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第4話 ただいま、親父

魔王城の門が、ゆっくりと開いた。


重い音が、薄暗い空に響き渡る。


「……いよいよだな」


ロイが剣を握り直した。


「ああ」


アルトは目の前の城を見上げた。


旅立ちの日から、もう五ヶ月近くが過ぎていた。


長かった。


何度も死にかけた。


何度も、帰りたいと思った。


それでも、ここまで来た。


「……アルト」


ティアが声をかける。


「大丈夫?」


「ん?」


アルトは振り返った。


そして、いつものように笑った。


「当たり前だろ!」


ロイが呆れたように息を吐く。


「お前、本当に緊張感ないよな」


「あるって! めちゃくちゃある!」


「そうは見えないけどな」


「うるせえ!」


ティアが小さく笑った。


アルトは二人を見た。


「……なあ」


「何だ?」


「絶対、三人で帰ろうな」


ロイは少しだけ目を細めた。


「ああ」


ティアも頷く。


「うん。約束だよ」


三人は顔を見合わせた。


そして、城の中へ足を踏み入れた。


◇


魔王城の内部は、静まり返っていた。


長い廊下。


高い天井。


壁には青白い炎が灯り、足音だけが不気味に響く。


「……嫌な感じだな」


ロイが呟いた。


「そうだな」


アルトは剣を抜いた。


そのとき。


廊下の奥から、低い声が響いた。


「……よく来たな、勇者よ」


三人は足を止めた。


巨大な扉が、ひとりでに開いていく。


その向こう。


玉座に、一人の男が座っていた。


黒い鎧。


長い銀髪。


そして、冷たい赤い瞳。


魔王だった。


「……お前が魔王か」


アルトが剣を構える。


「いかにも」


魔王は静かに立ち上がった。


「人間の勇者よ。ここまで辿り着いたことは褒めてやろう」


「そりゃどうも」


アルトは笑った。


「でも、悪いな。褒めてもらいに来たわけじゃないんだ」


魔王の瞳が細くなる。


「……ほう?」


「お前を倒して、帰るために来た」


アルトは一歩踏み出した。


「親父が待ってるんでな」


その言葉に、魔王は小さく笑った。


「……帰れると思っているのか?」


「ああ」


アルトは迷わず答えた。


「絶対にな」


◇


戦いは、凄まじいものだった。


魔王が腕を振るう。


黒い炎が床を走り、三人に襲いかかった。


「散れ!」


ロイの叫びに、アルトとティアが左右へ跳ぶ。


炎が床を砕き、熱風が吹き荒れた。


「ティア!」


「うん!」


ティアが杖を掲げる。


「光よ、我らを守りたまえ!」


淡い光が三人を包み込んだ。


アルトはその隙に駆け出した。


「うおおおっ!」


剣を振り下ろす。


だが、魔王は片手で受け止めた。


「……遅い」


「っ!」


次の瞬間。


アルトの体が、壁まで吹き飛ばされた。


「アルト!」


ロイが叫ぶ。


「……っつ!」


アルトは歯を食いしばって立ち上がった。


「……まだまだ!」


再び剣を構える。


ロイが横から斬りかかった。


ティアが支援魔法を重ねる。


三人は何度も攻撃を繰り返した。


しかし、魔王は倒れなかった。


「……くそっ!」


ロイが肩で息をする。


「こいつ、強すぎる……!」


「諦めんな!」


アルトが叫んだ。


「ここまで来たんだろ!」


魔王が笑う。


「愚かな人間どもよ。貴様らの力では、我を倒すことなどできぬ」


「……うるせえ!」


アルトは剣を握り直した。


「まだ終わってねえ!」


そのとき。


魔王の瞳が、ティアを捉えた。


「……まずは、貴様からだ」


黒い槍が、魔王の手に生まれた。


「……っ!」


ティアが息を呑む。


魔王は一瞬で距離を詰めた。


「ティア!」


ロイが叫ぶ。


だが、間に合わない。


鋭い槍が、ティアの胸元へ迫る。


その瞬間。


「……させるかよ!」


アルトが飛び込んだ。


ティアを突き飛ばす。


そして。


黒い槍が、アルトの胸を貫いた。


「……え?」


ティアの声が震えた。


時間が、止まったようだった。


アルトはゆっくりと視線を落とした。


胸から突き出た、黒い槍。


その周囲を、赤い血が染めていく。


「……あ」


口から、血がこぼれた。


「アルトォォォッ!」


ロイの叫びが響いた。


魔王が槍を引き抜く。


アルトの体が、崩れ落ちた。


「……アルト……?」


ティアが駆け寄る。


「いや……いやだ……!」


