だとしたら。


「学院長は、それを知っていて」


「ああ」


「公開しなかった」


「理由は分からない。ただ——公開していれば世界が動いていた。教会も、深淵盟しんえんめいも」


 ガルドールが壁から離れた。


 それだけで部屋の重心が変わる気がした。老人はリーセを一瞥し、それから遥を見た。


「お前は古代文字が読めると言っていたな」


「はい」


「その記録の後半を見てみろ。私には読めない文字がある」


---


 リーセが冊子の後半を開いた。


 途中からページの様子が変わっていた。整然とした文字の記録ではなく、一人の人間が書き殴ったような文字の列。インクが所々かすれている。筆圧が均一でない。


 これを書いた人間が焦っていたことが、字形に滲んでいた。


「これは」


「報告書の余白に書かれていた。誰かが後から追記した」


 遥は目を走らせた。


 ——扉は閉じない。とびらを最初から閉じようとした者が、今も閉じさせないようにしているから——


「……誰かが意図的に」


「続きを」


 遥は読んだ。


 ——次に来る者は気をつけろ。とびらの声を聞くことができる者は、必ず目をつけられる——


 視線が次の行に動いた。


 そこで——文章が止まっていた。


 行の途中で。


 まるで書いた人間が、書くことを止めさせられたように。


---


「誰が書いたのか分かりますか」


 遥が顔を上げると、リーせが答えた。


「筆跡の分析はしている。百五十年前の記録の中に同じ筆跡が一つだけある」


「それは」


「当時の観測士記録に名前がある。しかし——」


 彼女が眼鏡を押し上げた。


「その人物は大啓示夜だいけいじやの翌年、行方不明になっている。公式記録では死亡扱いだ」


 部屋が静かだった。


 ランタンの炎が揺れた。


 ガルドールが低い声で言った。


「……続きは明日だ。今夜は全員が疲れている」


「まだ聞くことがある」


「明日」


 リーせが一呼吸おいて、冊子を閉じた。


「……分かった」


---


 部屋を出ると、廊下にセラが立っていた。


「あの——」


 壁に背をつけて、両手を胸の前で組んでいる。扉が閉まる音を聞いていたのだろう。


「一緒に聞いていいですか、というのは、やはり……」


「聞いていいとは言っていない」


 ガルドールが一言だけ言って、廊下を歩いていった。


 セラが小さく「あう」と言った。


「……後で教えてください」


「後で話せることがあれば」


「ありますよね? 遥さんが聞いた話って、全部ちゃんと——」


「セラ」


 廊下の角から、イグニスが顔だけ出していた。


「昨夜の装備の手入れが残ってる」


「あっ」


 セラが走った。


---


 リーせが廊下に残った。


 遥が言った。


「一つだけ聞いていいですか」


「何だ」


「行方不明になった観測士。学院長は、その正体を知っていると思いますか」


 リーせが少し間を置いた。


「……知っている。おそらく」


「なぜ公開しないんでしょう」


「それが分かれば——」


 彼女が廊下を歩き始めた。


「最初から聞かない」


 遥はその背中を見ていた。


 廊下の突き当たりで、リーせが振り返らずに言った。


「明日。続きを話す」


---


 その夜、遥は古鍛冶場の屋根に上っていた。


 月が細い。悪夢夜の翌日は月がほとんど見えない。代わりに、星が多い。


 ——次に来る者は気をつけろ——。


 頭の中で、文章が繰り返した。


 百五十年前に誰かが書き残した警告だ。


 「次に来る者」とは誰を指していたのか。


 「目をつけられる」とは——誰に。


 そして、文章を途中で止めた何かは——今もどこかに、あるのか。


 屋根に風が来た。


 【知るたびに、声が近くなる。まだ——もう少しだ】


 空を見上げると、ありえない星座が一つ、また一つ、光っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