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【完結済/手直しするの止めました】神殺しの皇女  作者: 埼山一
終章 寒空の下で
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第128節 回憶 ~脅迫の夜~

 姫君がこんなにも悲しく大それた想いを抱くまでになってしまったのは、一にも二にもわしのせいだと言ってよいのだろう。

 眩しい青天を見上げる彼女のその瞳の奥に朔夜の様に真っ暗な想いを見つけてしまったわしは、在りし日の出来事を思い出しては何とか彼女の灯火となるような手がかりはないかと考えを巡らせていた。




 ――揺れる焚き火の明かりと気持ちがよいほどに降り注ぐ月の光に映し出された姫君の姿は凛然としていながらもどこか儚く簡単に折れてしまいそうなものに見えた。

 自分にはクマ大王(おおきみ)の椅子に座る資格がない。と言い放って退けた彼女の様子を見たわしは、うつむいたきり悲しみに暮れる彼女のその姿に何とも言えない胸騒ぎを覚え、手を差し伸べたくなる気持ちを抑えて次の言葉を待っていた。


「わたくし、なんて……。」


 彼女はそう言ったきり堪えられなくなったのか、口をつぐんでしまっていた。

 そして彼女の膝の上に置かれた華奢な手の甲には、いつの間にやら雫の滑り落ちた痕が見えるようになっている。


「姫君……。」


 年上の女性が人目も憚らずに涙をこぼしているその姿に、わしはどうするべきか分からずにただ逡巡するばかりだった。


(一体何が姫君を悲しませているのか。)


 わしは姫君にしてやれることを探るべくその涙の原因となっているものを考えた。

 そうして思い当たることと言えば、亡国の姫君としての悲哀。

 しかし、それだけのことであの「高貴」と呼ぶに相応しいクマ国の高女がこれほどまでに沈み込むとは考えにくい。

 むしろトラひげの粗暴さからくる災難を憂いているようにさえ見えた彼女のこと。その通りの結果になってしまったからと言って、そこで落ち込んで言葉も発せなくなるほどに動揺するような(ひと)ではあるまい。

 しかしそうなると一体何が彼女をここまで追いつめているのか。付き合いの浅いわしにはまるで分らなくなってしまっていた。


(いや、しかし……。)


 わしは諦めなかった。

 このまま捨て置くわけにもゆかない。彼女はこのクマの情勢を安定させるために最も重要なカギとなる人物なのだ。

 そう思えばこそわしは、彼女の涙の原因に行きつかぬまでも構わず声をかけた。


「姫君……。そなたが一体何に苦しまれているのか、残念ながらわたしには分かりかねる。しかし、そなたの置かれた立場が難しいものであることは理解しました。」


 冷たいようにも思われたが、今のわしが彼女にかけてやれる言葉はそれぐらいだった。

 彼女は、自分はトラひげの子ではないと言った。実子ではないから後を継ぐ資格もなければ、その気もないとも。

 言われてみればまるで似ていない。そんなことにも気付かないとは、おのれの目は節穴なのではないかとわしは自嘲せざるを得なかった。


「はい……ありがとうございます……。」


 姫君はうつむいたまま応えた。

 やはり彼女の本質は気丈なのだろうか。

 落涙し顔を伏せたままで、彼女には似つかわしくない消え入りそうな声ではあったが、わしの言葉を受けた彼女はどうにかそう答えていた。


(気が強いのか弱いのか。)


 わしは彼女の芯の強さを見極められず迷っていた。

 優しくするばかりでは彼女を翻意させられないだろう。かと言って強く出れば、反発されてあまつさえ故国の仇敵として敵に回ってしまうかも知れぬ。

 扱い方を誤れ二度と取り返しのつかない重要な岐路に立たされていることを感じ取ったわしは、それでも心を鬼にしてそんな彼女の気持ちを裏切るような言葉を吐く覚悟を決めていた。