震える手で、アルトの体を抱き起こした。


「お願い……目を開けて……!」


アルトの瞳は、虚ろだった。


呼吸が、浅い。


指先から、力が抜けていく。


「……ティ……ア……」


かすれた声が漏れた。


「……無事……か……?」


「……っ!」


ティアの目から涙がこぼれた。


「そんなこと……今はいいから……!」


アルトは、わずかに笑った。


「……よかっ……た……」


その手が、地面に落ちた。


「……アルト?」


返事はなかった。


「……ねえ」


ティアが首を振る。


「……嘘だよね……?」


ロイが駆け寄った。


「アルト! おい、アルト!」


肩を揺さぶる。


しかし、反応はない。


「……ふざけんなよ……!」


ロイの声が震えた。


「三人で帰るって……約束しただろ……!」


魔王が静かに笑った。


「……これが、人間の限界だ」


そのとき。


アルトの胸元で、何かが光った。


「……え?」


ティアが息を呑む。


旅立ちの日。


父ガルドから渡された、小さなお守り。


それが、淡い光を放っていた。


光はゆっくりと広がり、アルトの体を包み込んでいく。


胸の傷が、少しずつ塞がっていく。


流れ出ていた血が止まり、青白かった頬に色が戻っていく。


「……アルト……?」


ティアが呟いた。


次の瞬間。


「……っ、はあっ!」


アルトが大きく息を吸い込んだ。


「……え?」


ロイが目を見開く。


「……アルト!?」


「……っつ……!」


アルトはゆっくりと目を開けた。


「……あれ……?」


胸に手を当てる。


傷は、消えていた。


「……俺……」


アルトは呆然と呟いた。


「……生きてる……?」


「……ばかっ!」


ティアが泣きながら抱きついた。


「……ほんとに……ばか……!」


「……ティア……?」


ロイも膝をついた。


「……お前……本当に……!」


アルトは二人を見た。


そして、いつものように笑った。


「……悪い」


ゆっくりと立ち上がる。


「……心配かけたな」


そのとき。


魔王が、再び動き出した。


「……馬鹿な……!」


魔王の表情が歪んだ。


「なぜ、生きている……!」


アルトは剣を握り直した。


「……さあな」


一歩、前へ踏み出す。


「でも、まだ俺は死ねないんだ」


ロイが立ち上がる。


ティアも涙を拭い、杖を構えた。


アルトは二人を見た。


「……行くぞ!」


「ああ!」


「うん!」


三人は同時に駆け出した。


ロイの剣が、魔王の腕を弾く。


ティアの光が、魔王の視界を奪う。


そして。


「……これで!」


アルトは剣を高く掲げた。


「終わりだあああっ!」


剣が、魔王の胸を貫いた。


「……ぐ……おおおおっ!」


魔王の体が、崩れ始める。


黒い炎が消え、城全体が大きく揺れた。


「……馬鹿な……人間ごときに……!」


魔王の声が、闇に溶けていく。


やがて。


すべてが、静かになった。


「……終わった……?」


ティアが呟く。


ロイが剣を下ろした。


「……ああ」


アルトは、しばらくその場に立ち尽くしていた。


そして。


「……やった……」


小さく呟いた。


「……やったぞ……!」


次の瞬間。


「やったああああっ!」


アルトは両手を突き上げた。


「魔王、倒したぞおおおっ!」


ロイが笑った。


「……うるせえよ!」


ティアも涙を流しながら笑った。


三人は抱き合った。


長かった旅が、終わった。


これで、帰れる。


あの村へ。


家族の待つ場所へ。


アルトは大きく息を吐いた。


「……ああ、そうだ」


ふと、胸元に手を伸ばす。


旅立ちの日、父が渡してくれた小さなお守り。


戦いの間も、ずっと身につけていたものだった。


「……あれ?」


指先に触れた感触が、いつもと違った。


アルトは服の下からお守りを取り出した。


そこには、無数の亀裂が走っていた。


「……嘘だろ」


手のひらに載せた瞬間、ひび割れたお守りがいくつかの欠片に分かれた。


「……壊れちまった」


ロイが覗き込む。


「ガルドさんにもらったやつか?」


「……ああ」


アルトは少し困ったように笑った。


「親父、大事にしろって言ってたのにな」


ティアが優しく言った。


「でも、ガルドおじさんなら、きっと許してくれるよ」


「……だよな」


アルトは欠片を丁寧に拾い集めた。


「帰ったら、ちゃんと謝ろう」


そして、小さく笑った。


