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氷食症  作者: 篝乃逢音


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8/9

第8話:習慣

 その日は珍しく、朝から大学へ行った。教室の後ろの席に座り、適当にノートを開く。教授の声は相変わらず眠気を誘った。


 ある人は講義に集中していて、ある人はスマホを見ていて、目の前の人は居眠りをしている。


 みんな、ちゃんと日常を生きているように見えた。僕だけが、その輪郭から少しだけ外れている。


 そんなことを考えながら、何気なくスマホを開く。眠気覚ましにニュースを眺めていると、見覚えのある文字があった。


 ―――氷食症ひょうしょくしょう


 僕は思わず記事を開く。


 そこには、氷を大量に食べ続けてしまう症状について書かれていた。鉄欠乏性貧血やストレスが原因になることが多いらしい。


 氷を噛むことで不安を紛らわせたり、落ち着きを得たりする人もいる、と。


 画面をスクロールする指が止まる。氷を食べることで、何かを埋めようとする⋯⋯その文章を見た瞬間、彼女の横顔が浮かんだ。


 コンビニの光の下で、静かに氷を噛む姿。


 カラン、という乾いた音。


 あの音は、何かが欠けている音だったのだろうか。でも、僕にはどうしてもそうは思えなかった。彼女に足りなかったものは、本当に鉄分だったのだろうか。


 もっと別の、名前のつかない何かだったような気がする。


 講義が終わる頃には、空はすっかり暗くなっていた。結局、その日の講義内容はほとんど覚えていない。


 帰り道、コンビニへ向かう。


 もう習慣になってきたようだ。


 行かなければ落ち着かないし、でも、行ったところで何かが変わるわけでもない。


 それでも足は自然とそこへ向かう。また店の前には誰もいなかった。


 僕は缶コーヒーを買って外へ出る。夜風が少しだけ冷たい。彼女がいた場所を見る。もちろん、誰もいない。でも、そこにはまだ氷の音が残っている気がした。僕はベンチに座り、缶コーヒーを開ける。


 何故かくるしかった。


 そういえば、彼女が何を飲んでいたのかも知らない。


 好きな食べ物も、好きな音楽も、何も知らない。知っているのは、氷を食べる音だけだった。


 それなのに、僕は彼女のことを知っているような気になっていた。


 少しだけ口元が緩む。


 人を知るというのは、案外、そんなものなのかもしれない。


 あるいは、僕が勝手に物語を作っていただけなのか。


 そのとき、自動ドアが開く音がした。反射的に振り返る。知らない人だった。僕はまた前を向く。


 コンビニの白い光が、アスファルトの上に滲んでいた。


 その光を見ながら、ふと思う。もし彼女がもう来ないのだとしても。もし最初からいなかったのだとしても。


 たぶん僕は、これからも夜になるたびにここへ来るのだろう。


 そして、夜は静かだった。


 静かすぎて、どこかでカラン、と音がした気がした。

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