第14話「白骸廟の微笑み」
白骸廟は、聖区の中央にある。
市壁の最も内側——第一壁の内に建てられた、聖脈教会の本拠地神殿だ。白い石造りの外壁が高く、二本の塔が空に向かって伸びている。近づくにつれ、花に似た香りが漂ってくる。甘いが、どこか濃すぎる。
「では、案内します!」
セラフィーナが入口に立って振り返った。いつもより少しだけ声が明るい。緊張を隠している、と遥は思った。
中に入ると、天井が高かった。壁面に色ガラスの嵌め込み細工が並んでいて、昼の光が床に色を落としている。僧服の人間が廊下を無言で歩いていく。靴音が響かない。分厚い石畳がすべての音を吸っていた。
「大司教の部屋は……えっと、確かこっちで」
セラが左の廊下を進んだ。
しばらく歩いた。突き当たりに来た。
「……あれ」
振り返った。少し困った顔をしていた。
「こっちじゃなかったかもしれないです」
「地図はありますか」
「持っていないですが……神殿の中に案内図があったはずで——」
遥は壁を見た。廊下の端に、石板が埋め込まれていた。細かい文字が刻まれている。
「こっちです」
「……え、読めたんですか」
「古い字体ですが、読めます」
セラが石板を見た。「……わたし、ここ何度も来ているのに、これが案内図だと知りませんでした」
遥は何も言わなかった。
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大司教の執務室は、神殿の奥まった一室だった。
小さいが趣のある部屋だ。本棚、一脚の長椅子、窓の外の中庭が見える机。飾り気はないが、選ばれた物だけが置かれている感じがした。
ドアが開いて、人が入ってきた。
背が高い。銀灰色の髪を整えて、聖職者の白い式服を着ている。年齢は五十代半ばか。顔立ちは穏やかで、目が細い。セラと目が合うと、すぐに表情がほぐれた。
「セラフィーナ。久しぶりだね。顔色がいい」
「……お久しぶりです、叔父上」
「そちらが、転移者の——」
「霧島遥と申します」
大司教クロード・ヴァルモンは遥を見た。目が動いている。観察している。でも笑顔は崩れない。
「よく来てくれた。座りなさい」
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会話は穏やかに進んだ。
クロードの話し方は丁寧だった。転移の経緯を聞き、遥が答えると、「それは大変だったね」と言った。聖痕院に世話になっていると聞くと、「ガルドール老師には昔から世話になっている」と言った。
型通りの一時間が過ぎたころ、クロードが机の引き出しから小さな瓶を取り出した。
「一つ、提案がある」
瓶の中の液体は、青みがかっていた。普通の聖脈剤より色が深い。
「転移者は、異世界の存在だ。この世界の聖脈に対する耐性が、どうしても低くなる——それが記録に残っている。これは高純度の聖脈を精製したもので、身体への適応を助ける。定期的に投与すれば、体が安定するはずだ」
遥は瓶を見た。色が深すぎる。
「ありがとうございます。ただ、お断りします」
笑顔が動かなかった。
「理由を聞いてもいいかな」
「体の調子が問題ないので。必要になったら改めてご相談します」
「そうか」
クロードは瓶を机の上に置いた。「いつでも来なさい。扉はいつも開いている」
その一言が、妙に長く耳に残った。笑顔のまま言われた「いつでも」は——諦めた言葉ではなく、待ち続けるという意思に聞こえた。
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帰り道、別の廊下を通った。
重い扉の前で、遥は足を止めた。
扉の奥から、音がしていた。
規則的な音だ。でも機械ではない。リズムが遅すぎる。何かが、ゆっくりと動いている——もしくは、呼吸している。
「あそこは何ですか」
「……聖脈精製室です。聖脈剤を作る場所で、立ち入りは制限されていて——」
セラが言葉を止めた。
二人ともしばらくその音を聞いた。
誰も廊下を通らなかった。この扉の前だけ、空気が重かった。
「行きましょう」とセラが言った。遥は頷いた。
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神殿の外に出ると、セラが少し歩調を落とした。
「……叔父上は、ずっと優しい人です」
遥は聞いた。
「子どものころから、わたしの話をよく聞いてくれて、何かあるたびに助けてくれて。教会の仕事もあの人に誘われて始めて……」
「でも」と遥は言った。
セラが少し驚いた顔をした。
「……でも、最近は、何を考えているのか分からなくなってきました。笑顔がずっと変わらないのに——その奥が見えない」
遥は何も言わなかった。セラも続けなかった。
しばらく二人で歩いた。
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神殿の回廊に差し掛かったとき、遥は見た。
柱の陰に、人が立っていた。
金髪。金色の瞳。道化師めいた色とりどりの衣装。神殿の中にいるのに、まるでそこだけ外の光が当たっているような明るさがある。
遥の隣でセラフィーナは、まっすぐ前を見て歩いている。気づいていない。
人物が遥を見た。
笑っていた。知った人間に再会したような、自然な笑顔で。
そして、言った。
「あなたが来るのを、ずっと待っていましたよ——霧島遥さん」




