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老人  作者: かおるこ
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日本のロックスターはどこへ行った

日本のロックスターはどこへ行った


 六月の蒸し暑い夜だった。


 ひだまり荘の二階。


 坂本栄治は風呂から上がったばかりだった。


 イオンで買ったお気に入りのパジャマを着ている。


 濃紺に白い細い縦縞。


 襟付き。


 胸ポケット付き。


 たかがパジャマなのに少しだけ上等な気分になる。


 冷蔵庫から麦茶を取り出した。


 氷を入れる。


 からん、と音がした。


 一気に飲む。


 冷たさが喉から胸へ落ちていく。


「生き返る……」


 夕飯は鯖の味噌煮だった。


 冷奴。


 きゅうりの浅漬け。


 わかめの味噌汁。


 ご飯は少なめ。


 最近は食べ過ぎないようにしている。


 食後の薬も飲んだ。


 忘れると翌日が面倒だ。


 パソコンを開く。


 古いデスクトップだ。


 起動に時間がかかる。


 最近は画面が真っ黒なまま固まることもある。


「頼むぞ」


 栄治は祈る。


 パソコンが唸る。


 なんとか立ち上がった。


「よし」


 勝った気分だった。


 動画サイトを開く。


 最近は音楽ばかり見ている。


 外国のミュージシャン。


 昔のライブ。


 巨大な会場。


 意味不明なほど元気な老人たち。


 今日も何か面白いものはないか。


 そう思いながら画面を見ていた。


 すると芸能ニュースが表示された。


 栄治は目を細める。


「あれ?」


 記事を開く。


「嵐?」


 思わず声が出た。


 国民的人気グループ。


 活動休止していたはずだ。


 ライブをやったらしい。


 栄治は椅子にもたれた。


「すげえな」


 しばらく画面を見る。


 若い頃の映像も出てくる。


 歓声。


 ペンライト。


 何万人もの観客。


 栄治は感心した。


「やっぱ人気者は違うなあ」


 だが次の瞬間。


 妙なことを考えた。


「でもなあ……」


 麦茶を飲む。


 氷が溶けている。


 窓の外では虫が鳴いていた。


「日本って長寿国だろ」


 独り言だった。


「なのに、年取ってライブしてる人って意外と少なくね?」


 ふと首を傾げる。


 海外の映像では七十代。


 八十代。


 下手するとそれ以上。


 そんな人たちが平気な顔でステージに立っている。


 ギターを弾く。


 歌う。


 飛び跳ねる。


 世界中を移動する。


 なのに日本ではどうだろう。


 もちろんいる。


 いるのだが。


 真っ先に思い浮かんだのは一人だった。


「永ちゃんか」


 栄治は笑った。


「まず永ちゃんだよな」


 革ジャン。


 リーゼント。


 タオル投げ。


 日本中のファンが知っている。


 年齢を重ねても現役。


 あの人も十分化け物だった。


 その時。


 玄関が鳴った。


 こんこん。


「坂本さん?」


 結衣だった。


「おう」


 ドアを開ける。


「また音楽ですか?」


「また音楽だ」


 結衣は笑った。


「好きですねえ」


「最近面白いんだ」


 結衣が座卓の前に座る。


 栄治は麦茶を出した。


「何見てたんです?」


「嵐」


「へえ」


「でな」


 栄治は真面目な顔になった。


「日本は長寿国なのに、年取ってライブしてる人少なくないか?」


 結衣は一瞬考えた。


「うーん」


「だろ?」


「確かに海外の人って元気なイメージありますね」


「だろ?」


「でも永ちゃんとかいるじゃないですか」


「やっぱり永ちゃんだよな」


 二人で笑う。


 その時。


 また玄関が鳴った。


 こんこん。


 大河内だった。


「最近ここに来ると飯が出ると聞いた」


「誰が言った」


「俺の勘だ」


 勝手に入ってくる。


 いつものことだった。


「何の話だ」


 大河内が聞く。


「日本のロックスターだ」


「急だな」


「年取ってライブしてる人」


 大河内は少し考えた。


「永ちゃん」


「だよな!」


 栄治は机を叩いた。


 結衣が吹き出す。


「二人とも同じ!」


「だって永ちゃんだろ」


「永ちゃんですね」


 三人で笑う。


 窓の外では夜風が吹いていた。


 紫陽花が揺れている。


 遠くで電車の音が聞こえた。


 栄治はふと思った。


 若い頃。


 六十七歳なんて老人だと思っていた。


 人生の終盤。


 静かな余生。


 そんなイメージだった。


 だが実際になってみると違う。


 まだ知らない音楽がある。


 まだ知らない世界がある。


 まだ驚くことがある。


 今日だってそうだ。


 嵐の話から始まって。


 永ちゃんの話になって。


 気づけば三人で笑っている。


 それだけで十分楽しい。


「なあ」


 栄治が言った。


「何だ」


 大河内が答える。


「俺たちもライブやるか」


 結衣が麦茶を吹きそうになる。


「何の!?」


「ひだまり荘フェス」


「絶対嫌です」


「俺も嫌だ」


 大河内も即答した。


 三人で大笑いする。


 笑い声が六畳一間に広がった。


 栄治は窓の外を見た。


 夜空には星が一つだけ見える。


 人生は思ったより短い。


 でも。


 思ったより長い。


 少なくとも今夜はそう思えた。


 そしてパソコンの向こうでは、また誰かがステージの上で歌っていた。



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