第17話「悪夢夜前夜」
予約投稿は、予め定めてないとできないらしいですね。
初めて知りました。
はい、初めて。
三日前から、廃域の報告が変わり始めた。
堕聖体の出没数が倍になった。昼間の目撃が増えた。群れで動く場面が確認された。そして昨日——一体が壁の内側まで迷い込んだ。
今日、聖痕院は厳戒態勢に入った。
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古鍛冶場の食堂に、聖痕者全員が集められた。
イグニスが地図を広げた。「明日が悪夢夜だ」
正確には大啓示夜ではない。大啓示夜は百五十年前の歴史的惨事だ。こちらは月相が最も細くなる夜に堕聖体の行動が激化する、定期的な現象だった。聖痕院ではそれを「悪夢夜」と呼んでいた。
「廃域の出没数が通常の三倍以上になっている。壁内への侵入も増える見込みだ。全員、明日の夜明けまで待機」
返事はなかった。皆、黙ってうなずいた。
遥は地図を見た。廃域から古鍛冶場まで、直線距離で五百メートルほどだ。壁があるとはいえ、遠くはない。
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昼過ぎ、セラフィーナが来た。
両手に大きな袋を二つ持っていた。一つは食材だった。もう一つも、食材だった。
「非常食を用意しようと思って。悪夢夜は長くなることがありますから、食べるものがないと困るって——以前聖痕院の方に聞いて」
「……それ、何人分ですか」
「ええっと」
セラが袋を床に置いて、中を覗いた。豆の袋が五つ。乾燥肉が三固まり。根野菜が十個。芋の粉が二袋。乾燥果物がまた別の袋に山ほど入っていた。
「……少し計算を間違えたかもしれないです」
「何人分ですか」
「……三十人から、四十人くらい」
古鍛冶場の聖痕者は全員で十二人だった。
「セラさん。毎回——」
「捨てるのは嫌です! 食べればいいじゃないですか!」
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夕方、食堂が賑やかになった。
セラが鍋を二つ並べた。手伝いに入った若い聖痕者が二人、野菜を切り始めた。誰かが「この芋の粉、どうやって使うんですか」と聞き、「混ぜて揚げればいいんです!」と返ってきた。うまくいくかどうかは、そのときは分からなかった。
「スープうまっ」
「揚げたやつ、外がかりっとしてるね」
「もう一杯いいですか」
「どうぞ! まだ大量にあります!」
セラが鍋を持ったまま食堂を回っていた。笑顔が眩しい。普段は非常時の前日にこれほど騒がしくなることはない。でも食べ物があって人が集まると、どうしても声は上がる。
遥は端の席に座って食べていた。
気づいたら、隣にイグニスが座っていた。
いつ来たのかは分からなかった。皿を持っていた。食べていた。特に何も言わなかった。
セラが大きな鍋を運んできて、「あ、遥さんとイグニスさんも!」と言ってスープを足してくれた。その顔が少し嬉しそうだった。
遥は「ありがとうございます」と言った。イグニスは何も言わなかった。でも皿を差し出した。
食堂の喧騒の中で、壁際の二人のところだけが静かだった。
それでいい気がした。
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夜になって、食堂が静かになったころ。
ガルドールが遥を呼びに来た。「少し来い」
中庭に出て空を見ると、月が細かった。白い光が地面に薄く落ちている。風が止まっていた。
ガルドールが空を見たまま、少し間を置いてから言った。
「お前の力について、話す必要がある。ずっと先送りにしてきた」
遥は何も言わなかった。ずっとそれを待っていたから。
「だが今夜はまずい。明日の朝にする」
「……今夜、何かがある気がするのですか」
ガルドールが遥を見た。「何もないといいがな」
それだけ言って、中に戻っていった。
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部屋に戻っても、眠れなかった。
窓から空を見た。月が低い位置にある。異様に細い。
廊下の向こうで声がした。「学院から使者が来ました。観測術式に異常が——これは——」という声が続いて、扉が閉まった。
夜半を過ぎたころ。
空に光が走った。
星ではない。稲妻でもない。細い白い線が、一瞬だけ空に刻まれた——見えない何かが、高いところから地面へ向かって引いたように。それが消えて、また静かになった。
声が聞こえた。
夢の中ではなかった。覚醒度の声が、起きたまま、はっきりと響いた。
すべての声が、一瞬だけ同じことを言った。【扉が——】
遥は立ち上がった。
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警鐘が鳴った。
古鍛冶場の鐘が、短く。続けて、長く。また短く。繰り返し。
廊下が騒がしくなった。走る足音。装備をつける音。誰かが「東側だ!」と叫んでいた。
扉が開いた。イグニスだった。全ての装備を付けている。短刀が二本、腰にある。
「来るな」
「分かりました」
イグニスが一瞬、止まった。遥を見た。
「——ついてこい」
遥は荷物を掴んで走り出た。
夜明けは来なかった。
月相の悪夢夜は、予定より一日早く始まった。