「――しかし、それでもなお、わたしはあなたに言わねばならないことがあることを許されよ。」

「……?」


 姫君のその表情はわしの目線からでは窺うことはできないが、わしのその言葉に彼女はほんのわずか頭を上げてこちらの様子を窺っているようであった。

 何を言うにしてもこんな彼女の様子を見るには忍びない。それでもわしは彼女から目を逸らすことなく真直ぐに向き合っていた。


「クマ国高女、タチバナヒメよ。」

「……。」


 どうあっても譲れぬ大事なことではあるが、それを言えばきっと彼女は傷付くだろう。ここで一息置いてみたが、姫君が返事をしようとする様子はみられなかった。

 だがそれでも良い。この間はわしの覚悟を固めるために造ったものだったからだ。

 そしてわしはいよいよ表情を強張らせて彼女を見つめると、はっきりと告げてやった。


「――そなたこそが、このクマ国をまとめ上げる大王となるべき唯一の人なのです。」

「っ!」


 言い逃れもできないほどにしっかりと言い放ってやる。

 すると、一度は受け入れられたと思っていたおのれの主張が退けられたと知った姫君の非難するような瞳がわしを見つめていた。

 彼女に瞳に見える感情は、今は怨念よりも悲嘆の情が濃いように思われる。しかしそれもこのまま放って置いたり、彼女に反論の機会を与えれば間もなく逆転するであろう。

 わしはもう彼女に口を挟ませるつもりもなく続けた。


「御覧なさい。」


 わしはそう言って立ち上がると、姫君の視線を誘導するように振り返って辺りを指し示して見せた。

 そこには見えるのは人、人、人――歓喜と興奮の祭りから一瞬にして血と死の気配の漂う戦場に叩き落され、そして今、一転して虜囚の身となったた民たちの姿であった。


「――お分かりになられるか。今や(おんな)子どもなどは緊張と不安で圧し潰される寸前であり――」


 まず言ってやったのは民に対する気遣いだった。

 状況に振り回されっぱなしの彼らの疲労はもはや限界に近く、その場で眠り込む者もちらほらと出てきている。特に子どもなどの中には、その長い緊張に耐えられず泣き喚いては近くの大人たちを苛つかせたり困らせたりしている者も出ているようだった。

 しかしそう言ってみたところで、それは別にどうでも良いことでもあった。

 民が疲労の果てにその場で舟を漕いでいたところで別に咎めるべきことでもないのだ。むしろそうやって大人しくしていてくれるのであれば、それは却って好都合というもの。

 それよりも今、注意を払うべきなのは……。わしはすぐそこまで迫り来ている鬼気を肌に感じながら続けた。


「――そして男兵士を御覧なさい。彼らに至っては疲労と反発に駆られていつ短慮を起こしてもおかしくない状況にある。」


 そういう目で民を見てみれば、いつ暴動が起きてもおかしくないように思われた。

 無腰の者など我が精兵にしてみれば物の数でもないはずだが、それでも大数に優る武力なし。その数に圧し潰されてはひとたまりもないだろう。


 男連中の中でも特に兵の憤懣遣る方ない視線はトラひげの直接の仇であるわしに一身に向けられているようで、わしはその害意を真向から受け止めぬようにしながら冷静であろうと努めた。


(もはや猶予はない、か……。)


 こうしている間にも、向けられる害意が急速に殺気へとその性質を変えつつある。もう、いつ何をきっかけにして暴動が起きてもおかしくはないだろう。

 それが分かっているのか、我が兵を指揮するモリヤや指揮される兵からも絶えず緊張の気配が漏れており、それがわしの肌にもピリピリと伝わってきていた。


「タケ……リビコ様。お早く。」


 近くにいたモリヤが、わしの名前に気を遣いながらも小声で急かしていた。

 しかしそんなことは言わずもがな。わしはモリヤの警告を敢えて無視していた。

 わしはここに集う人々の詳細な気配にまで気を配りながらも、ただひたすらに誠意を持って姫君の説得に臨んでいるのだ。わしは彼女に諭し続けた。


「無論、これらはすべてわたしが為したことの結果であり、その批判は甘んじて受ける覚悟ではあります。」


 わしが何を語ってみたところで姫君は何も言おうとはしなかった。ただ黙ってわしと辺りの風景をそのぼうっとした昏い瞳で交互に睨みつけ、わしの言葉に耳を傾けているばかりである。

