第5話:いない
その夜、コンビニには彼女がいなかった。
その夜の空気はぬるくて、夏の終わりみたいな匂いがした。まだ八月にもなっていないのに、もう少しだけ季節が先に行っている気がする。
コンビニの光はいつも通り白くて、少しだけ痛かった。
自動ドアが開く音がして、中に入る。冷房の風が肌に触れて、そこでようやく「いつもと違う」ことを理解する。
彼女がいない。
ただそれだけなのに、店の中が少し広く見えた。
いつも彼女が立っていた場所を見ないようにしながら、飲み物の棚の前を通り過ぎる。特に何も買うつもりはなかったのに、手は無意識に氷のカップを探していた。
氷のカップを手に取る。今日は彼女が食べていた氷を肌で感じようと思ったのだ。
レジには同じ店員が立っていた。名前も知らないその人は、何も変わらない顔で「いらっしゃいませ」と言った。
僕も何も言わずに会釈だけして、店内を一周した。
彼女がいないコンビニは、ただのコンビニだった。
当たり前のことなのに、その言葉が少しだけ気持ち悪かった。
外に出ると、夜が少し重くなっていた。
さっきまで気づかなかった音が急に聞こえる。遠くの車、誰かの笑い声、虫の声。
全部が少しだけ現実的すぎて、居心地が悪い。
帰ろうと思ったのに、足は動かなかった。
気づけば、コンビニの前に立ったままになっていた。
何を待っているのか、自分でもわからない。
ただ、もう一度ドアが開いて、彼女が出てくる気がした。
でも、そんなことはなかった。時間だけが少しずつ流れていく。
どこかで誰かがコンビニのドアを開けて、また閉じる。知らない人たちが、知らない夜を普通に使っていく。そんな感覚。
ただその中に彼女はいない。それだけが急に、はっきりしてしまった。
僕はポケットに手を入れて、スマホを取り出した。特に誰かに連絡をするわけでもなく、画面を開くだけ。
通知は何もない。
当たり前すぎて、少し笑えた。
結局、僕は何も知らないままだ。
名前も、年齢も、どこに住んでいるのかも。なぜ氷を食べるのかも。ただ、毎晩そこにいる人だった。それが当たり前になっていたのだ。それだけで十分だったはずなのに、いなくなると何も残らない。
コンビニの光をもう一度見てから、ようやく歩き出す。帰り道はいつもより長く感じた。
途中で、同じコンビニを振り返る。まだ光っている。でも、そこに彼女がいる理由はもうどこにもない。
歩きながら、ふと考える。あの人は本当に《《いた》》のか。それとも、毎晩少しだけ眠れない僕が夢を見ていただけなのか。
答えは出ないまま、夜だけが続いていく。ポケットの中で、手が少し冷たくなっていた。




