第13話「血と信仰の狭間」
週に二度、セラフィーナは血施院に顔を出す。
聖脈教会が管理する治療施設だ。聖脈を精製した薬液で患者を治療し、壁内住民への定期投与を行う窓口でもある。セラは清浄姉妹会の一員として、受付業務と患者対応の補助を担っていた。
遥は今日、付き添いで来ていた。
入口の前に列ができていた。
先月より長い。先先月よりもっと長い。
「増えていますね」
「……最近は多くて」
セラが少し間を置いて答えた。
列の顔を、遥は一人ずつ見た。老人。中年の男。子ども連れの女性。全員が静かに待っている。焦りも怒りも不満もない——ただ、待つことに慣れた顔をしていた。
---
院内は白い石壁と木製の長椅子だけの質素な空間だ。
投与を終えた老人が席に戻ってきた。顔色は少し戻っていた。でも目の奥が——まだ遠かった。
「セラさん、投与量が増えていませんか」
遥が小声で聞くと、セラは手元の書類から視線を上げなかった。
「……教会が調整しています。段階的に量を増やすことで、堕聖への耐性をつけていくと」
「でも、量が増えるたびに依存も強くなっているように見えます。あの列は——」
「教会は人々を助けています」
セラが書類を持ったまま言った。
静かな声だった。守ろうとするときの声だった。
遥は何も言わなかった。セラも続けなかった。しばらく、二人のいる受付だけが静かだった。
---
昼時、廊下の長椅子で老人の患者が食事の器を持ってうなっていた。
「毎日同じ煮物だ。味気ない。歳をとってから体の具合は悪くなる一方なのに、これを食わされるのか」
遥は少し考えた。「作れるかもしれないです」
セラが不安そうに顔を向けた。「遥さん、料理ができるんですか」
「少しは。元の世界では一人暮らしだったので」
「こっちの食材を使ったことは……」
「なんとかなります」
院内の小さな調理場を借りて、遥は棚を開けた。穀物、根菜、薬草に近い葉、出汁に使えそうな乾物。
——とりあえず、米に近い何かで温かいものを、と思った。
穀物は白くて細長い。見た目は米に似ていた。加熱したら固まらずに、ぬるっとした膜になった。
根菜は硬い。どれだけ煮ても芯が残った。
香りが近い気がした紫色の葉を入れたら、鍋の中身が全体的に黄色に変色した。
遥は完成したものを見つめた。
黄色みがかった、妙な粘り気のある何かだった。
老人が一口食べ、遥を見た。
「……食えなくはない」
「すみません」
「苦いが、食えなくはない。元のよりはましだ」
横でセラフィーナが、笑いをこらえながら書類を持っていた。肩が小刻みに震えている。
「笑っていいですよ」
「笑ってないです!」
絶対に笑っていた。
---
夜、古鍛冶場の前の路地に、聖脈騎士団の巡回が来た。
聖脈教会の実働部隊だ。白を基調とした鎧に、胸に教会の紋章。三人一組で市内を巡回し、壁内の治安維持を名目に各地を回る——が、実際には教会の勢力圏確認を兼ねているとも言われる。セラから聞いた話だ。
騎士の一人が古鍛冶場の扉の前で立ち止まった。
「聖痕院の者に確認がある。壁外廃域の深部に立入禁止区域がある。近ごろ、その周辺に踏み跡が確認された。聖痕院の関与か」
応答したのはイグニスだった。腕を組んで扉に背を預けたまま、「点検任務の範囲内だ」とだけ言った。
「範囲内、とは」
「聖痕院の管轄区域だ。文句があれば院長を通せ」
沈黙。騎士がイグニスを見た。イグニスは視線を返さなかった。
騎士が踵を返した。「……覚えておけ」
イグニスは何も言わなかった。扉に背を預けたまま、騎士たちが路地の角を曲がるまで目で追った。
遥は少し離れたところから見ていた。「踏み跡」というのが自分とイグニスのものだと、すぐに分かった。
---
深夜近く、別の訪問者が来た。
騎士ではなかった。白い修道服を着た使者が、丁寧に頭を下げて書簡を差し出した。
「大司教クロード・ヴァルモンより、霧島遥殿へ。お時間をいただけるなら、白骸廟にてお会いしたい、とのことです」
遥は書簡を受け取った。文字が読める。内容は使者の言った通りだった。
セラが隣にいた。
遥が書簡を持ったまま振り返ると——セラの顔が、いつもと違った。
声に出さない何かが、顔に出ていた。不安というより、もっと深いもの。何かを覚悟しているような、あるいは何かを恐れているような顔だった。
あれだけ表情が豊かな人間が、こんなに静かな顔をする。
「セラさん、大丈夫ですか」
一拍の間があった。「……はい。大丈夫です」
大丈夫ではないと分かった。でも遥は、それ以上聞かなかった。




