第19話 おれもまだまだ
第19話 おれもまだまだ
夜だった。
風呂上がりの栄治は、イオンで買った紺のパジャマを着ていた。
薄いストライプ入りで、さらっとしている。最初は気恥ずかしかったが、最近少し気に入ってきた。襟があるだけで、「今日は終わりです」という感じがする。
エアコンは二十七度。
それでも少し暑い。
扇風機を弱で回しながら、栄治は座卓の前に胡坐をかいた。
夕飯は焼き鮭だった。
小松菜のおひたし。冷奴。味噌汁には茄子を入れた。麦茶のコップには氷が浮いている。
最近、自分でも少し驚くくらい、ちゃんと食べていた。
ノートパソコンを開く。
昨夜見つけたEarth, Wind & Fireが、頭から離れなかった。
「なんなんだよ、あいつら……」
栄治は笑いながら検索する。
すると、ライブ日程が出てきた。
「えっ」
思わず前のめりになる。
『6月3日 ニューヨーク』
『6月13日 ホノルル』
『6月24日 セントポール』
「はあ!?」
栄治は画面を凝視した。
「なんだこの活動量!」
思わず声が出る。
しかも、まだライブやってる。
今も。
普通に。
「いくつだよ、こいつら……」
パジャマ姿のまま呆然とする。
ニューヨーク。
ホノルル。
セントポール。
地名の距離感だけで疲れる。
「俺なんかラジオ体操で息切れしてるのに……」
そう呟いて、自分で笑ってしまった。
だが、なんだか妙に元気が出た。
七十代だか八十代だか知らない連中が、アメリカ中飛び回って、ラッパ吹いて、踊ってるのだ。
しかも、めちゃくちゃ楽しそうに。
「化け物だろ……」
栄治は柿ピーを口へ放り込んだ。
玄関がこんこん鳴る。
「坂本さん?」
結衣だった。
「おう、入れ」
結衣はコンビニ袋を提げていた。今日は白いノースリーブに、ゆるいカーキのパンツ姿。髪を後ろで雑にまとめている。
「また見てるんですか、アースなんとか」
「アース・ウィンド・アンド・ファイアーだ」
「長い」
「見ろこれ」
栄治は画面を指差した。
「まだツアーやってんだぞ」
結衣が覗き込む。
「えー!」
「しかもこの移動距離」
「元気ですね……」
「いや元気とかのレベルじゃないだろ」
栄治は笑った。
「ニューヨーク行って、ホノルル行って、また別の州だぞ?」
「私でも嫌です」
「だろ?」
二人で笑う。
パソコンの画面ではライブ映像が流れていた。
ホーン隊。
ギター。
ベース。
客席総立ち。
みんな踊ってる。
そして本人たちが一番楽しそうだった。
「なんなんだろうな」
栄治はぽつりと言う。
「何がです?」
「年取ってる感じしない」
結衣は少し考える。
「でも、体はきついんじゃないですか?」
「そりゃそうだろうな」
「なのにやってるのがすごい」
「そう」
そこだった。
若いなら分かる。
だが、もう十分生きた年齢なのに、まだ前へ出てくる。
まだライブをやる。
まだ移動する。
まだ観客を沸かせる。
「なんかさ」
栄治は麦茶を飲んだ。
「最近、“老後”って言葉ばっか聞くだろ」
「聞きますね」
「静かにしろ、縮こまれ、みたいな感じ」
「うん」
「でもこいつら、真逆なんだよ」
画面の中では、客席が総立ちになっていた。
手を振り上げている。
笑っている。
汗だくで。
「まだ行くのかよ、って感じ」
結衣は笑った。
「坂本さん、ちょっと元気出てません?」
「出るだろ、これ見たら」
「たしかに」
栄治はパソコンを見つめる。
最近、考えることといえば、
病院。
食費。
家賃。
孤独死。
そんなことばかりだった。
だが、世界には七十過ぎても飛行機で移動して、ステージ立ってる連中がいる。
「……おれもまだまだだな」
ぽろっと口から出た。
結衣が、少し嬉しそうな顔をした。
「いいですね、その感じ」
「え?」
「前の坂本さん、“もう終わり”みたいな顔する時あったから」
栄治は苦笑した。
「してたか」
「してました」
外では、誰かが階段を上がる音がした。
夏の夜の湿った空気。
遠くでバイクの音。
ひだまり荘のどこかの部屋から、テレビの笑い声が漏れている。
栄治は急に腹が減った。
「なんか食うか」
「え、今から?」
「ちょっとだけ」
冷蔵庫を開ける。
豆腐。
きゅうり。
昨日の残りの小松菜。
栄治はきゅうりを切った。
包丁の音が、夜の部屋に小さく響く。
味噌をつけて齧る。
しゃくっ、と音がした。
「あー、うまい」
結衣が笑う。
「単純」
「単純でいいんだよ」
パソコンの中では、まだ派手な音楽が鳴っている。
ホーンが響くたび、栄治の肩も少し揺れた。
六十七歳。
イオンのパジャマ姿。
夜中に外国のバンド見て興奮して、味噌きゅうり食ってる。
なんだか変だった。
でも、その変な感じが、妙に生きてる気がした。




