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氷食症  作者: 平井ララライ


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第2話:眠れない理由

 次の日も、眠れなかった。時計の針は午前2時を回っている。


 天井を見つめる。


 スマホを見る。


 本を開く。


 水を飲む。


 それでも眠気は来ない。


 

 少し開けた窓の外から夜風が入ってくる。湿った空気だった。


 海なんてない街なのに、今夜もどこか海の匂いがする。


 僕は諦めてベッドから起き上がった。


 パーカーを羽織り、財布だけ持って家を出る。


 目的地は決まっていた。眠れない夜になると、いつも行くあのコンビニ。そして、今夜はもう一つ理由があった。


 昨日の少女がいるかもしれない。


 その考えが頭をよぎる。それに対し、自分でも少し驚いた。


 名前も知らない。一言も話していない。それなのに、気になっている。


 昨日、ほんの一瞬だけ目が合った時のことを思い出す。


 街灯の光を映した瞳は、不思議なくらい綺麗だった。


 何色だったのかも思い出せない。


 ただ、あの瞳だけが妙に頭に残っていた。


 眠れない夜に見た夢みたいに曖昧なのに、なぜか忘れられない。


 僕は小さく息を吐き、夜道を歩いた。


 コンビニの光が見えてくる。白い光が夜の中にぽつんと浮かんでいた。


 そして店の前に目を向ける。


 思わず足が止まった。


 昨日と同じ場所に、少女はもたれかかるように立っていたのだ。


 そして今日も少女は氷を噛んでいた。


 カラン。


 小さな音が夜の街に響く。


 僕は店に入り、ホットコーヒーを買った。本当は飲みたくなんかない。ただ、何も買わないのも変な気がした。


 会計を済ませて外へ出る。少女との距離は三メートルほど。


 すごく近い。


 でも、話しかけるには遠かった。そうして僕は右にずれて少女から少し離れた場所に立つ。


 少女は僕に気づいているようだった。けれど、少女はずっと前を見つめ何も言わない。風だけが吹いている。遠くでトラックの音がした。ずっと沈黙が続く。


 先にその沈黙に耐えられなくなったのは僕だった。


 「……それ、美味しいの?」


 言った瞬間、後悔した。


 もっとマシな話題があっただろう。それでも不思議そうに少女は僕の方を見た。そして、少しだけ笑った。


 「別に」


 はじめて声を聴いた。すごく柔らかい声だった。周りを包み込むようなそんな優しい声。生まれてからずっと聴いている母のようなそんな安心感のある声だ。


 そんな風に考えていた僕は少女の視線に気づき、急いで会話を続けた。


 「じゃあなんで食べてるの」


 「眠れないからだよ」


 「⋯…氷を?」


 「うん」


 少女は頷く。


 そしてまた氷を口に入れた。


 カラン。


 冷たい音。


 「変かな?」


 少女が聞く。


 「少し」


 「素直だね」


 そう言って笑う。僕も少しだけ笑った。


 その時だった。


 「君も眠れないの?」


 少女が僕に訊いた。


 不意打ちだった。返答も準備していないまま僕は答える。


 「まぁ」


 「だからここに来るんだ」


 「たぶん」


 本当は違う⋯⋯ここへ来た理由は、半分くらいこの少女だった。でも、そんなことは恥ずかしくて言えない。


 そして少女は空を見上げる。雲ひとつない夜空だった。


 「朝って嫌い」


 ぽつりと言った。


 「なんで?」


 「全部現実になるから」


 その言葉が妙に耳に残った。いつでも現実になるんだけど、夜だけ現実味がないのはわかる。ここに来ているのだって現実逃避のようなものだ。


 それでも僕は返事ができなかった。


 言いたいことはあった。でも、その言葉はどれも違う気がした。


 朝になれば大学へ行く。誰かと話す。笑う。ちゃんと生きる。


 それが苦しいと思っていることを、今まで誰にも言えなかった。


 少女は答えられない僕を前に、まだ言葉を続ける。


 「夜はまだ逃げられる気がするの」


 カラン。また氷の音がする。


 「朝になると、ちゃんと生きなきゃいけないでしょ」


 僕は少し考えてから言った。


 「それはわかるかも」


 僕が笑うと、少女は驚いたようにこちらを見る。そして、少女も嬉しそうに笑った。初めて見る笑顔だ。


 初めて、自分の中にあった言葉を誰かに見つけられた気がした。


 そして、気づけば、明日の夜もここへ来る理由ができていた。

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