 しかしわしが言いたいのはそんなところではない。批判がどうだとか報いがどうだとかそんなものは今考えるべきことではないのだ。

 わしは次の言葉こそ大事としてよりはっきりと、より熱を込めて語った。


「――しかしこれだけは理解してほしい。」


 わしはそう言うと、嫌な目つきのまま(おもて)を上げ切ろうとせぬ姫君の顎をくいと持ち上げてその目線を無理に合わせていた。

 そうして逃れられぬように正対してやると彼女の瞳の中から昏さが薄らいで、その昏さに隠されていた動揺が見られるようになっていた。

 わしはその動揺が何を示しているかも気にせず、脅しをかけるように続けた。


「貴女がこの状況を知ってもなお、ただ坐して傍観しているというのであれば、民の不満は間違いなく爆発する。そしてその爆発は新たな争いの火種となり、新たな犠牲が出ることを示唆しているのです。」

「……。」


 このままでは民が死ぬぞ。と、言ってやったようなものであった。

 すると昏く焦点の定まらぬような表情から一変。わしのその脅しのような言葉を受け取った姫君の瞳が明らかに揺らいでいた。

 彼女は何も言わないながらもわしの言葉にはっきりと動揺しているようで、彼女の心の揺らぎを見つけたわしは、ここが責め所と見定めて一気呵成に捲し立てる。


「わたしはそれだけは避けたい。」


 もうこうなれば翻意させるのもそう難しいことではない。

 あとはこのまま勢いに任せて彼女の心を搦め取って捕らえてしまうことだ。むしろ考える猶予を与えてやるべきではない。

 そう考えたわしはここで少しばかりの歩み寄りを見せてやることにした。


「ですから姫君。この場限りのことでも結構。そなたが一つ命令を出せば今宵のところは犠これ以上牲を出さずに済むのです。」

「っ。」


 一度限りでよい。こうして歩みを譲ったように見せかければ、後のことは済し崩しでどうとでもなる。この時考えていていたのはそう言う算段であった。


「さあ。」

「姫君。」

「あの――。」


 ついに沈黙を打ち破って言葉を発した姫君。そして……。

 思う壺とはこのことか。姫君はもはや動揺を隠そうともしなくなり、我が意のままに動く傀儡の如き者へと変貌する第一歩を踏み出そうとしていた。――




(わしは何ということを仕出かしたのか……。)


 こうして思い返してみれば、如何に無駄な血を流させないためとはいえ、我ながら何とも卑怯な手段で非情な決断を迫ったものだ。

 わしは目の前で嫋やかな微笑みを浮かべる女性と同じ人物とは思えないほどに沈み切っていたあの時の姫君のことを思い浮かべては、自身の非道な行いを恥じるに至っていた。

 考えてみれば、この姫君こそ我が野望の一番の被害者と言ってもよいかも知れぬ。

 わしがこの地に留まっている間、彼女はなんやかんやと済し崩しに養父君(ちちぎみ)の仇に協力することを余儀なくされ、更にはその仇の意を傀儡の如くそのまま実行に移すしかなかったのだ。

 これほどに辛い役目を押し付けられていた。そしてそれを彼女に言い付けたのはこのわし。

 気の進まぬ彼女を人質紛いの強引な手法で無理に拝み倒して大王の座に押し付けて、あまつさえ逃げられぬようにその椅子に縛り付けてさえしてしまった。


(そんな彼女がわしとの別れを惜しむ道理がないではないか。)


 それに気付いてしまえばこそ、彼女の口から紡ぎ出される別れの言葉など嘘偽りで塗り固められた空虚なものでしかないことが分かるし、さらには彼女が将来に希望が持てぬほどに追い詰められているのも理解できることであった。

 大方今の彼女は、早く自分の前から消え失せてほしいとかそのようなことを考えているのであろうことは、彼女の心の空白に気付くに至ったわしには容易に想像がつくことであった。

 しかしこれだけの仕打ちを仕出かしたわしが今さら彼女の癒しになってやれるはずもなく、わしはどうするべきか有効な手立ても思い付かないままに在りし日のおのれの失策を恨み続けるしかなかった。


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