「……まあ、魔王倒したって言えば、許してくれるだろ!」


ロイが呆れたように笑う。


「それとこれとは別だろ」


「えー!」


三人は笑った。


アルトはお守りの欠片を布に包み、大切にしまった。


父に会ったら、最初に謝ろう。


それから、魔王を倒した話をしよう。


そして最後に。


ずっと伝えたかった、あの言葉を伝えよう。


◇


魔王討伐から二日後。


勇者アルトによる魔王討伐の知らせは、各地へ広がり始めていた。


街では鐘が鳴り、人々が歓声を上げた。


王都では祝宴が開かれ、三人は英雄として迎えられた。


だが、アルトが一番楽しみにしていたのは、そんなことではなかった。


「……なあ、もう帰っていいよな?」


王城の客室で、アルトが言った。


ロイが呆れたように笑う。


「お前、それ何回目だよ」


「だってさ!」


アルトは窓の外を見た。


「親父に、早く話したいんだよ」


ティアが微笑む。


「……うん」


「魔王がどんだけ強かったかとか、俺がどんだけ格好よかったかとか!」


「格好よかったのは、最後だけだろ」


「うるせえ!」


三人は笑った。


アルトは胸元に手をやった。


そこにはもう、父からもらったお守りはなかった。


砕けた欠片は、布に包んで荷物の中にしまってある。


「……そうだ」


アルトが呟く。


「親父に、お守り壊しちまったことも謝らないとな」


「……そうだね」


ティアが頷いた。


「でも、ガルドおじさんなら、きっと怒らないと思う」


「だよな!」


アルトは笑った。


「『無事に帰ってきたなら、それでいい!』とか言いそう」


ロイも頷いた。


「……言いそうだな」


アルトは窓の外を見た。


遠くに、故郷のある方角が見える気がした。


「……待ってろよ、親父」


小さく笑う。


「もうすぐ帰るからな」


◇


魔王討伐から五日目。


三人は、朝早くから馬車に揺られていた。


懐かしい景色が、少しずつ近づいてくる。


見慣れた山。


川に架かる小さな橋。


そして、遠くに見える村の屋根。


「……見えた!」


アルトが身を乗り出した。


「おい、落ちるぞ!」


ロイが慌てて服を掴む。


「大丈夫だって!」


「お前の大丈夫は信用できないんだよ!」


ティアが笑った。


「……懐かしいね」


「ああ!」


アルトは嬉しそうに頷いた。


「やっと帰ってきた!」


馬車が村の入口に到着すると、すでに多くの人々が集まっていた。


「勇者様だ!」


「アルトが帰ってきたぞ!」


「ロイ! ティア!」


歓声が上がる。


村人たちが駆け寄ってきた。


「おかえり!」


「よく無事に帰ってきたね!」


三人は笑顔で応えた。


ロイの両親が、人混みをかき分けて走ってくる。


「ロイ!」


「母さん!」


母親は息子を強く抱きしめた。


「……よかった……本当によかった……!」


「……ただいま」


ロイは照れくさそうに笑った。


その隣では、ティアも両親に抱きしめられていた。


「ティア……!」


「……お母さん……!」


涙を流す母親に、ティアも泣きながら笑った。


「……ただいま……!」


アルトはその光景を見て、嬉しそうに笑った。


「……よかったな、二人とも」


ロイが振り返る。


「アルト、お前は?」


「俺?」


アルトは笑った。


「決まってるだろ!」


村の奥を指さす。


「親父んとこ!」


「……ああ」


ロイが頷いた。


「行ってこいよ」


「おう!」


アルトは駆け出した。


懐かしい道を走る。


何度も通った坂道。


昔、ロイと競走した曲がり角。


ティアと三人で遊んだ広場。


すべてが、あの頃のままだった。


「……ははっ!」


アルトは笑った。


「帰ってきたぞ、親父!」


胸が高鳴る。


何から話そう。


魔王のこと。


旅で出会った人たちのこと。


ロイが何度も怒ったこと。


ティアが泣きながら笑ったこと。


そして。


ずっと言えなかった、あの言葉。


「……よし!」


アルトは足を速めた。


やがて。


見慣れた家が見えてきた。


「……あった!」


小さな木造の家。


父が建て直した古い扉。


窓辺には、昔から置かれている花鉢。


何も変わっていなかった。


アルトは笑顔で扉を開けた。


「ただいま! 親父、帰ったぞ!」


声が、家の中に響いた。


返事はなかった。


「……ん?」


アルトは首を傾げた。


「親父?」


家の中は、静まり返っていた。


食卓。


椅子。


壁に掛けられた道具。


すべてが、いつもの場所にあった。


