第9話:記録
その日、僕は部屋の掃除をしていた。
掃除といっても、床に散らばったペットボトルを捨てたり、机の上に積み上がったプリントをまとめたりする程度のことだ。試験が近いわけでもないのに、急に部屋を片づけたくなる日がある。
たぶん、何かを探しているのだと思う。
その何かは自分でもわからない。
机の引き出しを開けると、レシートが何枚か出てきた。ほとんどがコンビニのものだった。
日付を見る。
六月。七月
どれも深夜の時間帯ばかりだった。
ミネラルウォーター、缶コーヒー、菓子パン。自分が何を買っていたのかは覚えていないのに、レシートだけは律儀に残っている。
僕は一枚一枚をぼんやり眺めた。
その中に、あの少女の痕跡があるような気がしたからだ。
もちろん、そんなものはどこにもなかった。レシートには商品の名前と値段しか書かれていない。そこに、氷を噛む音は記録されない。
僕はスマホを手に取る。写真フォルダを開く。もしかしたら、夜に写真を撮った時に偶然写っているかもしれないと思ったからだ。
コンビニの前の夜景。
散歩中に撮った空。
意味もなく撮った道路。
そんな写真を一枚ずつ見ていく。けれど、彼女はどこにもいなかった。最初から写っていなかったのか、それとも見落としているだけなのか。自分でもわからなくなる。
そういえば、彼女の顔を鮮明に思い出そうとしたことがなかった。
僕は目を閉じる。髪は長かっただろうか。短かっただろうか。目はどんな形をしていたのだろう。笑った顔は?声は?
思い出そうとするたびに、輪郭がぼやけていく。不思議だった。あれだけ会っていたはずなのに。あれだけ夜を共有したはずなのに。
僕が覚えているのは、コンビニの白い光と、氷の音だけだった。
カラン。
頭の中で音が鳴る。それだけは、妙にはっきりしていた。
夜になると、数日ぶりにあのコンビニへ向かった。
店の前には誰もいない。
僕はそのまま店内へ入る。飲み物を手に取り、レジへ向かう。会計を済ませようとしたとき、不意に口が動いた。
「最近、あの……氷をよく買ってた女の子、見ませんか?」
言ったあとで、少し後悔した。そんなことを聞く自分が、少しだけ気恥ずかしかった。
店員は一瞬だけ考えるような顔をした。
「氷⋯⋯ですか?」
「えっと、よく夜に来てた女の子で」
店員は首を傾げた。
「うーん、ちょっとわからないですね」
それだけだった。
僕は「そうですか」とだけ返す。
店員はすぐに次の客の対応へ移った。
たぶん、それが普通なのだ。
僕だけが、何かを考えすぎている。
コンビニを出る。
夜風が髪を撫でた。
そしていつもの場所を見る。誰もいなかった。
僕はポケットからスマホを取り出した。
そのまま、コンビニの前にカメラを向ける。
誰もいないはずの場所だった。
それでも、そこには誰かが立っている気がした。理由はわからない。ただ、残しておきたかった。
シャッター音が小さく鳴る。
画面には、ただの夜のコンビニが映っているだけだった。人もいない。影もない。それなのに、なぜか、そこに誰かがいた後のように見えた。僕はその写真を、消さずに残した。
そして、写真のタイトルに、こう打ち込んだ。
――氷を食べる少女。
それだけを書いて、手が止まる。名前を書く欄は、最後まで空白のままだった。