「……仕事かな?」


アルトは笑った。


「ったく、息子が帰ってきたってのに」


荷物を置き、奥の部屋へ向かう。


「親父ー?」


返事はない。


寝室の扉を開ける。


誰もいなかった。


「……あれ?」


アルトは少しだけ眉をひそめた。


そのとき。


背後から、声がした。


「……アルト?」


振り返ると、近所に住む年配の女性が立っていた。


「……あっ!」


アルトは笑った。


「おばさん! ただいま!」


女性は、驚いたように目を見開いた。


「……アルト……帰ってきたのかい……」


「うん! 魔王、倒してきた!」


アルトは胸を張った。


「親父、どこ行ったか知らない?」


女性の表情が、変わった。


「……え?」


アルトは首を傾げる。


「仕事場かな? それとも誰かの家?」


「……アルト……」


女性は、言葉を詰まらせた。


その目に、涙が浮かんでいた。


「……おばさん?」


アルトの笑顔が、少しずつ消えていく。


「……どうしたの?」


女性は、震える声で言った。


「……ガルドさんは……」


そこで、一度言葉を切った。


そして。


「……亡くなったんだよ……」


アルトは、動かなかった。


「…………え?」


女性は涙を拭った。


「……四日前にね……」


アルトは、しばらく黙っていた。


やがて。


「……ははっ」


小さく笑った。


「……何言ってんの?」


女性は何も言わなかった。


「……いや、だってさ」


アルトは笑おうとした。


「親父、手紙で元気だって……」


声が、少し震えた。


「……帰ってきたら、飯作ってくれるって……」


女性は、俯いた。


「……ごめんね……」


「……いや」


アルトは首を振った。


「……そんなわけないだろ」


笑顔が、消えた。


「……親父が?」


誰も答えなかった。


「……死んだ?」


その言葉を口にした瞬間。


胸の奥が、冷たくなった。


「……嘘だろ……?」


アルトは、ふらふらと後ずさった。


「……だって……」


息が、うまくできなかった。


「……俺、帰ってきたんだぞ……?」


女性は、静かに涙を流していた。


「……魔王、倒して……」


アルトは呟いた。


「……ちゃんと……帰ってきたのに……」


そのとき。


家の外から、足音が聞こえた。


「アルト!」


ロイとティアだった。


二人はアルトの様子を見て、足を止めた。


「……どうした?」


ロイが尋ねる。


アルトは振り返った。


そして。


「……なあ、ロイ」


かすれた声で言った。


「……親父、死んだってさ」


「…………え?」


ロイの表情が凍りついた。


ティアが口元を押さえる。


「……そんな……」


アルトは笑った。


笑おうとした。


「……おかしいよな」


声が震える。


「……俺、ちゃんと帰ってきたのに……」


ロイは何も言えなかった。


アルトは、ゆっくりと食卓の椅子に腰を下ろした。


見慣れた椅子だった。


幼い頃から、何度も座ってきた場所。


向かい側には、いつも父が座っていた。


大きな声で笑いながら。


くだらない冗談を言いながら。


焦げた肉を皿に盛りながら。


「……親父?」


アルトは、誰もいない向かい側を見た。


「……おい、冗談だろ?」


返事はなかった。


「……魔王を倒して帰ってきたんだぞ」


声が、震えた。


「……少しくらい……褒めてくれよ……」


静かな部屋に、アルトの声だけが響いた。


「……なあ……」


涙が、一粒落ちた。


「……俺……」


アルトは唇を噛んだ。


「……まだ……」


言葉が続かなかった。


ずっと、言いたかった。


旅の途中で、何度も考えた。


帰ったら、ちゃんと伝えようと思っていた。


今まで育ててくれたこと。


いつも笑ってくれたこと。


一人で、父親と母親の両方をしてくれたこと。


全部。


全部、伝えたかった。


「……ありがとうって……」


アルトの声が、崩れた。


「……まだ、言ってねえんだよ……」


ロイは俯いた。


ティアは、声を殺して泣いていた。


アルトは、誰もいない椅子を見つめた。


「……親父……」


そして。


「……ただいま……」


小さく呟いた。


返事は、なかった。


あの日。


勇者アルトは、世界を救った。


けれど。


世界で一番会いたかった人は、もうどこにもいなかった。

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